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名作再訪:映画『駅 STATION』に流れる「二つの死」

映画『駅 STATION』を語る時、
私たちはそこに「別離の哀惜」という通奏低音を聴く。

しかし、
幾度目かの再訪を経て
いま深く心に沈殿しているのは、
もう一つの重いテーマ――「死=人生の無常」である。

脚本の倉本聰が仕掛けた「死刑囚の手紙」と
「アスリートの遺書」が交錯するあのシーンは、
邦画史に残る白眉と言っていいのではないか・・

辞世の句に託された一点の光

殺人を犯し、死刑宣告を受けた男。
彼は、自分に差し入れを続けてくれた匿名の人物へ、
感謝と別れの手紙を綴る。
その送り主が、
皮肉にも自分を逮捕した刑事(高倉健)であることを知ってか知らずか。

死刑執行の前日に書かれたその手紙は、
あまりにも静かな一文で始まる。

「これを受け取られる頃には小生もうこの世にはいません……」

そして添えられた、辞世の短歌。

暗闇の
彼方に光る一点を
今 駅舎(えき)の灯(ひ)と
信じつつ行く

死を目前にした人間が、
漆黒の闇の先に「駅の灯」を見出そうとする。
この凄絶なまでの孤独と救いを、
短歌という形式で詳細に語る映画が、
世界のどこにあるだろうか。

円谷幸吉の遺書との共鳴

このシーンの背後で、テレビニュースが淡々と流れる。
語られているのは、マラソン走者・円谷幸吉の自死だ。

純粋すぎるほどに孤高だったアスリートが、
静かな絶望の果てに遺した言葉。

「父上様、母上様、
三日とろろおいしゅうございました。
干し柿、もちもおいしゅうございました。
・・・
幸吉は、もう疲れ切ってしまって走れません。
何卒お許し下さい。」

川端康成が「千万言も尽くせぬ哀切」と評し、
三島由紀夫が「傷つきやすい自尊心」と語ったあの遺書である。

倉本聰は、刑死と自死という極限の「死」を対置させることで、
人生の無常を鮮やかに、そして残酷なまでに描き出した。

日本人の心に響く「無常」の形

このシーンの意味するところを、
私たち日本人は理屈ではなく、
血の流れるような痛みとして理解する。

「駅」とは、人生という旅路の通過点に過ぎない。
しかし、そのホームに灯る微かな光に、
人は一生のすべてを投影する。
死という逃れられない終着点を前にして、
それでもなお礼節を尽くし、
感謝を述べ、一首の歌を詠む。

これほどまでに
日本人の死生観を深く穿った作品が他にあるだろうか。

『駅 STATION』。
人生の無常を描いて、これこそが邦画のベストである。

名画には白い花が似合う

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