#298【劇評・絶賛】劇団四季『ウィキッド』(その2)一幕目について
今日もお読みくださってありがとうございます!
先週一週間、花粉・寒暖差・いろいろ由来の、頭痛・嘔吐で寝込んでおりました。そのうえ少し良くなってきたので起き上がったら、こんどはぎっくり背中で動けなくなり、げっそりでした。春嫌い!
みなさまもご自愛ください!
さてさて!
ちょっと前に、大阪四季劇場へ、劇団四季『ウィキッド』を観に行ってまいりました!
ちょうどバスケの試合も大阪であったので、合わせて楽しんできました。
そのあと映画も見たんだけど、とりあえず劇団四季版のレポを書く!
ネタバレありです、ご了承ください。
↓ これは去年東京公演について書いて、そのまま書きっぱなしになっていたウィキッド劇評のその1。一年以上経ってしまったYO。
※2025年5月追記 本記事のあともう一本記事を書きました。ぜひそちらも合わせてどうぞ!
※ 追記終わり ※
↓ 『オズの魔法使い』を読んで書いた文章もあるYO。最近読んでいただいているようでページビューが上がっています。
チケット・座席、劇場の特徴など
大阪四季劇場ではトイレに注意!
大阪四季劇場で一つ気になったのが、トイレにかかる時間……。
四季の劇場は、浜松町の春・秋、自由劇場、汐留の海、舞浜、名古屋四季劇場、静岡の劇場と行ってきましたが、トイレの数も並んでいる列の長さもほかの劇場と大差ないように感じたんだけど、列の進み方が遅く、後のほうに並ぶと開演に間に合わない感じでした。
大差ないように見えて、トイレの数が少ないのかなあ……。
他劇場より劇場内の座席数が多いのかも?
大阪四季劇場へお越しの方はお気を付け下さい。
前日予約で4列目!近さに感動……
前日電話予約にトライしたところ……なんと4列目のセンターブロックが取れましたぁぁぁ!
『ウィキッド』通算10回近く見てるけどこんなにいい席で観れたのは初めて。
演技も歌もマイクでなく地声が聞こえて、こちらの胸にも直接振動がくるほど。
ロングトーンでちょっと低くなってしまった場面や、たっぷりした息継ぎもしっかり聞こえて、セリフもダンスも、後ろの方の席で見るよりずっと「人間がやってる感」がある。
エルファバの肌の緑色は、手の甲くらいまでの大部分、肌襦袢みたいな、ストッキングみたいなもので作られているんだなーとか、
オペラグラスを見ると役者さんのドアップ。
ネッサローズ役の方のほっぺたの薄いホクロまで見えて、近さに感動。
一幕目・開幕
わくわく開幕
冒頭はチステリーが3人。
(チステリーって個人名なのか?種の名前なのか?)
舞台上部のドラゴンの首を動かす人は下手の舞台上部に、技術さんみたいな恰好でいらっしゃいました。
上手舞台上部にもドラゴンの右翼を動かす技術さん。
クラッカーがはじけて紙吹雪が飛んできました(こっそりあとで拾いました)。
赤子エルファバの人形、4列目から見ると、股までちゃんと作りすぎてるうえに隠さなすぎでてなんかかわいそうだった……ライオンキングか?
(映画ではちゃんと身体の大部分を毛布で隠してあった)
居て・捨てて・語る
東京公演の3回の観劇でも思いましたが、メインキャラクターのグリンダ、エルファバ、フィエロが、超練られてる~!
フィエロは日本語を母語としない方だと思うのですが、日本語も超自然。
まさに劇団四季の「居て・捨てて・語る」を体現していると思いました。
↓ 劇団四季に所属していた俳優さんのブログ
やっぱり「ファンの集い」だった
シズ大学入学の場面でエルファバが登場してくるシーンで、拍手が起きていました。
ここ、拍手が起きてるの初めてみたのですが、Youtubeで少し調べたら、本場では大拍手が起きるシーンなんですね。
エルファバというキャラクターがいかに愛されているか実感しました。
エルファバが初めてその才能を人に認められて喜ぶ、『魔法使いと私』の弾けた喜び、嬉しくて踊り出しちゃう感じが良かった。
エルファバ、最高!
エルファバ……差別や言論弾圧に対する批判
差別に対する批判表現
エルファバは差別される者の表象です。
ジェンダー(シズ大学の場面では青緑スカートの制服の男子がいた)や人種(黒人・白人・アジア系)による差別が見られない世界観で、それでもエルファバが阻害されてしまうのは、人間の「差別する」という性質の根深さを良く表現していると思いました。
よっぽど気を付けていないと、人間は何かしら理由を作り出して差別してしまう。
また、ライムスター宇多丸のアフター6ジャンクション(TBSラジオ)では、『大嫌い!』の曲中でエルファバがグリンダを指して「Blond.」と言う場面について、「エルファバ自身もステレオタイプな偏見から自由ではないことが表現されている」と指摘していました。
日本語では「おバカ。」ってなってたから全然気づかなかったよ。
言論弾圧に対する批判表現
動物に対する差別、弾圧と、それに対するエルファバの怒りがこの物語を駆動していくのですが、ヤギのディラモンド教授が語る「長い時間抑圧されたら誰でも言葉を失う」という言葉が印象に残ります。
この物語のすごいところは、人間ドラマでありながら、ポピュリズムや差別、言論弾圧などの社会問題にNOを突き付けているところだと思います。
人間ドラマも正反対の女性二人の友情と、二人が大きく世界を動かしていく成長物語、フィエロをめぐる三角関係の恋愛など、濃厚!
また、物語のスタートが大学生で、青春物語としては少し遅めの時期をとらえているところも、この物語が語ろうとしているテーマにぴったりマッチしている。
嫌いだったのに……グリンダ
回を増すごとに好きになるグリンダ
最初、特に10年前はグリンダの良さって全くわからなかったんですよね。
嫌いでした。
計算高くて結構ひどいこと平気でするし(エルファバだけでなく、ボック、ネッサはグリンダに怒っていいと思う)、それでもなんか許されちゃって、何コイツって思ってました。
「金持ちで女の子らしくて容姿端麗で自信にあふれて明るくて計算高いけどちょっとおばかでみんなの人気者」なんて、自分と1ミリも重なるところがなくて、うらやましかったし。
イメージカラーの黄色(黄金の髪)とピンクの組み合わせもハッピーすぎて受け付けられなかった。
でも、馬齢を重ねたからなのか、何度も見たからなのか、今や大好きですグリンダ!!
はああ~かわいいお嬢さんって、いいよね~。
(あれ、わし何かしらのハラスメントになってないか?大丈夫か?)
エルファバは当然大好きだけど、グリンダも好き!
われらがグリンダのいいとこ挙げてくYO
繰り返しになりますが、グリンダは生まれも恵まれ、愛されて育ち、明るい人気者。
魔法学のモリブル先生におばかレポートで売り込む、無邪気で世間知らずゆえののびのびとした野心。
ヤギのディラモンド教授に「昔話はもうたくさん!これって歴史の授業でしょ?」とか言っちゃうバカさ加減。
なにそれもう超バカかわいい。
係員に居たら困るけど。
一幕目序盤でそれが強調されればされるほど、ダンスパーティからのエルファバとの心の交流や、二幕目からの幸せに対する煩悶など、彼女の葛藤と成長が心に迫る仕掛けがすばらしい。
グリンダとエルファバ
ダンスの場面は名シーンだらけ!!
反目しあっていたグリンダとエルファバは、ダンスパーティでの出来事をきっかけにして急速に近づきます。
このシークエンスは名シーンだらけで大好き!何度見ても泣く!
名シーン①:
生まれて始めてダンスパーティのお誘いをボックから受け、喜ぶ車椅子のネッサローズ(エルファバの妹)。
しかしボックは本当はグリンダが好きで、グリンダの差し金でネッサを誘ったのでした。
でもネッサとの会話を通じて気持ちが変わり、「ネッサと踊ろう」と決めるボックの、葛藤、決断、ふたりの楽しそうなダンスがとっても良かった。
名シーン②:
パーティに魔法学のモリブル先生がきて、グリンダに「あなたにも魔法を教えてくれとエルファバに頼まれたから」と練習用の杖を渡すシーン。
映画版では割愛されていましたが舞台版では、
フィエロ 「どうしたの?」
グリンダ 「……思い通りになったわ(複雑な顔で杖を見ながら)」
フィエロ 「よかったじゃないか(なんでそんな表情しているの?)」
というやりとりがありました(細かい部分違ってたらすまそ)。
エルファバにダサい帽子を「これが今の流行よ!」と嘘をついて押し付けて笑いものにしてやろうと思ったら、なんとそのエルファバの厚意で「魔法学を学びたい」という希望が叶ってしまった。
グリンダの気持ちの変化が細やかに描かれたシーンだと思います。
実は、このグリンダの「……思い通りになったわ」に今回初めて気が付いて、とってもよいと思ったのでした。
だから映画版でここがカットされてたの地味に悲しかったです。
名シーン③:
そこへ、ダサい帽子をかぶったエルファバがやってきます。
その姿は一同の注目を集め、好奇の目と嘲笑にさらされてしまうエルファバ。
エルファバは、嘲笑をものともしないそぶりでダンスフロアまで降り、誰も見たことのないぎこちない謎の踊りを踊り始めます。
エルファバはパーティなんて参加したことがないので(父親に嫌われてるし)、ダンスなんてしたことないんですよね(泣)。
フィエロ 「彼女って他人からどう見えるか気にしないタイプなんだな」
グリンダ 「気にしてるわ。気にしてないふりをしているだけよ。あんまりジロジロみないであげて」
フィエロ 「無理だよ。(なんでかばうの?的な感じで)別に君のせいじゃないんだろ?」
グリンダ 「…………ちょっと、これ持ってて。(杖をフィエロに預ける)」
良心の呵責に耐えかねたグリンダは、嘲笑する群衆をかき分けてエルファバに向かい合い、エルファバのぎこちない踊りを真似し始めます。
この場面がさー……!!!
とにっかくイイんですよ!!!!
音楽とダンスを方法に持つ、ミュージカルでしか成し得ない表現。
エルファバの奇怪な動きを、こうかしら、こうかしら、という感じで戸惑いながら真似をするグリンダ。
その、二人の奇怪な動きがダンスになっていく表現が見事!なんです!
最初のぎこちない、戸惑いがちな踊りから、グリンダがエルファバに、こうやってこうやって踊るのよ、そうそう、というアイコンタクトを取るように導き、最終的には最初邪魔してた人たちも一緒にみんなで踊る。
「奇怪な動き」→「ダンス」に昇華されていくグラデーションを踊り分けられるってすごい。
音楽もこれに合わせて、単旋律から伴奏というか和音が付いて複層的に、厚みを持っていき、メロディから音楽になっていきます。
おばかお気楽グリンダが複雑な感情(良心の呵責・自責の念)を覚え、エルファバに対する哀感・共感が芽生え、エルファバを「人」として見られるようになり、自分からみんなの輪の中にエルファバを導き入れる流れを、見事に表現しています。
ここの部分、飛躍があるように感じるかたも多いと思います。
わたしも以前はそうでした。
でも、繰り返し見ていて、彼女たちの年齢や学生であることを考えたら、こういうことってあるよな、とあるときふと思ったのです。
なんかよくわかんないけどふとしたきっかけで仲良くなる、理由は言葉で説明できない、みたいな。
その、まだ自分の形が決まってしまう前の、大人になる前の時期の、アモルファスな状態な若者たちの心の機微を、ミュージカルでしか成し得ない表現で表現した素晴らしいシーンだと思います。
映画版は、グリンダとエルファバの表情なども含めてより丁寧に、解像度高く描かれていたと思います。めっちゃよかった。
ふたりの部屋
場所は変わって、ダンスパーティの後のふたりの部屋(ふたりはもとからルームメイト)。
「エルフィーって呼ぶわ!」というグリンダに、「かわいすぎない?」と返すエルファバにグッときました。
かわいいあだ名などついたことがない人間は、こういうの、照れるけど嬉しいんだよね……わかる……(←くらたの中学時代のあだ名は「モアイ」)
細やかなキャラクター描写ですね。
グリンダの名言と言えばコレ
その後、グリンダの提案で「秘密の打ち明けあいっこ」をします。
エルファバ「わたし、父に嫌われてるの。」
(グリンダ、のけぞって驚く)
エルファバ「(食い気味に)これは秘密ではないわ。」
グリンダのオーバーなリアクションも含めてコメディっぽいやりとりですが、「これは秘密ではないわ」って、かなしすぎる……
映画版では冒頭にエルファバの幼少期の場面があり(舞台版にはない)、より、エルファバの運命の過酷さ・理不尽さが強調されています。
……エルファバ、良く生きてきたね、がんばったね(泣)!
そのあとエルファバが打ち明けた「秘密」は、「再び緑の肌の赤子が生まれることを恐れた父が、妹ネッサローズを妊娠中の母におしろい草を食べさせたから、ネッサローズは足に障害を持って生まれ、母は産後に死んだ。すべては自分のせいだ」というものでした。
それに対してグリンダはこういいます。
「それはおしろい草のせいであってあなたのせいではないわ。
その話、あなたには秘密かもしれないけど、真実ではないわね。」
マンチキン国の誰もが言い得なかったその一点。
エルファバにかけられた思い込みの呪いを解く魔法の言葉。
いやー、目からうろこでした。
このセリフだけは、わたしがグリンダを嫌いであった時代も、すごいなと思っていました。
エルファバがグリンダと仲良くなる流れに説得力を持たせ、グリンダが知性や善性を持たない人間ではないと我々に知らせてくれるセリフです。
キュートなグリンダに夢中
グリンダの魅力はその、善悪、賢愚がマーブル上になってひとりの中に混在しているところだと思います。
このふたりの部屋はグリンダのそうした魅力がはじけるような場面でした。
エルファバに魔法でキラキラドレスを出そうとして失敗し、
「やめた。それ(今エルファバがきている服)、すごーく似合ってるし!」
と、大事な魔法の杖をポーイ!と投げてしまういい加減さとか、
かと思ったら、自分のブロンドにさしていたピンクの花をエルファバの黒髪にさし、
「(改まって)見て、ミスエルファバ。」
(と鏡を差し出す。ふたりで鏡の中のエルファバを見ながら)
「ピンクは緑に映えるのね。」
と改まって言ってみたり(これもめっちゃいい場面)、
かと思ったら、エルファバが去った後に、
魅力なら、このあたしが上!
と朗々と歌い上げたり、いい奴なのヤな奴なのどっちなの?と聞きたくなる奔放さがキュートなグリンダなのでした。
3人の岐路
チャラ王子フィエロ、考えはじめる
さてさて、反知性主義の権化のようなキャラクターとして登場してくる、チャラ王子フィエロ。
グリンダから女性らしく見せる技「髪の毛サラサラ~」を教えられたエルファバが廊下でひそかにそれを練習していると、フィエロが
「グリンダみたいだなって。君はそのままでいいのに」
と声をかけてきます。
なんと。こいつもただのおばかではないのか。
その後の授業中に起きたとある事件を受けて、エルファバがとっさに発した魔法の力で、エルファバとフィエロを除いて教室中のみんなが寝てしまいます。
フィエロ「なぜ君はそう問題ばかり起こすんだ」
エルファバ「私が問題を起こすんじゃない、私自身が問題なの。私だってこんな風に生まれていなければもっと生きやすかった」
この会話、昔はよくわからなかったけど、「こんな風に生まれていなければもっと生きやすかった」っという部分だけは共感したものでした。
これって、肌の色とか性別とか障害とか、マイノリティ側の立場に立ったことのある人なら共感できるセリフなのではないでしょうか。
このシーン、上記のようにエルファバが初めてフィエロに心中を吐露するだけでなく、フィエロの内面に一石を投じて考えさせる場面でもありました。
(フィエロは)何も考えていないふりをしているだけ。だってあなたは全然幸せそうに見えないもの
エメラルドシティ
さて一幕終盤、オズの魔法使い陛下のお召しがあって、エルファバはエメラルドシティへ赴くこととなります。
列車にグリンダも一緒に飛び込んでしまう流れは映画版のほうがナチュラルでグリンダもキュートでした(アリアナ・グランデってすごい!)。
『オズの魔法使い』と同様、エメラルドシティでは、誰もがグリーンのサングラスを渡され常にかけています。
エルファバ
「だれもあたしをジロジロ見たりしない!ここがあたしの居場所!」
グリンダ
「あなたは誰よりも輝くエメラルド色だわ!」
この二人のうれしそうなやりとりがとてもよいのですが、映画版ではグリーンのサングラスをかけるという設定がカットされてしまっているのが大変残念でした。
アトロク宇多丸評によれば、宇垣美里さんもそのようにおっしゃっていたそうです。だよね……!
袂別
オズの陛下は小柄で声の出し方も軽薄で、いかにも「ペテン師」(『オズの魔法使い』より)といった風情が良く出ていました。
でも、「グリズリー」(特別な魔法書)を陛下が読めないのをエルファバはなんでわかったんだろ?
一幕の山場、陛下との交渉が決裂し、怒りで飛び出すエルファバ。
国中から追われる立場となります。
このあとのエルファバとグリンダの袂別のシーンも、とってもよい。
「一緒に来て、二人ならやれる」と誘われて、一瞬できそうな気がするけど思いとどまる・偉大なる凡人グリンダ。
このシーンで思い出すのは、『アナと雪の女王』の愛すべき凡人アナ。エルサとアナは『ウィキッド』にかなりインスパイアされてるんですね。
二人のやりとりは、映画版で表情豊かに解像度高く表現されたことでより分かりやすくなったと思います。
激情に任せて事を起こそうとしているけれど震えているエルファバに、グリンダがマントをかけてあげるシーンも、映画版では、この前のふたりの部屋のシーンで、グリンダが自分のワードローブから同様に洋服をエルファバにかけてあげる場面が挿入されていました。
おお、舞台版ではやや突然感があったから、この反復は大変よき。
事程左様に、映画版は舞台版にリスペクトを持って沿いながら、表情の細やかな表現や贅沢な舞台セットなどにより、飛躍のあるエピソードなどにディティールを補って、より解像度高く描かれた感がありました。しゅき!
さて舞台版に話を戻します。
一幕ラストのエルファバの飛翔シーンでの歌唱は、まさに声を浴びるといった感じでとっても気持ちよかったです。
ここまで結構地声が聞こえてきたけれど、ラストはマイク音声で大音量の大迫力でした。
2023年11月の東京公演で、10年ぶりに内容をほとんど忘れた状態で本作を見たとき、このシーンは本当に圧倒されました。
音に心を動かされたとき、ひとは目をつぶるのだと知りました。
(わたしだけか?)
映画版では飛翔する前に一度落ちてゆくエルファバのオリジナルの演出が入るのですが、これもとても素晴らしかった。
何度も言うけど、エルファバ、よく生きてきたね。
幼少期のエルファバを、そして同時に、幼い日の自分を、性被害の経験をひとりで抱えていた自分を、抱きしめてあげたい気持ちになりました。
からのエルファバの飛翔の、圧倒的なカタルシスよ。
(でも、どなたかがアトロクのウィキッド評のコメントで書いていらっしゃいましたが、わたしも舞台版のほうが飛び上がったエルファバに迫力があるように感じました。臨場感あるからかな?)
ここでグリンダも政治の思惑に巻き込まれていきます。
いつまでも能天気おばかではいられないということでしょうか。
はやく映画のパート2観たい。
というかDVD化したら即買う。
手元にウィキッドを置いておけるなんて楽しみ過ぎる。
余談ですが、舞台版見たことなくて映画版を見た方に、「パート2早く観たいけど観たくない(あの冒頭シーン、魔女が死んだ、のシーンにつながっているのだから)」という感想を持つ方が結構いらっしゃるなと感じました。
映画を一緒に見たうちの母も「2は見たくない(エルファバが悪者にされて死ぬのを見たくない)」と言っておりました。
そっかー。それはそうなのかも。その意味では、一幕と二幕を同日に見られる舞台版のほうが心穏やかにその日を終えられるかもしれません。
次回に続く
一幕目だけで8,000字超えてしまった。
すみません。。。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!
次回、二幕目の感想に続きます!

