それは「強烈な物語の発露」なのか――Honda FCのジャイアントキリングを考える
Honda FCは物語ではない
こう聞いた時、あなたはどんな反応を示すだろうか。
そう聞くと、違和感を覚える方もいるだろう。
だが、Honda FCには背景がある。経緯がある。歴史がある。
その歴史の中で、Honda FCは幾度にも渡ってジャイアントキリング――Jリーグチームの打倒――を果たしてきた。
そして付いた評価は
「ジャイアントキリングの象徴」
「もはやJ3を倒したぐらいじゃ驚かない」
「Honda FCのジャイアントキリングは風物詩」
などなどである。
選手の苦労に思いを馳せないのか、とも考えなくはないが、そこは本題とは逸れるので、脇に置く。
さて。人はジャイアントキリング――大物食い、番狂わせ――が発生した際、一般的にどのような反応を示すか?
おそらくだが、下の者を称える。あるいは、上の者を批難する。
SNSは湧く。トレンドに入る。ニュースになる。何日かは、話題をさらうかもしれない。
だが。その反応は「一瞬の波」でしかない。
日が経てば忘れ去られ、時に「歴史上の事件」として浮かび上がる。
誤解を恐れずに言おう。私も含め、我々はその時「物語」を求めている。「実態」を、見落としてしまう。
「物語」は、我々を楽にしてくれる。だからこそ、無意識に求めてしまう。勧善懲悪のストーリーがウケるのは、良き一例だろう。
下の者が、労苦と作戦を重ねて上の者を倒す。
それは、とても美しい話だ。私も拍手を送る。
だが、時に思う。
「印象」だけで、触れてしまっていないだろうか?
背景、経緯、歴史。そういったものを、無視してしまっていないだろうか?
そんな疑念を、筆者は抱いた。
己が信じるHonda FCに、そんな無礼を働いてしまっていないだろうか。
今回、筆者はあえてこの問いに潜る。
そして、ジャイアントキリングについて、大いに疑っていく。
よろしければ、あなたにも付き合っていただきたい。
Honda FCとジャイアントキリング~物語と、実態の狭間で~
「Honda FCは、物語ではない」と、冒頭において筆者は言った。
なぜなら、Honda FCは物語としても成り立つほど、強烈な個性を放っているからだ。
Jリーグに背を向け続ける、アマチュア屈指の強豪。
選手は全員社員選手。仮にそれ以外がいたとしても、ごく少数。
常にJFL上位に君臨し、数多のJリーグ参入チームを見送り、時にその強さを刻み込んだ。
多くのJ選手を輩出し、その人数は社会人サッカークラブとしてはあまりにも頭抜けている。
この「物語」を持つチームが、Jリーグに対して牙を剥く。
その衝撃は、あまりにも大きい。言うなれば、「強烈な物語の発露」であろうか。
故に、SNSでは「勝手にバズる」。熱狂が起こる。
そして、Honda FCは誤解される。
「プロより強い」
「アマチュアの皮を被ったプロ」
「プロへ行かないだけの集団」
決して間違いではない。だが、単純に過ぎる。
そんな言説が独り歩きを始め、背景や歴史は置き去りとなる。
筆者は、それは違うと感じている。
一つ例を上げるのであれば、Honda FCは決してJリーグに背を向けたわけではない。
Jを志した中に複雑な経緯があった結果、アマチュアカテゴリに落ち着き、現在に至っている。
これらの「背景」を一概に「物語」としてしまう行為を、私は決して否定はしない。なんなら、私とてやっている可能性が高い。
だから、否定できない。「そう見えるんだね」と、頷くしかできない。
ただ、Honda FCの実態は置いていく。
弱者ではない。Jリーグとは異なる、「別軸の強者」たる姿をだ。
Honda FCの真実①~上はなくとも~
まず最初に。Honda FCはアマチュアのチームである。
JFLで優勝してもJ3へ参入することはなく、引き続きJFLにとどまる。
天皇杯のてっぺんを目指すことはできる。ジャイアントキリングを起こすことはできる。だが、アジアへと打って出られる可能性は限りなく低い。
ありていに言えば、「未来への拡張」という夢はない。そんなチームだ。
だが、このチームには戦士が集まる。
それは、「Jから声がかからなかった」だけの戦士かもしれない。
あるいは、「Honda FCが目を付け、あらかじめ狙っていた」戦士かもしれない。
しかしその程度は些事だ。
Jとは異なる、独自の基準でスカウトされた選手たち。そんな精鋭が、毎年Honda FCには集う。
それもサッカー専業ではない。本田技研工業の、社員としてだ。
彼らは午前工場で働き、午後に練習を行う。
給与も、社会人としては十分だろう。
だが、確実に脳のリソースは奪われる。
決して生半可ではない仕事と、アマチュア最強レベルの、高度なサッカー。
これら2つを、育成の段階から同時にやってのける。
ハード極まりないことである。それだけでも、尊敬の念に値する。
なぜ彼らは、そこまでのことができるのか。
一説においては、「Jから声がかからなかった」が故の、向上心があるとも言われている。
Jリーグを、個人昇格で目指す。その栄誉は、チームで昇格を目指すことと、大きくは変わらない。
クラブとしての上方展開を持たないHonda FCにおいて、一つのゴールと言えるだろう。
「Jリーグに行った仲間への反骨心」が練習の基準を高め、Honda FCの強さを導く、という構図が成立するのだ。
そしてその基準の高い強さが、Honda FCの培ってきた50年以上の歴史と融合した時。
戦士たちの手に栄光が訪れる。あるいは、Jリーグへの反逆者として、最強の刺客となる時が来る。
これが、ジャイアントキリングの裏に隠された真実、その一つだ。
Honda FCの真実②~アマチュアの皮を被ったプロ~
Honda FCにまつわる言説の一つに、「アマチュアの皮を被ったプロ」のようなものがある。
これは、半分正解であるとも言える。
Honda FCは、本田技研工業の公式サッカー部として、25人の選手を雇用している。そして先にも述べたが、午前は工場で勤務し、午後は練習に励む。
これは厳密に言えば「アマチュア」の枠に該当しない。「企業アマ」、あるいは「セミプロ」という表現が近いだろう。
つまるところ、反論のしようがない事実である。だが①で述べた通り、そこにはプロとは異なる労苦が伴う。
プロ選手がサッカーに集中し、研鑽し、時に地域から応援されるための行動に励む中。
Honda FCの選手たちは、仕事の方でも一定の能力を得なければならない。職場で信頼され、応援される選手にならねばならない。
そして、練習でも手を抜かない。
Honda FCが年月を通じて鍛え上げたメソッドに基づき、限られた時間で己を鍛え上げる。磨き上げる。
大谷翔平選手ではないが、「二刀流じみている」と言っても許されるだろう。彼らは、それほどのことをやっている。
その研磨の果てにあるものこそが、JFL優勝と、天皇杯でのジャイアントキリングなのだ。
これを一言で「プロの皮を被ったアマチュア」と表現するのは、少し乱暴ではないか。筆者はそう、感じてしまうのだ。
Honda FCの真実③~彼らは本当に「下」なのか?~
ジャイアントキリングの意味。それは「巨人殺し」。転じて「下の者が上の者を倒す」ことである。
つまるところJFL所属であるHonda FCは、Jリーグの「下」とみなされている。これは、事実だ。
厳密にはJ3とJFLは同格扱いとなっているが、プロとアマという立場の違い、入れ替え戦の存在によって、下という扱いが定着しつつある。
だが。Honda FCについては若干異なると筆者は思う。
まず一つ。彼らはJSL――日本サッカーリーグ――の時代からほぼほぼアマチュアのトップカテゴリに座している。
そして一廉の強者として、上位層の一枠を抑えて来た。
そして紆余曲折を経て今なお。JFL最強の一角に立ち、相応のリスペクトを受けている。
Honda FCを知る者ほど、Honda FCを正しく恐れてくれている。
これは果たして、「下の者」あるいは、「弱者」であろうか?
否。「Jとは異なる道に立っただけの、一廉の強者」だ。
Honda FCは強者としてフィールドに立ち、強者として勝負に挑んでいるのだ。
たしかに。Honda FCのジャイアントキリングは、単純に言えば「下の者による一刺し」となる。
物語においては、「アマチュアチームの快挙」ともとれよう。
だが、実態は違う。
「Jとは別軸に生きる強者が、Jチームを討った」
それだけなのだ。
故に。「もはやJ3を倒したぐらいじゃ驚かない」という言葉には頷くしかない。
少々単純な物言いではある。だがHonda FCの積み上げてきた歴史や実績は、ややもすれば、ほとんどのJ3チームよりも濃い。
そんなチームがJ3を討ったところで、当然とまでは言わない。だが、「起こり得ること」の一つとして捉えられている。
すなわち、「Honda FCを正しく恐れる」に該当する一節でもあるのだ。
故に、私は改めて定義する。
Honda FCとは、弱者ではない。拡張を持たぬまま、勝ち続ける構造を維持してきた強者である。
派手ではない。だが、過酷だ。そして異質。この道に至ったHonda FCを、私は改めて誇らしく思う。
結:「物語」は、否定しない。されど
前述した通り、我々は得てして物語に身を委ねがちである。
物語は、気持ちがいい。立場を明確にしてくれる。世界を、単純にしてくれる。
そして私とて、それは例外ではない。
私がHonda FCにどっぷり浸かり始めたのも「浦和レッズを倒した」という物語からだ。
そして今こうして記事を書いているのも、「物語」に与した行為である可能性は高い。
だが、「物語」は終わる。「現実」に戻る。
私が言いたいのは、「物語で終わるのはもったいない」ということだ。
Honda FCは、「物語」ではない。だが、一つのロマンではある。
なんのロマンか。「Jとは異なる軸に立った、歴史と伝統、実績を持った強豪チームが、どこまでその力を誇示できるか」だ。
これは、天皇杯やジャイアントキリングに限った話ではない。普段のJFLにあっても、「門番」とまで称されるほどの力を持っている。
その力を示せなければ評価は落ち、「時代が変わった」とまで囁かれる。
故に、Honda FCの抱える現実はこうだ。
「25人という選手層で、新卒選手を春に数人採用しながら、育成もやりつつ、伝統に裏付けられた戦術と卓越した集団連携で、移籍活動が活発な他チームを打ち倒し、勝利し続けねばならない。しかも、選手は常に仕事を持っている」。
言葉にして改めて感じた。これは、かなりの難業だ。サッカーの熟練者ならば、その難しさがよりわかるはずだ。
Honda FCには物語がある。ロマンがある。だが同時に、重い現実も抱えている。
その立場でありながら、強者を保つということ。それはもはや、恐るべき行為とすら言い得る。
重ねて言おう。私は、「物語」を否定しない。
ただ、「物語だけに終わってほしくない」。「消費だけで終わってほしくない」。「正しく見据えてほしい」。
私はそう、考え続けている。
