【創作】初恋
ククロが話し終わった。何ともまあ、コイツは作り話が下手だなと改めて思った。よくある「お前だ」系に終わり、肝心のその締め台詞もうるさいだけで、明らかに不発していた。やっと緩やかな地獄が終わり、次は私の番だ。この日に使うためだけに適当に組んだルーレットアプリのボタンを押す。目尻に、びっくりして酒をこぼしたタルモがククロを小突き、床を拭かせている様子がみえた。そうしているうちにもルーレットは速度を落とし、キーワードが確定された。映った文言を見て、さっそくトカが口を開く。
「おい大丈夫かよ、お前に色のついた思い出とかあんのか?」
「バカにしてるのか。私にだってあるわ、初恋くらい」
私を抜いた3人が、ククロのときとは比にならないくらい話に聞き入ろうとしているのが分かる。雰囲気のために引っ張り出した蝋燭が、小屋の壁の木目を妖しい色で覆っている。
今でこそ獣人の権利は人間と同等まで引き上げられ、目に入るビルの中で獣人が働いてるのも日常風景になってかなり時間が経つ。しかし、私たちが子供の頃は全然ちがった。突然世に現れた獣人という種は、当然人の法で守られている生き物ではないので、文字通り好き勝手されていた。さすがに暴行や隷属のような扱いをする者は少なかったが、それに満たない、人間らしい静かな虐待は横行していた。
私の家は、地元ではちょっとした重鎮のようなものだった。自治区内の意思決定に関わることもあるくらいだったそうだが、家を捨てた今となってはそこまで知りたいとは思わない。私が彼女と出逢ったのは、二等学校に行っていた頃。新暦がはじまって5年だったのでたしか、三年生だった。私が学校から帰る道には、小さな空地があった。まともに管理されているようには見えず、もう瓦礫と言ったほうがいいくらいの建材のような何かと、クモが引っ付いていそうな背の高い草ばかりだった。その建材の端に、彼女はいつも居たのだ。ネコに似た耳、ほぼ人間ではあるが、どこかネコ科らしさを感じさせる顔立ち。薄汚れた服の中から、細い尻尾も見える。じっと座ったまま動かず、見ているんだか見ていないんだかの目を、足元に向けていた。
私の家はたしかに何ともいえない重圧を感じさせるような雰囲気はあるが、子供にそこまで厳しい制約を課すような家族ではなかったので、多少遅く帰ろうが咎められなかった。なので、私が彼女と話すようになったのはそう不自然なことでもない。どっちから踏み込んだかは憶えてないものの、私はいつも学校帰りに30分ほど、彼女と過ごしていた。
「あたしは、そんなにすごくないよ。綺麗な生活なんてとてもできない。何かを食べるだけで精一杯なのにね」
「いや、人には出来ないことばっかじゃないか。僕たちなんて、木に登るためにまず梯子とロープを用意するところから始めるんだし、ものを食べるには、まずお金が要る。人間社会はお金でどうにもできるけど、代わりにお金がないとなにも出来ないと思い込むようにまでなってるんだ。お笑いだろう」
想像の通りだが、彼女はひとりだった。それはそうだ、もともと獣人というのが、何かの遺伝子操作実験の副産物だったからだ。発覚したときには問題の種は既にばら撒かれており、完全な駆除をするには人道に大きく反するような施策が必要だった。
「今、あたし夢を見てるんじゃないかって思うの」
「どうしてさ。夢にしては、景観がちょっと悪すぎるよ」
「ううん、人になにかを話すのって、なかったから。獣人はいちおうヒトから枝分かれしているせいか、言葉の理解力は人並みにある。昔、ほかの子と一緒に勉強して、あなたとこうやって話せてる。その分、人から何か言われたら、その意味も分かっちゃうから、それは辛いかな。……まあ、字はまだ分からないけどね。獣人と人語を話すことはあっても、人に人語を話すことなかったから」
彼女は、あまりこちらの目を見て話さない。目を合わせたくないのだろうというより、無意識のように見えた。どこか何かを思いながら、そっちに意識を半分ほど割いているようだった。そのおかげで、彼女の大きな耳の毛が風に揺れるようすが、よく記憶に残っている。
私たちは、2ヶ月ほど一緒にいた。はじめのうちは私の学校帰りだけだったので休日に顔を合わせることはなかったのだが、私はしだいに彼女のことを考える時間が増えた。私がいない間はどうしているのだろう、しっかり食べているのか。そうなってからは休日にもわざわざ顔を出すようになり、そのうち家からこっそり食材を持ち出すようになった。獣人に人間と同じものを与えていいのかは不安だったが、はじめて持って行ったとき、彼女は静かに泣いていた。朽ちた木がいよいよ崩れるように、ごくごく穏やかに。そこから私は定期的に、ときに自分の金を使い、調理しなくても食べられるものを持って行った。
「ねえ、あたしたち結構こうしているのに、まだ名前しらないよね」
「たしかに、呼ぶ必要がない距離でいつもいるから」
「あたしは、あなたの名前を知りたい。もし万一、会えなくなった時がきて、名前を知らなかったら絶対に後悔しちゃう。だめかな」
「いや、こっちも切り出そうか迷ってたんだ。僕は……、ジャーユ。家名……家族全体につく名前は、トウホ」
「……うん、ジャーユ、ジャーユね。あなたらしいかも。ピッタリ」
「それ、悪口かい?」
「まさか!」
彼女は、ここ数週間で笑う回数が増えた。出会ったばかりの頃は、もう顔が表情という全てを忘れてしまったようだった。でも、彼女は笑うととてもかわいかった。ネコのような、獣のような面立ちが残る顔。小さい鼻と、吊った目がよく目立つ彼女はかわいかった。この顔が見られるだけでも、当時の私はうれしかった。
「……フレット。家名とかは……ないけど。フレットは、拾ってくれたトラの獣人につけてもらったの。その人は今どうしてるかは分からないけど……」
「家名がないってことは、これからつけられる。フレットには何が似合うかな」
「じゃあ、あなたのをくれるの?」
フレットは、今までで一番いたずらっぽく笑っていた。私はその表情に打ちのめされ、何も言えなかった。
彼女との時間をこのまま味わえるとは欠片も思っていなかった。私は彼女の隅まで惚れてしまった日から程なく、一等学校への進学が決まっていた。その一等学校は地方最大の授業レベルであり、距離も遠かった。私はそれに合わせて、しばらく一人暮らしをすることになっていたのだ。彼女と会える時間は、一本の燭台のようだった。
「一等学校って、どんなところなの?」
「……大きくて、人がいて。学ぶことも高度になるんだ。僕は量子力学とか、そういうの」
「ふうん、あたしは……難しいことわかんないや。あたしも勉強ができれば、ジャーユとまだ一緒にいられたかな」
彼女はだんだん、最初のように目を合わせなくなっていった。だんだん、表情が消えていった。声からも箔が取れてゆく。私たちはこの頃になると、お互いがお互いに何を思っているのか、何を見ているのかがなんとなく分かっていた。だからこそ、私は言わずにはいられなかった。
「……行くの、やめるよ。僕は一等学校なんかに行ったってやりたい事なんて本当はないんだ。だから、行くのはやめる。フレットに__」
「なにを、言ってるの」
私は狼狽えた。表情のなくなった彼女から見えた、初めての、怒りに。
「そんなこと許されると、いいえ、あなたの家が許したってあたしが許さない。あなたは一等学校に行けるくらいの幸せを掴んでいるのに。それに、そんな大層なことを学べるなら何だってできるでしょう。そんな幸せ、未来をこんな、こんなみすぼらしい獣人ひとりのためになんて捨てないで」
彼女の声は、至極落ち着いていた。だからこそ、声にすら表す余裕もないくらい、私の言動に怒っているのが、いたい程わかった。
「あなたは……ジャーユは、こんなところであたしと燻っているべきではないの。あたしも……。人と獣人は、やっぱり一緒にいるべきじゃ、なかった」
私は認めたくなかった。そんなもの、フレットと天秤にかけたら飛んで行ってしまうくらいのものだと示したかった。しかし、私はうまいことを何も言えなかった。私は二等学校で一番に近い成績で、フレットにもいろいろものを教えられて。だが、私はただお勉強ができるだけの子供だった。バカバカしいまでに子供だった。
「……ジャーユは、もうここに来ちゃ、だめ。あたしも、もう来ない。大丈夫、身を置くための荒地なんか、いまはどこにだって溢れてる」
何もかも違うと言いたかった。しかしそれをフレットにたたきつけるだけの言葉は、あのときの私には紡げない。
「……あたし、やっぱり夢をみてた」
フレットは、私の手を、うっすら毛の見える自分の両手で握る。
「いままで悪夢ばっかり。目が覚めたらぜんぶ忘れるのに、イヤだったことだけはじっとりおぼえているの」
そのまま、顔に私の手を埋める。そのうち手にしっとり冷たさが走る。
「だからこの夢は忘れてあげない。あたしはこのために生きてきて、これを抱えて生きていくの」
通る彼女の声に、靄がかかりだす。手はもうじっとり湿りきっている。人と獣人、二人の時間はここで、終わった。
私は郵便受けを覗くのをさぼる癖がある。私は一等学校にいた時代にスカウトされたエージェント訓練施設に就職することを決め、そこで家を出ていくことを決めた。だがそのおかげで、こうした私の隠れた怠惰さが次々と出てきている。洗濯も、洗った量の8割ほどしか干さない。のこりの2割は新しい洗濯物に埋もれ、意味もなく洗われていっている。
郵便受けにはそこそこ詰まっていた。公共料金はちゃんと払っているから督促の心配はないが、近所のピザ屋のチラシや商業施設のイベントポスター、変な宗教のパンフなど。いつも通りのラインナップ。が、その中に異様に細長い封筒があるのが見えた。
「なんだ、保険か?」
しかし保険にしてはあっさりし過ぎている。封筒の表面には、同僚の名前があった。あいつから直々に?しかも紙で?この時代、知り合いからスレッド以外で情報をもらうなんて。部屋に戻りながら封をやぶる。内容は、以下のようなものだった。
人権協会の獣人本部より、ジャーユ宛に届いた手紙があったらしい。ただ、お前はちょうど休職中だったので俺に回ってきた。本部によると、手紙の差出人はエマという獣人のようだが、執筆者はまたちがうらしい。中身が完全に獣人語だったから、俺の厚意で翻訳符も同梱しといてやったぞ。今度なんかおごれ。
「トカのヤツ……復職したら覚えてろよ」
見ると中には更に二枚の紙がある。片方は翻訳符で、もう片方は獣人語、それもかなりレベルが高そうなもので、翻訳符なしでは到底読めない。
しかし、この字を見た瞬間、私はひとつの仮定が頭に浮かんだ。それはとてもうれしく、かなしく、私の心臓をただ締め付ける。一気に右の手が震えてくるが、かまわず翻訳符を翳し__
おそらくだれにも、ジャーユにすら、届かないかもしれない。だけど、あたしはすこしでも欠かさないために、忘れないとか、そんな程度じゃなく。あたしは欠かしたくない幸せのためにこの手紙を書く。あれから泣いて、泣いて、なにも食べる気が起きなくなっても、あたしは生きた。これを少しでも失ったときが、あたしの死ぬときだと思って。だけどあたしは生きている。生きていくの。そうして生きていくなかで、獣人の子供たちは人間に対して、だんだん希望をもつようになった。私のように泥の中から掬われるような勢いはないけれど、すこしずつ人と獣人が近づいているような気がしてくる。そうしたら、あたしにとってのジャーユがみんなに現れてくれると思ってる。悪夢から引きずりだしてくれるかもしれないけど、みんなにひとときでも夢をみせてくれるなら、それだけでも私はうれしい。
私はあなたに、価値では到底はかれないものをもらった。この、何よりもうつくしい、あたたかいものを零さず抱えて、あたしはあたしの思う限り、うつくしく生きます。あなたも同じでありますように。
0006 / 06 / 23
フレット
