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父の日に寄せて✒️最初で最後の二人旅。ボロブドゥール遺跡への飛行機で、父が教えてくれたこと✈️

磯貝波路です。もうすぐ父の日ですね🍀

私が物心ついた頃にはすでに父は、 

ごく普通のぽっこりお腹の狸さんのような中年親父でした。

一度だけ強い憧れがあったのか、どこかでデニムを買ってきて履いたのを見たことがありますが、

基本的に休日はゴルフウェアーで、
ハンプティダンプティみたいなぽっこりお腹の上にベルトでズボンを止め、
(よく止まってるなといつも見ていた)
食べ物を必ずお腹で受け止めてシミを作り、母に怒られていました。

友達のお父さんはお洒落でかっこ良くて、なんでうちの父はこんなに THE 中年親父みたいでダサいのか…と思春期の頃は少し父が恥ずかしかったのを覚えています。

よくドラマで目にする感謝とか、そんなの実生活の中で口にすることも、考えることもあんまりなく、

父ともう二度と会えなくなる日が来るなんて、想像さえもしませんでした。

亡くなる三ヶ月前、仕事中にも何度も電話があり、「今からいらっしゃい」と言う父。 

あのとき、行ってあげれば良かったな。

 みなさん、どうぞ親孝行だけは悔いの無いようになさってくださいね。

 お別れの日は
いつか必ずやってくるのです。

そんな父ですが、一つ今も忘れないことがあります。

父と二人きり、ボロブドール遺跡を見るためにインドネシアの古都ジョグジャカルタへ向かう機内のことでした。

 父との二人旅は私にとって初めてで、
そして今思えば最期でした。

その旅は、父が単身赴任していたジャカルタに私が一人で訪ね、約1ヶ月滞在したときのことです。

 よく喧嘩して父に反抗ばかりしていた私ですが、ふと思い立ち新卒で入った会社も辞めて、ジャカルタの父を単身で訪ねたのです。

スーツケースには母から持たされた切り干し大根や干しわかめ、いろんな日本食を詰め込んで、なぜか大きなドナルドダックのぬいぐるみをぎゅーっと押し込んで日本をあとにしました。

そんな一ヶ月の滞在の中、父は仕事一筋でインドネシア観光もしたことなかったのでしょう。 私を連れてボロブドゥールへ行くことにしたのです。

機内での食事の際、父に言われたのが、

「飛行機の中では飲み物は残しちゃダメ。絶対全部飲みなさい。」

飛行機は揺れ、こぼれやすく、また限られたスペースの飛行機では水分を捨てるスペースも限られるから。

そして片付けるCAさんへの気遣いでした。

あっ、そっか。と思い、全部慌てて飲み干したことを覚えています。

片付けてくださる方を思う視点がまだ足りず、二十歳そこそこの私は機内の飲み物を片付ける大変さまで考えがおよばなかったのです。

今思えば、日本を遠く離れ仕事をするということは、常に健康でいなくては務まりませんし、遊びの観光とは異なる覚悟がいるのだと思います。

父は観光客がよく行く現地の料理は食べず、毎日日本食。 浅漬けを自分で作ったり、自分のペースを保ち、生きていく術を工夫しながらがんばっていたのです。

持続可能な人生を送るため、現地に馴染みながら元気にやっていく知恵が必要だったんだなあと、今になって外国で働くという事のシビアさを理解出来ました。

その後未熟な私ですが、今も飛行機はもちろんレストランや訪問先でも、
水やコーヒーはセルフ以外は極力残しません。

ヨーロッパから南米と、世界中を仕事で飛び回っていた父。

ぽっこりお腹にゴルフウェアー、バックル付きのベルトでシャツ IN のダサさとのギャップが笑えるのですが、もしかしたら真の国際人だったのかもしれません。

それと同じく世のお父さんにも私は家族のために必死で働く覚悟を感じるのです。

ダサいとしか言い様のないファッションでも、きっと会社やお得意先で、一生懸命頭を下げて、時に家族の生活のため、日々のお給料のため、自分のプライドなんか捨てたときだってあるでしょう。

その生きざまは、かっこいいのです。

父に誉め言葉を伝えたことはありませんでした。 ありがとうも、陳腐すぎて言ったことがありません。

もし面と向かってありがとう!なんて言ったら、無言でオナラで返事しそうだった父。

照れ臭くて言えなかった感謝ですが、

ここに書くことで父に私の心は届いていると思っています。

拙い文章にお付き合い下さり、ありがとうございました。

皆様とご家族が、いつも幸せでありますように🍀


海が好きだった父へ
磯貝波路

私の大好きな曲。
嵐の『Blue』
会いたくて会えない人を思うせつなく、
美しい歌です。
機会があれば聞いてみてくださいね。
(昨日で活動終了ですが曲は永遠です)


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