天川村へ(Ⅰ)
【記録◆2024年12月3日】①
縄文の女神の名が残っている所を、奈良県内では2ヶ所しか知りません。
ひとつは「丹生都比売」で、もうひとつは「瀬織津比売」。
「せおりつひめ」の名が残る所に、ただ滝を見るために行ったのは昨春。
帰宅後も御祭神を調べなかったため、名を知ったのは数ヶ月後でした。
そこは新緑が美しかったので、「紅葉の季節にも行ってみよう」と考えて行き方をもういちど確かめていると、これまで知らなかった滝の名が不意に入り込んできました。そこからは遠い滝です。
あまり知られていない滝で情報は限られているのに、どの写真を見ても、「この色は……この水の色は『天川村』にだけ在る」とおもうのでした。
春から夏にかけて「清流の歌姫」と呼ばれる河鹿が鈴を転がすような声で鳴いている、という場所だから、「二本杖で歩く車椅子ユーザー」の脚では近づけない秘境かもしれないけれど、「行き方」を考えてみました。
◇◇丹生川◇◇
街を走るのが苦手なので、信号の少ない道を選び、明日香村を抜けます。「飛鳥を通って天川へ」と唱えると、まるで「夢の道」のよう。
京都に住んでいた頃には飛鳥でさえ、辿り着けない理想郷のようでした。
大和盆地に住んでからも天川は、あまりにも遠い世界でした。
しかし、いまは、古いナビには入っていない道が「山奥のハイウェイ」となってくれます。「天川村」の手前の「黒滝村」には、すぐに着けました。
先々月に撮ったのは和歌山の「丹生川(紀州丹生川)」ですが、きょうは奈良の「丹生川(大和丹生川)」を撮ります。


蛍の生息地がある「紀州丹生川」は、以下の記事内。
◇◇山上川◇◇
コルクボード(高さ90cm幅60cm)に貼った「分県地図」を眺めると、
「この道の先はどこへ繋がっているのだろう?」と、一昨年に考えた所が、本日の行き先に繋がっています。
冬季には通行止めになる道なので、そちらから向かうのは止めました。
そして、その道に「天川村」のほうから入る手前で車を降ります。
上流からだと、わたしの脚でも滝に辿り着けそう。

滝へ向かう水が透き通っていて、川底にまで川原があるよう。

遊歩道とは言い難い道で、山から流れてくる水が行く手を阻んでいます。
滝の周辺では、渡された小橋が流れ去っていることも少なくないけれど、道が崩れて流れ去っているのでしょうか。
(下流からの道なら、ここより整備されているのか?)
足には体重をかけませんが、濡れた岩の上では杖先が滑らないよう細心の注意を払い、岩の表面にある窪みを選んで杖を突きます。
肢体不自由なので、かえって、健常者の方が転ぶような所で転びません。
身体の隅々にまで意識を行き渡らせて動くため。
自宅で家事をするときには、障害が進行する前の感覚で動いてしまっては小さい傷を作っていますが(家庭の女神の領域には火や刃物も在るため)、戸外の冒険ではケガをしたことがないのです。
障害が先天性だったため、健常者がどう動いているのか知らないけれど、わたしはダンスで個人賞をいただいたことがあります。身体障害があるとは周囲も自分も分からなかった頃で、診断がついたのはその翌年。
「運動能力を決定する部分」に障害があるのに、「50m走」「反復横跳び」「上体そらし」「握力」といった体力測定値は、かつて学年で1番でした。
その全てが、わたしのような障害があると「できない」はずなのに。
スポーツは苦手でしたが、ソフトボール部の新人戦で優勝しています。
すでに遠投はできなかったけれど、キャッチャーで打順は3番でした。
頂点から現在地点までの体験を重ねてきたから、経験が総合力に加わり、必要な身体機能が無くなってからも、運動能力は捻り出せているのです。

歩いているとは言えない動き方で、傍らの流れとともに進みます。

上流から進むと、小さい瀧は、振り返らないと撮れません。





山の斜面に重なった岩の間を、川へ向かって水が流れ落ちています。
春や夏には河鹿は、ここに居るような気がしました。
こういう色の岩には、どの鉱物が含まれているのでしょうか。





「もし辿り着けないなら、そろそろ引き返さないと」と考えはじめたとき、前方に深い切れ目が見えました。たぶん、そこが滝の落ち口。

長くなったので、続きは、次の記事にいたします。
