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七(セブン) 国家に喧嘩を売った都市伝説①


安置室っていうの。

初めて入った。

シーツの下にいるのは父らしい。

見ない方がいいと、警察の人に言われた。

「速水真奈さんですね。大東外語大学一年生。ありがとうございます。学生証、お返しします」

女性警察官は、私の学生証を丁寧に返してくれた。

「ご遺体の件ですが……」

「おまかせします」

そんな返事でよかったのか分からない。

でも、本当に何も分からなかった。

私はただの大学一年生だ。

こういうとき、何を決めればいいのかなんて知らない。

女性警察官は気遣うように頭を下げた。

その優しさが、今は少しだけ苦しかった。

父をはねたのは、財務省の公用車だったらしい。

不注意で歩道へ乗り上げ、数人が巻き込まれた事故。

ネットのニュースをたまたま目にした。

まさか、その「数人」の中に父がいるなんて思わなかった。

事情聴取を終え、自宅へ戻る。

玄関の扉が半開きになっていた。

嫌な予感がした。

靴も脱がずに駆け込んだ瞬間、息をのんだ。

家中の引き出しという引き出しが開けられ、家具は動かされ、床には衣類や書類が散乱している。

私の部屋も例外じゃない。

タンスの中身は全部引きずり出され、ベッドの下まで漁られていた。

トイレへ行くと、給水タンクの蓋まで開けられている。

泥棒じゃない。

何かを探していた。

その事実だけが、背筋を冷たくした。

父の死は、本当に事故だったのだろうか。

その考えが頭をよぎった瞬間、私は家を飛び出していた。

誰にも相談できなかった。

父はフリーのジャーナリストだった。

収入は決して安定していなかったけれど、私の授業料だけは、一度も滞らせたことがない。

その父が死んだ。

家も荒らされた。

もう、あの家には帰れない。

頼れる人も思いつかない。

家を飛び出したものの、このまま逃げ続けるわけにもいかない。

私はもう一度、警察署へ向かった。

受付にいた年配の警察官が私に気付く。

「速水さん。どうされました?」

私は家が荒らされていたことだけを伝えた。

警察官は真剣な表情で頷く。

「分かりました。少々お待ちください」

そう言って奥へ入っていった。

私は待合室の椅子に腰を下ろす。

静かな廊下に、電話をする声が漏れ聞こえてきた。

「はい。例の大学生です」

思わず耳を澄ませる。

「……ええ。自宅に戻ったようです」

短い沈黙。

「分かりました。これからそちらへ
連行します」

息が止まった。

例の大学生……私?

連行。

その言葉だけが頭の中で何度も響く。

警察は味方じゃない。

私は静かに立ち上がり、一歩、後ずさる。

ちょうどその時、警察官が戻ってきた。

私と目が合う。

「速水さん──」

私は踵を返し、全力で駆け出した。

「待ちなさい、君!」

背後から声が飛ぶ。

振り返らない。

振り返ったら終わる気がした。

私は人混みへ向かって、夢中で走り続けた。

逃げ込んだのは、駅前のネットカフェだった。ここなら身を隠せる。

けど……

所持金を考えれば、長くはいられない。

それでも今夜だけは、安全な場所が欲しかった。

藁にもすがる思いで、匿名掲示板に書き込んだ。

1:名無し
父が亡くなりました。家も荒らされています。誰か助けてください。

返ってきたのは、冷たい言葉ばかりだった。

2:名無し
釣り乙

3:名無し
創作ならもう少しリアリティ出そうな

4:名無し
警察に追われながら掲示板w

……そうだよね。

信じてもらえるわけないか。

画面を閉じようとした、そのときだった。

5:名無し
本当なら、ここで聞いても無駄だ。

6:名無し
七(セブン)を探せ。

その一言だけが、妙に引っかかった。

続けて書き込みが流れる。

8:名無し
七(セブン)キター!

9:名無し
七って都市伝説じゃないの?

10:名無し
七しかいない。

七。

それが、人の名前なのか。

組織なのか。

何なのかさえ分からない。

けれど、私にはもう、その名前に賭けるしか残されていなかった。


掲示板に書かれていた店は、新宿の地下にあるバーだった。

薄暗い階段を下りるたび、胸の鼓動が速くなる。

こんな店に来たことなんてない。

だけど、立ち止まっている時間はなかった。

もう、私には「七(セブン)」という名前しか手掛かりがない。

扉を開ける。

カラン、と小さなベルが鳴った。

「いらっしゃいませ」

カウンターの店員が顔も上げずに言う。

私はその人の前まで歩み寄った。

「あの……七(セブン)って人、知りませんか」

その瞬間だった。

店内の空気が凍りついた。

グラスを持つ手が止まる。

誰もが一瞬だけ私を見て、すぐに目を逸らした。

店員はぎこちなく笑う。

「……さあ。存じ上げませんが」

嘘だ。

全員、何か知っている。

でも誰も口を開こうとしない。

七って、何者なの。

そのときだった。

カウンターの端に座っていた大柄な男が立ち上がる。

無精ひげに革ジャン。

見るからに近寄りたくない雰囲気だった。

男は無言のまま私の前まで来ると、胸ぐらをつかみ、そのまま持ち上げた。

「ぐっ……!」

息ができない。

足が床から浮く。

「怪我しないうちに帰んな」

低い声だった。

次の瞬間、私は床へ投げ飛ばされていた。

背中に鈍い痛みが走る。

咳き込みながら男を見上げた。

睨み返してみても、勝てる相手じゃない。

私は唇を噛み締め、その店を後にした。

階段を上り、地上へ出る。

夕暮れの街は、さっきまでと何も変わらない。

変わったのは、私だけだった。

「速水真奈さんですね」

突然、背後から声を掛けられる。

振り向くと、スーツ姿の男が二人立っていた。

「政府の者です。少しご同行願えますか」

穏やかな口調だった。

私は思わず安堵した。

事情を知っている人たちなのかもしれない。

そう思ってしまった。

黒い外国車の後部座席へ案内される。

ドアが閉まる。

静かに車が走り出した。

前席の二人が話し始める。

聞き取れない。

日本語じゃない。

その瞬間、背筋が冷えた。

政府って……日本の政府じゃないの?

慌ててドアノブを引く。

開かない。

何度引いても、びくともしない。

助手席の男がバックミラー越しに笑った。

「開きませんよ」

その笑顔には温度がなかった。

「護送用ですから」

護送。

その言葉だけが頭の中で反響する。

私は逮捕されたわけじゃない。

なのに、どうして護送されるの。

どこへ。

誰のために。

恐怖で体が動かなくなりかけた、そのときだった。

ガチャッ。

歩道側のドアが突然開く。

外には一台のスクーター。

ライダーが短く叫ぶ。

「乗れ!」

考えるより先に体が動いていた。

私は後部座席へ飛び移る。

ほぼ同時にスクーターが急発進した。

後ろでタイヤが悲鳴を上げる。

さっきの黒い車だ。

信号を無視して追ってくる。

交差点では急ブレーキと衝突音が連続した。

スクーターは細い路地へ飛び込み、車では追えない道を縫うように走り続ける。

十分ほど走っただろうか。

竹下通りの外れでスクーターが止まる。

ライダーはヘルメットを脱いだ。

「あっ……」

思わず声が漏れた。

さっきバーで私を投げ飛ばした男だった。

「あの……スクーター」

「そのうち警察が持ち主に返すだろ」

まさか。

盗難車……?

「あの……あなた、一体誰なんですか」

男はゆっくり振り返る。

店で見たときの険しい表情は消えていた。

その目は、私を値踏みするというより、守るべき相手を見る目だった。

そして男は、静かに名乗った。

「七(セブン)」


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