小説が書き終わって、「読んでもらいたい」のフェーズになってからの記録③
「あ、突然すいません。
わたし、タカサキと申しまして、、、」
「あー、タカサキさん。メールもお手紙も拝読していました。
お返事できなくて申し訳なかった」
あー、良かった。
私の胡散臭い熱量しかない手紙を
読んでくださっていたのだ、と確認できた時
恥ずかしいやら、不躾だったなとか、
もうただただ申し訳ない気持ちで
心がパンパンになって張り裂けそうだった。
目には半分、涙がにじんできたし、、、。
何から話をしたら良いのか。
でも、私は単刀直入に言った。
「小説を書いたんです。お話を聞いていただけますか」
彼は編集中の原稿から、少し手をはなしペンを置いた。
そして、「もちろん」とほほ笑んだ。
どうしても書きたいことがあった。
幼い頃に経験した数奇な出来事。
そして、後になって気が付いたこと、それは。
「大人が悪い」ということだった。
私は、自分が十分大人になった今だからこそ
「大人が悪かったんだ」と堂々と言い切ることができる。
私は、いくつかの思い出したくない出来事を
小説を書くまで、ずっと封印してきた。
なぜなら、自分が全て悪かったからと
思い込んでいたからだ。
しかし、自分の子供が成人するくらいの年月が経っても
残念ながら、世の中はあまり良くなっていない。
おそらく、自分と同じような思いをして
苦しんでいる人が沢山いる。
人には言えずに、解決できなくて
密かに傷ついている人がいるなら
「あなたは悪くない」
と、私が証明したかった。
小説で。
それが、小説に託した意義だ、と。
そして、ここまでの10年間の出来事や
描く難しさ
生産性のない作品作りの罪悪感
書ききった時にあらわれた、一人の読者のこと
出版への道のりに対して途方に暮れていたこと。
一気に話をしたら
肩の力が抜けて、身体ごと床下に
崩れ落ちそうになった。
彼は、小説をどうやって書き進めたかに
興味があるようだった。
なぜなら「描き切る」ということを
作家の一番近くで見ていて
それがどれだけのエネルギーと集中力がいるかを
知っている人だから。
そして、話は広がり、今まで編集した作家さんのこと、
お互いの好きな小説の話なんかもした。
段々、深い話になって
私が読んだ
小説家自身が「小説を書く事について」
綴った本の話になった。
①職業としての小説家/村上春樹/新潮文庫
②実践「小説教室」/根本昌夫/河出書房新社
③本を書く/アニー・ディラード
④小説家としての生き方/吉本ばなな
これらを読んだ時に
共通点を自分なりに見出していたので
その話をした。
テクニックやトリックという「まやかし」ではなく
世界の絶対的な真理を純粋に捉え
正確に世界をみたものだけが
書く事ができる言葉があるのだ、ということ。
少しでも「これは魂が死ぬな」と思ったら全て止める。
媚びない。自分の生き方だけを強く信じる。
小説という表現は、どんな芸術活動の中でも
自由の最高峰だと思った。
彼は、プロの作家の編集をしている方なので
この見解には「本当にそうだね」と深く頷いてくれた。
そして、出版までのいくつかのプロセスの中で感じた
ナチュラルな疑問について
彼の経験上の話を聞きながら
「自分はどうしたいのか」を
確認する時間と移り変わっていった。
