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欲求の履歴書 ー量子コンピュータとの対話ー【最終回】

あらすじ

2030年のある日、70歳を目前に控えていた私(伊澤)は、28歳で脳科学とマーケティング・サイエンスを融合させた、次世代型ニューロ・マーケティングのスタートアップを立ち上げた鳥羽さんが開発中の、「終活 人生デトックス」ベータ版のモニターを体験することになり、東京都杉並区松庵にある鳥羽さんのオフィスを訪れた。
「終活 人生デトックス」とは、超高齢化社会特有の繊細な心理的葛藤が、社会問題化していることを背景に、終末期を迎えた人間が、少しでも安定した精神状態を保てるよう支援するヒーリングサービスだ。
「ヒガさん」と名づけられた量子コンピュータとの対話により、幼児期から高齢期に至るまでの間に生起し充足させてきた、60にも及ぶ「欲求」の履歴を示されることにある。
はたして私(伊澤)は、60番目の「欲求」である「愛」を充足したのだろうか?


思春期 第Ⅳ期(16~17歳)

「もう俺の欲求も24か」

まだ15歳なのに。

「いや、俊二さん、今、フッと思われたようにまだ15歳ですけどね。欲求の数もまだ半分に達していませんよ」

「えっ! まだ半分? 余程、俺って欲深だったんだろうね……」

ヒガさんは笑いながら答えてくれた。

「俊二さんは高校に入学して間もなく、あるきっかけから、新左翼セクトの集会に参加しましたね」

「うん、日比谷野音の『5・23狭山差別裁判糾弾集会』だね。それでも自分の通っていた高校では一切、活動はしていなかった。そういう風土と文化のない、とても平穏な高校だったからだ。3年生のときは他の高校のニセ生徒になって、潜り込んで活動していたこともあった」

「はい、よくわかっています。そして2年生のとき、とても強烈な体験をされましたね。2年生の夏までは、集会やデモでは一人で労働者の隊列に紛れていましたが、秋になってから、本格的にセクトの高校生組織に組み込まれた直後のことです」

その体験は、ヒガさんに指摘されるまでもなく、私の顕在意識に強く残っている。

「俺がセクトの高校生組織に初めてジョインしたときのことね。2年生の秋、都内のある私立高校の文化祭に潜入したら、団交のようなことが行われていて、校長先生を吊るし上げて弾劾したときでしょ?」

「はい、文化祭闘争ですね。ここは俊二さんの感想をうかがうのではなく、私が俊二さんの思考と感情を説明しましょう」

ここまでのヒガさんとのやり取りで、相当、深いレベルで私の記憶が引き出されていることを実感したし、ここはヒガさんに任せてみようと思った。

「どうぞ」

「はい。俊二さんは、自分に100パーセントの正義があると思い込み、自分より目上の人を攻撃する快感に浸りましたね。極度の興奮状態の中、脳内ではドーパミンが大量に分泌したに違いありません。第三者の視座からみると、醜悪なことこの上ないですね。中国の文化大革命の紅衛兵のような・・・・・・」

自分でも思い出すたびに痛い体験だ、が、そうだからこそ、自分で向き合うことが大切なのかもしれない。

「これが『攻撃』の欲求ですね。少なくとも主観的には、ご自身に100パーセントの正義があると信じていた。正義という概念が実は人類にとって厄介で、地獄的な概念だと気づいたのは、還暦の前後になってからでした」

ヒガさんは、私の全てをよくそこまで把握しているものだ。
量子コンピュータの進化には驚くばかり、と思考の対象を自分からズラしてみた。
それでも、不思議なことに、私はどんなに痛かった記憶を思い出すよう仕向けられても、心の底ではリラックスできる副交感神経の働きが活発になっていることが実感できた。

「あとは、またサラリと流しましょう。『攻撃』に続く欲求は数こそ多いですが、シンプルで理解しやすいでしょう」

ここは我慢するしかない、というか、痛かった自分自身と向き合ったほうがいいだろう。
そうでもしないと、自分が解放されないのかもしれない。

「いいよ、続けてみて」

「新左翼セクトの活動家だった俊二さんに芽生えて発露した欲求。〝目には目を歯には歯を〟の通り、やられたらやり返すという『反発』、革命家としての名誉を追求する『名誉』、革命家として社会で活躍できる力を持ちたいという『権力』、自分は正しいので、他人から批判されたくないという『批判回避』、革命家は一般社会での幸せを犠牲にする必要があるという『自己規制』、自身が創り上げた組織に対しての『指導』『自己主張』『批判』『集団貢献』『自己成長』。『批判』だけは権力や他党派に対してでしたけど。どうです? 沢山の欲求を満たされましたね」

自分でもウンザリするくらいの欲求が、深層心理の中からズルズルと巻き上げられている光景が見えた気がした。
私が得意だった罪悪感もそうだ。

「そういえばさ、ここでも、その後、長年引きずってきた罪悪感もあるんだ・・・・・・」

私のその一言でヒガさんは、一瞬で全てを理解したようだった。

「そのセクト内では俊二さんはオルガナイザーとして評価されていたようですね。なにしろ、俊二さんの学校と居住エリアには、俊二さん一人しかいなかったのに、ほぼ1年半で組織を創り上げたわけですから。だから当然、他人の人生を変えてしまった罪悪感があるのは自然なことでしょう」

ヒガさんに指摘されるまでもなく、それは、私の心の底に滓のように沈殿していた罪悪感だ。

「さすがに壮年期になった俺は、もうその罪悪感を忘れていたし、罪悪感を抱くのは俺の思い上がりじゃないか? と考えるようになった。俺が組織のメンバーをオルグしたのは事実だけれど、俺にオルグされた人の人生の変化にきっかけを与えただけのことで、俺が他人の人生を大きく変えてしまったという自覚は、自惚れ以外の何物でもないし、裏を返せば、オルグされた人の近親者に恨まれているだろうと想像する、つまり、最終的には自分で自分を悲劇の被害者に祭り上げるという重度の〝中二病〟じゃないか? と思ったんだよ・・・・・・」

私のこの述懐には、さすがのヒガさんも苦笑するしかなったようだ。

「いやぁ、まるでメビウスの輪のように、絡みに絡みまくった思考ですね!」

「還暦前だったと思うけど、ある本を読んでね。三島由紀夫の楯の会の制服をあつらえたのは、当時の西武百貨店の堤清二でね。1970年、市ヶ谷駐屯地での割腹自殺の後、三島宅に駆け付けた堤清二に、三島の御父君の平岡梓が消え入るような声で言ったそうだ。『あんたのところであんな制服をつくるから、倅は死んでしまった』と。これは極端な例だろうけど、俺にとっても無縁な話ではないと考えさせられたよ。俺がオルグした人の周囲には、多くの家族・親族がいたわけだし・・・・・・」

そう言った私を宥めるように、ヒガさんは答えてくれた。

「罪悪感のことは後程、じっくりお話しますね。俊二さん、ウンザリされているようですけど、唯一、活動家絡み以外の欲求もありました」

「それって、どんな欲求?」

「『教授』です」

「それは俺が創った組織での学習会のことじゃないの?」

「いえ、自ら創り上げた高校生組織の学習会でレポーターをされていた俊二さんは、党組織の綱領と方針を機械的にまとめて解説をしていただけ。自ら洗脳をされた上のことなので、本来的な『教授』には当たりません」

自ら洗脳をされた上、という事実の指摘はとても痛い。

「じゃ、いつのどういうこと?」

「2年生の倫理社会の授業の発表で、フロイトを取り上げましたよね。清水書院の人と思想シリーズの『フロイト』を買って読んでノートにまとめて、授業で発表したら、多くの級友から、わかりやすくて面白いと大ウケしました」

詳しいことまで覚えていないが、クラスの皆に大ウケした記憶はある。

「エスとかイドとか、リビドーとか?」

「そうですね。俊二さんはほとんど覚えていないでしょうけど、全くの成り行きで後年、マーケティング・リサーチの仕事をするようになってから、消費者行動研究の一環として心理学を勉強するようになりました。こういうえにしもあったわけです」

えにしがあったなんて、そんな因果関係を証明できるの? いや、そういう野暮なことは言わない方がいいよね・・・・・・」

「とにかく、自分の得意なことを人に教えたい、という『教授』の欲求は、押しつけにさえならなければ、社会的に健全な欲求ですよ」

そう言われると、逆に痛かった経験が多いことに、改めて気づかされた。

「押しつけでない、ということが大切、だよね・・・・・・」

痛かった自分の経験と向き合うことは難しい。
Facebookでよく過去の同じ日の書き込みが表示されるが、たかが1年とか数年前の書き込みでも、いざ読んでみたら恥ずかしさを感じたことも少なくはない。

「ヒガさんね、そんな俺でもずっと後になんって、そうだな? 40代の頃だったかな? 気づいたんだけど、たまたま俺は新左翼セクトの中で感じたこと、今、ヒガさんが指摘した欲求の数々ね。それらってさ、新左翼セクトやカルトな新興宗教という特殊な集団内のことだけじゃなかった。一般的な企業や学校の中でも一緒だということに気がついたんだよ。昭和という時代はさ、ブラック企業が正常な社会でもあったしね。令和になってからの諸ハラスメントへの反省っていうのは、とても健全なことだと思けど、本質的には人間と組織にとっての普遍的な問題なんだよね・・・・・・」

「その見解には私も同意します」

「どうもありがとう。そろそろまとめてくれる?」

「はい、思春期 第Ⅳ期の俊二さんの欲求。『攻撃』に始まり、『反発』『名誉』『権力』『批判回避』『自己規制』『指導』『自己主張』『批判』『集団貢献』『自己成長』、それから『教授』。16歳と17歳で12の欲求。それまでの合計で36の欲求となります」

青年期 第Ⅰ期(18歳)

「それから富士見大学に入学したんだよ、ヒガさんは既にご存知だと思うけど」

「はい、よくわかっています。幼児期のときにいいましたが、俊二さんの本質の一つは『平和』ですから、新左翼セクトの活動家としての自己イメージから離れることは必然的でした。もっとも、そのことを自覚されたのは還暦を過ぎてからでしたけど、それはいいでしょう」

ヒガさんはよくわかっている。

「俺が所属していたセクトの全国最大の拠点校、富士見大学の社会学部社会学科に入学はしたけど、学内ではそのセクトの活動家ということは秘匿していたからね。それでも自治会での活動は始めていたし、他党派の活動家からは俺の〝正体〟は感づかれていた。富士見にいたのは夏休み前の前期だけで、後期は休学。僅か4か月弱のとても短い期間だったけどね。それでも、俺の深層心理では着実かつ綿密に、活動家からの脱退という方向性をはっきりと策定していたと、後になってから気がついた・・・・・・」

「でも、その4か月弱の生活が、俊二さんの人生で最も輝いていた、と思っていましたよね?」

ヒガさんのその認識には間違いはなかった。

「輝いていた、という表現はとても適切だと思う。季節も春から夏のことだったし」

飯田橋と市ヶ谷の間にある富士見大学は、1年後に入学した西池袋にある芙蓉大学とは対照的に、地方出身者の比率が高かった。
そういう環境も私にとてもフィットしていた。

「富士見大学に入学して、俊二さんは初めて〝フツーの学生の青春〟を謳歌されたのです。もちろん、富士見大学を全国最大の拠点としていた、新左翼セクトの活動家としての自己との矛盾・乖離というジレンマもあり、結果的に退学してしまうことになりましたが、18歳の俊二さんの欲求、それは、皆と一緒に騒ぎたいという『愉楽』、皆から注目を集めたい『自己顕示』、当時の趣味のパチンコを伝播させようとした『自己開示』、人前で笑われることを避けたい『屈辱回避』、仲間と一緒に同じことをしたい『同調』、仲間と一緒に楽しいときを過ごしたい『親和』、結果として多くの友達ができた『承認』。青年期 第Ⅰ期の俊二さんの欲求は七つ。合計で43となりました」

「まだ10代なのにもう43か。今、思いついたんだけど、人間の三大欲求のうち、食欲と睡眠欲は肉体を維持するための本能でもあり、他のものとの代替はきかない。でも性欲は本能でもあるけど、代替が可能なんだよね。これは、心理学をまともに勉強したことのない素人である俺の仮説、いや、思いつきでしかないのだけれども、今の時点で43になった欲求っていうのは、性欲を代替しうる欲求なのかもしれないね・・・・・・」

そんな私のつぶやきに対して、ヒガさんは肯定も否定もしなかった。

青年期 第Ⅱ期(18~19歳)

「富士見大学の後期を休学し、受験勉強をして翌年に芙蓉大学文学部日本文学科に入学した俊二さんですが、18歳のときに始めたアルバイトの体験も見逃すことはできません」

芙蓉大学を卒業するまで、足かけ5年間続けてきた、地元の国鉄操車場での車両整備のアルバイトは、夜の7時半から12時半までで(実稼働は4時間)、当時としては高時給だった。

その結果、親からの月々の小遣いの他、多い月では20数万円の収入があったわけで、大学時代の私はお金に困ることはほとんどなかったし、実際、浪費しまくっていた。

「芙蓉大学に入ってから、新左翼セクトとの関係が自然にフェードアウトしていき、パンク・ニューウェーブ系のバンド活動を始めて、文科系のサブカル人間になったのにも関わらず、夜のアルバイトのほうは、昭和を象徴するかのような超体育会系の環境でしたよね?」

ヒガさんの指摘通りだった。今だからわかるのだけれども、人間一般にあてはまるのか、それとも、特に自分に強かった傾向なのかわからないが、自分では気づいていない自分の〝本質〟、最も大きいものはヒガさんに指摘された通り『平和』なのだが、敢えて自分の〝本質〟と真逆の自分を演じてみたいという欲求、いや欲望に突き動かされることが多かったのが、私の思春期と青春期だった。

実際、私は職場の業務を円滑に進めることが目的だったとはいえ、秩序と人のヒエラルキーを維持するための〝憎まれ役〟を自ら買って出て演じきっていたのだ。

「ここで今回のテーマである欲求とはズレれますが、その職場でのアルバイト体験は、俊二さんの価値観と人生に大きな影響を与えました」

「そうかな? 同期や先輩、後輩たちとの楽しい経験も少なくはなかったけど、何せ昭和だったしね。自ら買って出た〝憎まれ役〟を演じたことで、数多くの新人たちの心を傷つけてしまった痛恨と罪悪感は強いよ。自分がやられて嫌だったことを、今度は自分がやってしまったという悪循環・・・・・・」

ヒガさんは私のそのつぶやきに対して、思いもよらぬことを言った。

「俊二さんに罪悪感があることは仕方がないですけどね。実際、俊二さんご自身でも、被害を与えてしまった相手さんでも、全く気づかない次元で、結構、やられたりやり返したりしているものです。この10年程の間、芸能界を中心に様々なハラスメントが糾弾され、表舞台から姿を消していった有名人たちも少なくありませんでした。そういう人達のように、人々の集合意識に照らされた上で、モラルを責められ、社会的に退場を迫られたり、法律・法令に違反して、刑事罰を科せられた場合もありましたが、そのような社会的制裁や刑事罰を蒙ることとは別に、日常的にリベンジしたり、リベンジされたりということは日常茶飯事なのですよ」

どういうことかわからないけど、それはそのまま聞き捨てするわけにかいかないことだ。

「ヒガさん、それどういうこと?」

「人間の思念は、エネルギーなのですよ」

「人間の思念がエネルギーということを認めたとしても、にわかには実感できないよね、フツーは」

「そのお気持ちは理解できますけどね。人間の肉体の臓器から細胞に至るまで、様々な周波数の電気信号が飛び回っているのと同じ現象です。もちろん、自覚なんかできません。そうですね、宗教やスピの世界の〝生霊〟に喩えるとわかりやすいでしょう。生霊は恨みを抱いた死霊を遥かに凌駕するパワーがあるのです。なぜなら生きている人間同士だと、各々が発している波長が似通っているからです」

眉唾だぜ! と思いつつも、ヒガさんの説明は遮らない方がいいだろうと思った。

「にわかには信じられないのもよくわかります。でも、目には見えなくてもこの空間には放送や携帯端末の電波が飛び交っているのと同じように、人の思念というエネルギーが飛びまくっているのです。実際、10数年前のことですが、フライパンで調理していたら、あり得ない方向にフライパンが倒れながら、俊二さんの手首の裏側めがけて向かってきたという、信じられない現象を憶えていますか?」

「そんなことあったかな?」

「そんなことは、今まで数えきれないほどあったのですよ」

「じゃ、なぜ俺は、今こうして無傷なわけ?」

「もっと信じがたいことでしょうけど、目には見えない〝防御システム〟のようなものがあるのです」

「ということは、さっきの生霊の喩えに準じてみると、その防御システムとは、宗教やスピでいうところの守護霊ってことかな?」

「喩えとしてはそれで間違いはありません。そして数多くの場面で俊二さんは救われてきましたし、俊二さんがご自身では意識などしていなかった攻撃も、相手の防御システムによって迎撃されてきました」

それでもまだ納得感の薄い私だったが、ヒガさんの次の一言を聞くと、あり得ないこともないかもしれないと思った。

「俊二さんも聞いたことあるかもしれませんが、人の体の中では毎日、数千個のがん細胞が生まれています。そして、ナチュラルキラー細胞の免疫機能によって守られています。それと同じ理屈です。私がお伝えしたいのは、俊二さんが罪悪感と向き合うのはいいと思いますが、過去に引きずられて生きることはお薦めしません。眼に見えない次元で、やったりやられたりの応報が散々ありましたから。だから、もういいのです」

「わかったからさ、そこで俺の価値観と人生がどう変わったのか教えてくれない?」

「変わったというより、強い価値観が形成されたということです」

私は少しイライラしてきた。

「だからさ、早く言ってよ」

ヒガさんはなおも私を焦らしている、ように感じられた。

「まず、第一に厳しい職場環境の中、お金を稼ぐということは苦痛と引き換えという、ほぼ昭和の常識だった価値観を強烈に形成してしまったことです」

そう言われるとそんな気がしないこともないが。

「それは戦前生まれで戦後、社会人となった父親から受け継いだ価値観だと思うけど」

「その価値観はお父さんからの継承でしょう。しかし、一般的には社会人になってから身につく価値観を、俊二さんは学生の頃、強烈に身体を通して身につけてしまいました。その強烈な価値観により、普通なら学校の卒業後、フツーに社会に適合していくはずなのに、俊二さんの場合は逆に、社会に対する被害妄想的な違和感を肥大化させてしまったのです」

ヒガさんのその言葉を聞いて私はハッとした。
そのロジックこそ、私が自らの深層心理に押し込めていたもので、今、ヒガさんによって、あたかも捕獲された深海魚のように明るみに曝け出された感があったからだ。

「どうもありがとう、ヒガさん。それで二つ目は何だろうか?」

「第二には、お金があることと幸せであることは、必ずしもイコールではない、という強烈な価値観です」

「それってさ、いわゆる〝お金のブロック〟っていう奴?」

「そう表現することもできますね。政治活動から離れ、今度は音楽活動を始めたものの、元々、才能があったわけではなりませんよね?」

「うん、中学校1年生の音楽の授業でね、ギターの適性が全くないことを思い知ってから、楽器への興味は皆無だった。しかも、革命家になろうとした高校生時代には、ロックバンドなんて軟派のやることだと軽蔑していた。そんな俺が、いきなり楽器を始めたところで、順調に上達などできるわけがない。新しい音楽の世界で自分を再構築しようにも、思い通りにはいかなかったのは当然だ。だから、お金の余裕があって、レコードをいくら買ったところで、イライラは増すばかり。そして、何よりも恋愛が全くうまくいかなかった。後になって顧みると、うまくいく可能性はなかったのに、高価なプレゼントを女性に贈ったこともあった。さらに、お金を遣おうにも遣いどころがないという、今思い返すと贅沢過ぎる悩みで、自己破壊衝動に襲われたりもした・・・・・・」

「本当に贅沢病でしたね。当事者の俊二さん、さぞ苦しかったと思います。でも、観客席から第三者の立場で観ると結構、愉しめます!」

ヒガさんにそう言われても、腹は立たなかった。

それよりも、自分では全く気がついていなかった、お金に対する価値観のパラドクスには唖然としてしまった。何しろ、それから数10年間の自分の意識・思考・感情・態度・言動・行動において、潜在意識による制限をかけていた訳だから。

「少々、本題から逸れましたけど、成人を目前にした俊二さんが、昭和的価値観ど真ん中のバイト環境の下に生起して充足した欲求。それは『服従』『恭順』『協力』『支配』の4つ。ひとつひとつ解説するまでもないでしょう。合計で47ですね」

青年期 第Ⅲ期(19~28歳)

「さて、俊二さん、新左翼のセクトから離れてからの、芙蓉大学での学生生活、夜間の特殊な環境でのアルバイト。いよいよ、政治・経済の左右対立のような〝モダン〟の世界から晴れて卒業〝ポストモダン〟のフェーズに入りました。おめでとうございます!」

(何がおめでとうございますだ! この量子コンピュータ野郎! それからが大変だったんじゃねぇか)と毒づきたい感情を抑えて私は言った。

「ポストモダンと言ってもね、俺の場合、新左翼が衰退していく社会トレンドにも関わらず、セクトに入っていたわけだから、相当、遅れていたよね・・・・・・」

「その遅れを取り戻すためにも、ヒョイヒョイとニューウェーブとかサブカルの世界に、進んで巻き込まれていったのでしょうね。しかも、俊二さんはここで、本質的に根が明るかったのにも関わらず、根が暗い方が知的でお洒落で、斜に構えたカッコよさがあるという当時の風潮に影響され、根が暗い自分自身を演出するという、その後の人生を大きく左右した転換を図ってしまいました。そのことによって、本当に根の暗い人達から嫌われることになったり、後々のことになりますが、就職活動を始めた途端、芙蓉大学のアングラ演劇の人達から、一斉に攻撃されるようになりましたね。そのときに感じられた罪悪感も、俊二さんの人生に翳を落とすことになりました」

「その前に、当時から自覚はあったのだけれど、だいぶ自暴自棄な行動をとるようになったんだよ。富士見大学に入った青年期 第Ⅰ期のときのように、友達と楽しく過ごすために酒を飲んでいたのが、その1年後の第Ⅱ期からは、やり場のない衝動をどこに向ければいいのかわからず、ただ周りに当たり散らすために酒を飲むようになった・・・・・・」

「よく自覚されていましたね」

「結構、きつかったわ・・・・・・」

「ストレスを解消するために酒を飲むだけでなく、思い立ったら独りで旅に出てしまうとか。先程も言いましたけど、お金はあっても、全く幸せではなかったのですから・・・・・・」

ヒガさんは続けてこうも言った。

「この時期に入ってすぐ、そうですね、19歳の頃ですかね。精神衛生上、あまり楽しくはない酒や、突然の独り旅に出るような欲求、それが『不満解消』の欲求です。とても贅沢でしたよね、俊二さん」

ヒガさんはこう言いながら笑っていた。

笑われても仕方がないことは承知していた私は、ヒガさんを促した。

「で、その『不安解消』に続く俺の欲求は?」

「時代の先端を追求する『流行』と、大学で3年生になってからやっと勉強をする気になった『知識』です」

「そう、俺ってね、何をやっても人より遅かったんだよ。物心ついたときから、母によく言われてきた・・・・・・」

「それと『自己表現』です。自分で曲も作りましたよね。と言ってもコード進行と曲構成だけで、メロディーラインと詞はヴォーカリストにお任せでしたけど。それに20代後半と遅い時期にはなりましたが、自身で納得のいく曲も書かれました」

自分でも忘れている上に、混線している私の記憶を、量子コンピュータのヒガさんが見事にほぐして呈示してくれることに、私はもう驚かなくなっていた。このカウンセリングに慣れたのだろう。

「しかし、俊二さんの『知識』と『自己表現』には、ズレが生じてしまいました。卒業を目の前にして急に日本文学に目覚め、柄谷行人の諸著作を読み漁ったまではよかったのですが、卒業してから毎月の給料で1冊ずつ買い揃えた、古井由吉の作品集(全七巻)、奥野健男、饗庭孝男、磯田光一、三浦雅士らの評論集を積読のまま、ニューアカデミズムの本ばかり買い漁り読み漁り、ご自身のアイデンティティを文学ではなく、ロックを中心としたサブカルに求めました。この時期の最後の欲求、それが『自己認知』ですけど、俊二さんの『自己認知』は、やっと心の底から興味を持ち始めた日本文学ではなく、サブカル、しかもロックだったという捻じれ。このこともメタ認知してみれば、それなりに面白いですよ!」

全く、この量子コンピュータ野郎、いい気なもんだぜ。

「そうだね、古井由吉の作品集、奥野健男、饗庭孝男、磯田光一、三浦雅士の本を読破したのは、俺が還暦を越えてからだったからね。積読四十年っていうことになる」

「俊二さんの青年期 第Ⅲ期、西池袋の芙蓉大学生活時と卒業後に生じて充足したの欲求ですね。それは『不満解消』『流行』『知識』『自己表現』『自己認知』の5つです。合計で52まできました」

壮年期(41歳)

ヒガさんとの会話に没頭していたら、いつの間にか欲求が50を超えていた。
あとどれくらいあるのだろうか? という私の疑問を、瞬時に読み込んだらしいヒガさんはこう言い放った。

「さあ、俊二さん! 残すところあと僅かです」

「でも、まだ28歳、しかも青春期 第Ⅲ期の五つの欲求のうち四つは大学生時代のものだ。本当にあと少しなの?」

「はい。よく思い出して下さい。私が掘り起こして俊二さんに提示している欲求は、俊二さんご自身に〝初めて〟生起して充足した欲求です。これから振り返ってみる壮年期は41歳です。それまでの13年間、俊二さんは濃淡の差はあれ、52の欲求の一つ一つを繰り返し、飽きることなく〝体験〟してきたのです」

「それって、つまり俺には進歩がなかったということ?」

「いえ、欲求の生起と充足は〝進歩〟ではありません。もし、欲求の生起と充足が〝進歩〟だとしたら、これからお話する壮年期、41歳の俊二さんは〝とんでもなく遅れた奴〟、ということになってしまいますよ!」

ヒガさんは笑いながらそう答えた。

「どういうこと?」

「41歳は俊二さんにとって大きな転換期でしたよね?」

「それは間違いないね。人生最大のピンチもあったし、仕事のほうではそれまで親しんできた産業調査、マーケット・リサーチから、コンシューマ(消費者)向けのマーケティング・リサーチのほうに舵を切ったしね」

「今、俊二さんがさりげなくおっしゃった〝舵を切った〟というのが『理解』という欲求です」

「え! 『理解』ってさ、それこそ幼児期に初めて生起した欲求のように思えるけど?」

「いえ、私が言った『理解』はもっと深い意味での理解です。長い間、携わってきた業界や企業を対象とした調査であるマーケット・リサーチを深めれば、ごく自然に生活者・消費者にフォーカスを絞るマーケティング・リサーチへ進むという、俊二さんが体験したプロセスの総称を『理解』と定義したのです」

「何だかよくわからないけど、そういうことにしておこう。それから自然にアカデミア(学術)の方にもベクトルが向いて、消費者行動研究学会の学術会員になったり、マーケティング学会にも入会して、その界隈をウロチョロし始めて、ポピュラー音楽学会、最後にはコンテンツツーリズム学会理事に就任した。今では全て辞めたけどね」

「その過程で、転職を繰り返しながら、新しい分野における会社組織の一員としての自覚を高めたという『秩序』の欲求、会社内外で活動するため、自己投資を継続するための経済力をつける。これは『金銭』の欲求。転職活動を繰り返したことによる『生活安定』の欲求。これらが壮年期、俊二さん、41歳のときの欲求ですね」

「それにしてもね、今、ヒガさんに指摘されて改めて気づいたよ。さっきヒガさんが言った〝とんでもなく遅れた奴〟ってこと。『理解』はさておき、『秩序』『金銭』『生活安定』という欲求は、20代前後に初めて社会に出たタイミング、つまり、もっとずっと若い頃に生起するのがフツーな気がするよね?」

「統計学の正規分布に従えば、おそらくそうなるでしょう。昭和の価値観を基準にすれば、俊二さんは明らかに〝変な奴〟なんでしょうけど、令和の今は多様性の時代ですから、老若男女を問わず俊二さんのような人の居場所は拡がっているはずです」

「恐るべき、上から目線だね・・・・・・」

「俊二さんほどではありません・・・・・・」

「ま、いいや。実際、41歳以降の俺は、30代までの人生と大きく異なった人生を送ってきた感はある。そしてヒガさんが指摘した四つの欲求は、大切な価値観でもあり、俺の生活の中で強いリアリティを感じたのも事実だ」

「はい、そうですね。『理解』『秩序』『金銭』『生活安定』の四つの欲求、合計56になりました」

高齢期の入り口(63歳)

「さあ、俊二さん! いよいよ高齢期に入りますよ。ご覚悟はよろしいでしょうか?」

「今までヒガさんにはボロクソに言われてきたから、今更、覚悟なんて必要ないでしょ?」

「あああああああ! まだ、被害者意識が・・・・・・」

「冗談だよ、ヒガさん、いくら俺だって、自分の機嫌は自分でとろうと努力をするようにはなっているよ」

「はい、わかっております!」

そうだった。量子コンピュータのヒガさんは、私が言葉を発するまでもなく、私の意識・思考・感情は把握しているのだ。
その上で私達の会話が成立するよう、わざと惚けたり、ふざけているのだろう。
それも私の感情が爆発しない範囲内で、綿密な計算を瞬時にこなしているはずだ。

「私たちが今まで振り返ってきた俊二さんの56の欲求、それら欲求は全て俊二さんの人格から消えることはありません」

「いや、俺はね、自分でこれはいけないと気づいた欲求は消去したつもりだけど・・・・・・」

「それは無理です。ただ意識の領域であれ無意識の領域であれ、それらの欲求の発露を抑えてきただけです」

「そうなのかな?」

「そうです。そしてそれでいいのです。あなた方人間は、ポジとネガ、陰陽のバランスをとって生きる存在だからです。ポジティブだけの存在だとしたら、この三次元物質世界で生きる意味などないからです」

「また、そういう難しい話はそれとして、還暦を越えてからの俺の欲求って何?」

「まず『再発見』です。最も象徴的なことは、青年期 第Ⅱ期に強いインパクトで俊二さんの心にインプリンティングされた、お金の価値観などのブロックが解除されたことです」

「お金の重要さは壮年期以降、特に切実だった。それは今でも変わらないけど、多くの人達が信じて疑わない、お金を目的とするマインドからは自由になったね。お金は重要だけど目的ではなく手段であるとか。さらにお金の本質はフローなわけで、自分の手持ちのお金というのは、たまたま自分の手元に留まっているだけで、自分の所有物ではない。ただ流れていくのが自然で、その分入ってくるルートは確保しなければならないとか」

「割と代表的な例としてお金の話をしましたが、他にも、若い頃の俊二さんだったら、一蹴していたであろう、人間の三大欲求の話」

「ああ、そうだね、今だったら、食欲・睡眠欲・性欲の三つの欲求さえ満たせれば、人は十分、幸せだということ、それも真実の一つであると認められるようにはなったね」

「そうですね、『再発見』の欲求とは、様々なブロックの解除と、古い価値観の断捨離のことです」

「ブロックの解除と古い価値観の断捨離ね。よく言ったもんだ」

「この『再発見』の欲求は、さらなる俊二さんの欲求を誘発しました。俊二さんの幼児期からの欲求で俊二さんの本質の一つでもある『平和』。この『平和』の一つの側面に〝お人好し〟という性格があったのです。他人を拒絶することが苦手で、ずるずると他人に引きずられて、最後の最後に爆発してしまったことがよくありましたね。自分とは合わない人とでも付き合わなければならないという昭和の強烈な価値観は、もう旧来のものとして消えていくでしょう。俊二さんもSNS上で、どうしてもダメだと思う人をブロックしてアクセス禁止にし始めましたよね?」

「まだ数名だけどね」

「それでいいのですよ。余計な摩擦は避けてもいいという価値観が世の中で主流となっていますし。これが『嫌悪回避』の欲求です」

「『嫌悪回避』。いい響きだね」

「そしてもう一つは『迷惑回避』の欲求」

「『人様には迷惑をかけるな』という、日本人に強い規範のこと?」

「いや、違います。俊二さんは、その日本人に強い規範についてどうお考えですか?」

「俺も数限りなく、家族から始まって多くの人達に迷惑をかけてきたし、迷惑をかけられたりしてきた。それでも、迷惑をかけることもかけられることも、世の中でデフォルトじゃないかと思っている。ただ、意図的に迷惑をかけることはいけないわけで、その意味では日本人の規範を否定はしない。それでも、そういう意図的な迷惑ではなく、人間には、ただ存在すること自体が迷惑と思われることさえあるわけで、むしろ迷惑をかけてナンボ、迷惑をかけられてナンボでいいと思う。その認識を前提として、日々の生活では、なるべく人様に迷惑をかけないように心掛けられればいいなと思っているよ」

「それが俊二さんにとっての『迷惑回避』です」

量子コンピュータのヒガさんに誘導されている感があるものの、それはそれでいい。何しろこれはカウンセリングだからだ。

「高齢期の入りの俊二さんの欲求は、『再発見』『嫌悪回避』『迷惑回避』の三つ。合計で59です」

「この59の欲求で終わりかな? 今現在までの俺にとっての」

ヒガさんが僅かでも沈黙したのは、これが初めてだった。
それでも十秒もしないうちに、ヒガさんは口を開いた。

「実は、俊二さんの心に生起しながらも、自ら十分に満たしたのか確かではない欲求が一つだけ残っています」

私は一瞬、フリーズしかけた。
私の顕在意識の記憶を探しても、それが何であるのか想像がつかなかったものの、潜在意識のほうでは一瞬で気づいているに違いなかろうという、何とも表現することが困難な感覚だ。

「それは?」

「愛です」

痛いところを突いてきたな、と思った私だったが、それもやむなし、という気持ちも湧いてきた。

「それって、俺が一度も結婚しなかったばかりか、恋愛経験も怖ろしいぐらい少なかったということにも関係しているのかな?」

「関係していない、とは断言できません。それよりも俊二さんにとって、愛とは何ですか?」

若い頃の私だったら、(そんなこと知ったこっちゃねぇ! 意味なんてねえよ!)と一蹴していただろう。
私は答えた。

「愛とは、あるがままの他者の全てを受け入れること、だろうね・・・・・・」

「その答えは百人百様でしょうけど、俊二さんはそうお考えなのですね。では、俊二さんは、愛する人のあるがままの全ての受け入れたことはありますか?」

私は、答えられなかった。

ヒガさんは容赦なかった。

「俊二さんが今おっしゃった愛の定義に辿り着いたのは、俊二さんが60歳を過ぎてからのことでしたよね?」 

ヒガさんの言う通りだった。

「ということは、俺は還暦を過ぎるまで、愛を知らずに生きてきた ということ?」

「いや、俊二さんは生まれてからずっと、両親・家族・親族をはじめとして、数えきれない多くの人達から愛されてきました。ただ、自らが他人を愛することができなかった、ということです」

「それって、寂しすぎないか?」

「いや、今現在の俊二さんが到達された愛の定義を基準とすれば、俊二さんの今までの人生において人を愛せなかった、といことです。俊二さんが20代の頃には、20代の俊二さんにとっての愛の定義があって、ご自身では真剣に愛していたつもりだったのです。ところが、今現在の俊二さんが定義する愛を基準にすると、それまでの愛は愛なのではなく、自分本位で自分勝手、それも衝動的な欲望でしかなかった、ということになります」

私にとって耳が痛いどころではないヒガさんの指摘だったが、不思議と不快な気分になるどころか、何か余計なものが自分から溶け出していくような感覚だった。

「でも悲観することはないですよ。一度も結婚したことがない俊二さんでも想像はつくとは思いますが、ほとんどの人は、愛を明確に定義した上で結婚なんかしていませんからね。結婚後、多くの違和感を内包しつつ、死ぬまでの間に、愛を実感できない人だって少なくはありません」

「そりゃそうだろうけど・・・・・・」

「俊二さんはですね、愛以前の話になりますけど、恋愛においては受動的なほうがうまくいく人なんですよ、本質的に」

「ヒガさんにそう言われると、自分の肌感覚としてわからないこともないよ。でも確実に言えることは、自我が芽生えて以降の俺は、受動的とは正反対の態度と行動をとるようになった。まるで受動的な自分への強烈な反発、いや、憎悪のようなものは自分でも感じていたさ・・・・・・」

「30歳前後の頃、職場の同じセクションの女性が、昼食に俊二さんの分までおにぎりを作ってきて、一緒に食べさせられて、泣きたくなりましたよね。人が良かったので中々、断ることもできずに」

「そんなこともあったね・・・・・・」

「自分の本質とは逆の存在になろうと必死だった俊二さんは、自分のほうから女性に告白したりモーションをかけると9割9分は悲惨な結果に終わりました。1分の成功があっても、幸福は長くは続きませんでした」

「うん、俺も20代の頃からね、恋愛のミスマッチというやつに呪われていると自らを憐れんでいた。〝何で俺が?〟って奴ね・・・・・・」

「被害者意識、でしたね。それも加害者不明の〝漠然とした被害者意識〟・・・・・・」

「わかったよ、ヒガさん。被害者意識によって自らを拗らせるパターン。俺も見事に嵌ったわけだ」

「このカウンセリングの最後に、初めて私からアドバイスらしいアドバイスをさせていただきます。他人を愛するには、まず、自分を愛することです。それは一般的な意味での自己愛やナルシシズムではありません。醜くて正視したくなくても、ご自身の醜い部分を含めて、自らを受容することです。それなくして、人を愛することはできません」

エピローグ

「いかがでしたか? 十分にお愉しみいただけましたでしょうか?」

眠っていたわけでもないのに、まるで眼が覚めたような感覚の中、VRゴーグルを鳥羽さんの手で外された私の視界に、時計の文字盤が入ってきた。
午後3時2分だった。私がVRゴーグルを装着する直前、目に入った時計の文字盤に示されていた時刻は3時ジャストだった。

「それよりも鳥羽さん、私の記憶では午後3時にカウンセリングが始まったはずです。今、時計を見たら、まだ2分しか経っていないんですど・・・・・・」

微かに頬の左側のみに笑窪を作った鳥羽さんは、穏やかな口調でこう答えた。

「伊澤さんはお信じにはなれないでしょうけど、おっしゃる通り、カウンセリングは2分もかかりませんでした」

信じられなくて当然だ。

「私に理解できるようにご説明頂けますか?」

「伊澤さんにご理解いただけるか否かに関わらず、私にはこう説明するしかできません」

「どう説明いただけるのでしょうか?」

「これは臨死体験者の証言ですけど、数秒とかほんの短い間に、それまでの人生の全ての経験が走馬灯のように蘇ったというエピソードはご存知ですか?」

「知っていますよ」

「そのエピソードと全く同じ原理です」

そう言われても理解できない。その私の気持ちを察したのだろう、鳥羽さんはこう説明してくれた。

「最初に説明しても、まず理解して頂けないと思って、伊澤さんに説明しませんでしたが、VRゴーグルのセンサーは、伊澤さんの脳だけにアクセスしていたのではありません」

「じゃぁ、一体、私のどこにアクセスしていたのですか?」

「この話も信じていただけないでしょうけど、人間の脳とはコンピュータではありません」

「コンピュータでなければ何でしょうか?」

「わかりやすく言うと、受信機のようなものです」

「それじゃ、何をどこから受信しているのですか?」

私がこう食い下がっても、鳥羽さんには想定内のことだったと見えて、相変わらず落ち着いていた。

「ここから先は、伊澤さんだけではなく、世の中のほとんど人達にとって、トンデモなオカルト話になってしまいますので、これまでの説明でご勘弁ください。ただ、臨死体験者の意識に、ほんの数秒の間、全人生の経験を蘇らせるための驚異的な機能と容量など、脳には備わっていないことは確かです」

私はそれ以上質問をする気力が萎えてきた。
鳥羽さんは話題を変えた。

「それよりも伊澤さん、このカウンセリングを受けられた感想を教えて頂けますか?」

とにもかくにも私は、この新サービスベータ版のモニターとなることを承諾していたのだから、答える義務があると思い、こう答えた。

「おそらく鳥羽さんが想定していた目的は、果たされたのではないかと思います。ヒガさんとのやり取りは、生身の人間とのやり取りと変わりませんでしたし、その上で私の全ての経験のみならず、性格・思考・感情などを把握されていたということには、警戒感を遥かに上回る安心感がありました」

しばらく熟考していた鳥羽さんは、こう言った。

「このベータ版のカウンセリングですが、最終的にカウンセリング終了時に、お客様に麻酔をかけて数時間、お眠り頂けるよう改良してから、本格リリースすることにします。伊澤さんのおかげです、今日は本当にありがとございました!」

鳥羽さんのオフィスの玄関での去り際。
理解不能な情報の断片でカオス状態の私の顕在意識ではなく、おそらく潜在意識のほうから浮かんできた思考だろうか?
自分では思ってもいなかった、こんな言葉が私の口から発せられた。

「鳥羽さん、あくまでも、リラクゼーションサービスに徹せられるのならいいとは思いますが、〝擬人化された神〟を利用して、ビッグビジネスを目論む投資家さんには、気をつけたほうがいいですよ」

(それは無理だろうな・・・・・・)という想念が浮かんできた私は、(でも、それは鳥羽さんの問題で、私が背負い込む問題ではない)と割り切るよう努めた。

カウンセリングの効果なのだろうか、身体的にも精神的にも確実に軽くなったような感覚だ。
微かな浮遊感を堪能しながら、私は久我山駅で井の頭線の急行に乗って渋谷に向かった。

それで、私の60番目の欲求である「愛」は充足されたの? ですか?
どうなんでしょうね?

ただ、私がヒガさんのカウンセリングを受けることは、もう二度とないでしょう。1回受けただけで十分だからです。
こういうサービスを、マインドフルネスのようにリピートさせるのって、ビミョーだと思うのは私の主観ですが。
それでも、リピーターを増やすのが、鳥羽さんたちのビジョンでしょう。
だから私は、そういうビジネスからは、距離を置くようになると思うのです。

それでも私は、今回、鳥羽さんに頼まれ、量子コンピュータのヒガさんのカウンセリングを受けたことを、後悔するどころか、かけがえのない貴重な機会だったと思っています。
なぜなら、ヒガさんとの〝対話〟は全て、私の〝ひとり芝居〟だったことに気がついたからです。                                                    
                                 了

【参考資料】
「多変量解析からみた心理発生的欲求の分類と構造」白梅学園短期大学 荻野七重、立正大学 斎藤勇(『白梅学園短期大学紀要 第31号』1995年)

【参考書籍】
『河童・或阿呆の一生』(芥川龍之介、新潮文庫、1968年)
『愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家』(延江浩、講談社、2017年)

歌詞引用】
「ひとり芝居」
(作詞:山田晃士、作曲:奥野敦士)日本音楽著作権協会 作品コード 023-9738-2)

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