【第15回】不登校支援のリアル② 文科省の理想とは遠い現場
前回の振り返りと今回のテーマ
前回(第14回)では、外部支援者が学校の中で十分に生かされず、「補助」や「見守る人」といった立場にとどまってしまう現実について書いた。
【第14回】不登校支援のリアル
学校によって状況はさまざまだが、外部が「チーム」というより「外側の存在」として扱われやすい背景を取り上げた。
前半では、支援員や専門職がどんな環境に置かれているのかを見ていく。
不安定な立場でもこの仕事を選ぶ理由、そして続けられずに辞めてしまう人が多い現実――。
その背景をたどったうえで、後半では学校の先生たちからの視点に移っていきたい。
支援員や専門職の現実
自治体にもよるが、基本的に支援員は教員免許を持っていても、時給は最低賃金に近い。
休み時間などは他の教員同様にほとんど取れない。
給食の時間も、教室に行けない生徒の代わりに取りに行き、昼休みは事務作業や情報交換に充てる。
放課後は、別教室の生徒は他の生徒に会いたくないことが多いため、一人ひとりを人気の少ない場所に誘導して帰すなどをする。
下校時刻は16時前後だが、勤務時間はだいたい15時までとされている学校が多い。
そのため時間外労働が発生するが、ほとんどの自治体では賃金は支払われない。
実質的には最低賃金を下回ることも多いのが現状である。
スクールカウンセラー(SC)やスクールソーシャルワーカー(SSW)もまた、非正規の立場にある。
時給自体は支援員より高めに設定されているが、勤務日数が限られているため、それだけで生活していくことはできない。
多くの人が掛け持ちで働いており、そのため社会保険に加入できないケースも少なくない。
学校に来ている間は、生徒対応や先生との相談に追われ、支援員と同様に休憩時間を取る余裕はほとんどない。
週に一度や二度しか入れない勤務形態では、生徒の様子を継続的に見守ることも難しい。
それでも、この仕事を選ぶのは、自分の経験や知識を生かしたい、学校に行きづらさを抱える子の力になりたい――そうした願いがあるからだ。
実際、親の会などに行くと、「かつて自分自身が不登校だった」「自分の子どもが不登校だった」という人が、今は不登校支援の仕事に就いている例を多く見かける。
自分が味わったつらい経験が、誰かのためになるのではないか――そう考えて現場に立つ人も少なくない。
だが、思いがあっても続けられない人が多いのも現実だ。
待遇の厳しさもあるが、それ以上に重くのしかかるのは、前回(第14回)で書いたように、学校ごとに大きく異なる「外部を受け入れる体制」の差である。
せっかくの知識や経験が生かされず、自分の存在意義が見えなくなることが、何よりも苦しい。
ときには、熱心に動くことでかえって先生との距離を生んでしまったり、学校内のバランスを崩してしまうことすらある。
また、学校との考え方の違いに戸惑う人も多い。
だいぶ変わってきたとはいえ、今でも「本人の意思を十分に確認しないまま、学校復帰に向けたステップを組む」学校は少なくない。
支援関係者は「生徒の成長にとって何が最善か」を考える人が多いため、そのズレに落胆してしまう。
さらに、支援員や外部専門家は学校内で対等な立場とはいえない。
その思いを先生たちと率直に話し合える機会は、ほとんど与えられていないのが実情だ。
こうして理想と現実の差に消耗し、やがて辞めていく人が後を絶たない。
結果として支援者が定着せず、毎年のように担当が入れ替わる学校も少なくない。
実際、私の見てきた学校でも、支援員・SC・SSWすべてが3年以内に入れ替わった。
学校の先生たちから見た外部
ここまで見てきたのは、外部支援者の立場からの現状だった。
では、学校の先生たちから外部はどう見えているのだろうか。
まず押さえておきたいのは、外部を「よそ者」として突き放しているわけではないという点だ。
むしろ多くの場合、先生たちは支援員や専門職と協力していきたい気持ちを持っていると思う。
それでも現実には「外部と一緒にやるのは難しい」と感じてしまう。
その理由のひとつは、外部人材が現場からの要望で配置されるのではなく、上から降ってくる形で入ってくることだ。
国などの方針で急にポジションができ、人だけが送られてくるのが現状である。
どんな人物なのか、具体的にどんな役割を担うのか学校も本人も分からないまま現場にやってくる。
結果として、仕事内容をどうするかは学校に丸投げされ、支援員本人も「教育委員会から現場で決めてくれと言われました」となり双方戸惑う。
準備や調整もすべて先生に任されるため、ありがたさを感じる一方で、『その人を迎える準備に割く時間があるなら、正規職員を一人増やしてほしい』という声が出てしまうのも無理はない。
また、現場の先生にとって、外部が入ることは必ずしも「負担が減る」ことを意味しない。
むしろ仕事が増えると感じることのほうが多い。
たとえば、支援員に生徒の情報を渡すためには、資料を整えたり背景を説明したりする準備が必要になる。
新しいポジションを迎えるにあたり準備や管理しなくてはいけないことも増える。
支援員や専門職との連絡、打ち合わせなどのやりとりにも時間を割かれる。
さらに、専門職が入ることで、これまで問題として扱っていなかったことが掘り起こされ、新しい対応や基準、配慮が求められることもある。
これは、生徒や保護者には喜ばしいことであるが、それだけ負担が増すということでもある。
結果的に、先生たちからすると「外部が入ることで逆に仕事が増えた」という事態が起こる。
さらに、外部の人材は長く続かないことが多い。
数年以内に担当が入れ替わる学校も珍しくなく、「この人は来年度もいるのかどうか」が常に不透明だ。
加えて、学校現場は日々トラブルが起き、そのたびに即時対応を迫られる。
週に一度しか来ない人を軸に据えるのは現実的ではなく、どうしても事後報告的になりやすい。
また、最終的な責任は学校にあり、重圧は担任や学年にのしかかる。
そう考えると、どうしても外部を「補助的な人」「とりあえず見守ってもらう人」と位置づけざるを得ないと思われる。
馴染みやすさと、新しい視点の入りにくさ
そういったことから、結果的に各非常勤支援関係の立場は、その自治体で勤めていた退職教員であることが多い。
元同僚や顔見知りである場合も多く、先生たちにとっては人となりがわかっている安心感があり、学校文化に慣れているため、現場にも馴染みやすい。
その反面、学校文化に親和的であるがゆえに「学校復帰を前提とした支援」に偏りやすい面もある。
その結果、生徒からは「教室にいるのとあまり変わらない」と感じられることもある。
また、外部配置ならではの新しい視点が入りにくく、現場に変化をもたらしにくいという弱点も生まれてしまう。
もっとも、すべての退職教員がそうだというわけではないし、まったく見知らぬ人が必ずしもよいとも限らない。
ここで述べているのは、あくまでも私自身や周囲の支援員から聞いた範囲での傾向にすぎない。
すれ違いの構造とその皺寄せ
こうして見てみると、外部支援員も先生たちも、それぞれに苦しい現状を抱えている。
方向性の違いなどからすれ違いが生まれ、結果的に定着もしない。
一方で先生たちも、最終的な責任を背負いながら日々の業務やトラブルに追われ、外部と協力したいと思っていても難しい状況にある。
そして、その悪循環の皺寄せが、最終的には生徒や保護者に向かってしまう。
ようやく来られた場が安定せず、支援者が入れ替わるたびに関係性が断ち切られる。
本来は子どもにとっての支援が、いつのまにか大人の都合に振り回されてしまっているのが現状だ。
もちろん、これらの問題をすぐに解決できる方法はない。
本気で考えるなら、それぞれの立場が意見を出し合い、時間をかけて取り組むしかないのだと思う。
しかし、その時間が本当にない。
目まぐるしく日々は過ぎ、年度は次々に変わり、生徒は入れ替わり、先生も数年単位で移動していく。
気づけばまた卒業式を迎え、「学校は本当にこれで良いのか」と葛藤するのが、年度末の私のお決まりになっている。
次回予告
次回は、私自身が経験してきた「別教室」のあり方を通して見えてきた、ダブルスタンダードの問題について考えたいと思います。
