見出し画像

最初に配られたカードに、人生を決めさせない 聖書「ヤベツの祈り」を人生の戦略論として読む

まずその構造図を先に置きます

ヤベツの祈り 四弘誓願 の構造

最初に配られたカードに、人生を決めさせない―「ヤベツの祈り」を人生の戦略論として読む

人生には、自分では選べないものがある。

どこに生まれるか。
誰の子として生まれるか。
どんな身体を持つか。
どんな時代に生まれるか。

ゲームにたとえるなら、最初に配られるカードは選べない。

けれども、配られたカードとゲームの結末は同じものではない。

旧約聖書には、そのことをわずか二節で示すような人物が登場する。

その名は、ヤベツである。

「悲しみ」と名づけられた男

『歴代誌上』4章9〜10節に、ヤベツという人物が突然登場する。

母親は彼を「ヤベツ」と名づけた。「私は悲しみの中で彼を産んだから」という理由だった。

そしてヤベツはイスラエルの神に祈る。

「どうか私を大いに祝福し、私の地境を広げ、あなたの御手が私とともにあって、私を悪から守り、悲しませないでください」

聖書はその直後、

「神は彼が求めたことを彼に与えた」

と記している。

たったこれだけの短い物語である。

しかし構造を見ると、かなり興味深い。

ヤベツは、いわば人生の最初に「悲しみ」というカードを配られた人間だからだ。

本人が選んだわけではない。

生まれたときから、他者によって「悲しみ」という物語を与えられている。

それでも彼は、その物語を自分の未来として受け入れなかった。

ここに「ヤベツの祈り」の核心がある。

初期条件は、運命ではない

私たちも似たようなカードを持っている。

家庭環境、経済状態、学歴、容姿、才能、性格、過去の失敗。

さらには、

「お前には無理だ」

「うちの家系はこういうものだ」

「私は昔からこういう性格だから」

といった言葉まで、いつの間にか自分のカードになっている。


問題は、カードそのものよりも、

「このカードが配られたのだから、この人生になるしかない」
と思い込むことにある。


ここでヤベツは違う行動を取った。

悲しみ

「ヤベツ」という名前

与えられた自己物語

その物語を未来として固定しない

神に祈る

「私の地境を広げてください」

この「地境を広げる」という言葉が重要だ。

単に「もっと成功させてください」と読む必要はない。

もっと抽象化すれば、

「現在の私によって設定されている人生の境界を、未来の境界にしないでください」
という祈りとして読むことができる。


人生は「配られたカード」だけで決まらない

ゲームの構造として考えてみよう。

人生には少なくとも四つの要素がある。

初期条件=配られたカード

戦略空間=自分が選択できる行動

地境=自分がアクセスできるゲーム盤

目的関数=何をもって人生の「勝ち」とするか

この四つは同じではない。

最初のカードが悪くても、戦略は変えられる。

戦略を変えれば、接する人間も、入ってくる情報も、利用できる資源も変わる。

さらに面白いことに、ヤベツは単に「このカードでどう勝つか」と祈っているのではない。

「私の地境を広げてください」
と願っている。

つまり比喩的に読めば、

ゲーム盤そのものを広げてくれ!

と言っているのである。

これはかなり戦略的な発想だ。

「今いる場所でどう勝つか」だけを考える必要はない。

ときには、

「そもそも、私はこのゲームを続ける必要があるのか」

「別の場所なら、自分のカードの意味が変わるのではないか」

と考えていい。

環境を変える。

付き合う人を変える。

学ぶ領域を変える。

仕事を変える。

新しい共同体に入る。

これらはすべて、人生の「地境」を広げる行為ともいえる。

そして最後に「何を勝ちとするか」が残る

しかし、ここにはもう一つ問題がある。

ゲーム盤を広げたところで、
何のために広げるのか。


という問題だ。

金を増やすためなのか。

地位を得るためなのか。

人から認められるためなのか。

影響力を持つためなのか。

ここを決めなければ、「地境を広げる」は際限のない欲望にもなり得る。

だから人生では、戦略以上に「目的関数」が重要になる。

何を最大化するゲームなのか?

キリスト教的にヤベツを読むなら、神から与えられた祝福や地境を、自分だけの欲望のためではなく、より大きな使命のために用いるという解釈が可能になる。

そして興味深いことに、大乗仏教には、この「目的関数」を極端なところまで拡張した誓願がある。

四弘誓願である。

「衆生無辺誓願度」
――生きとし生けるものは限りないが、救うことを誓う。

「煩悩無尽誓願断」
――煩悩は尽きないが、断つことを誓う。

「法門無量誓願学」
――学ぶべき法は無量だが、学び尽くすことを誓う。

「仏道無上誓願成」
――この上ない仏道を成就することを誓う。

ここでは最初から「地境」がほとんど無限に設定されている。

ヤベツが、

「私の地境を広げてください」

と祈るなら、

四弘誓願は、

「その広がった地境を、何のために使うのか」

を定める誓願として読むことができる。

もちろんキリスト教と仏教を同一視することはできない。

しかし人生の構造として並べると、面白いものが見えてくる。

ヤベツの祈り

与えられた境界を超える

四弘誓願

境界を超えて何をするのかを決める

そして自分自身

その目的に耐えられる器へ変わっていく

配られたカードに、呪縛されない


私たちは、人生の最初のカードを選べない。
しかも、そのカードにはしばしば他人が名前までつけている。


「才能がない」

「もう年だから」

「この家に生まれたから」

「一度失敗したから」

「私はこういう人間だから」

それらは事実であることもある。

しかし、

事実であることと、未来を決定することは別である。

ヤベツは「悲しみ」という名前そのものを消そうとはしなかった。

過去を書き換えたわけでもない。

その代わりに神へ向かって、

「私の地境を広げてください」

と祈った。

ここに一つの人生戦略がある。

最初に配られたカードは選べない。
しかし、そのカードをどう使うかは選べる。
さらに、どのゲーム盤で戦うかも変えられる。
そして最後には、何を「勝ち」とする人生なのかまで問い直すことができる。

「ヤベツの祈り」は、願えば成功するという単純な話ではない。

悲しみから名づけられた一人の人間が、
「過去に与えられた名前を、未来の地境にはしない」

と神に向かって宣言した祈りとして読むと、その二節はまったく違って見えてくる。

#ヤベツの祈り #ヤベツ #聖書 #旧約聖書 #歴代誌 #キリスト教 #祈り #四弘誓願 #仏教 #大乗仏教 #仏教哲学 #衆生無辺誓願度 #人生哲学 #生き方 #運命 #人生を変える #自己変容 #自己理解 #人生戦略 #ゲーム理論 #目的関数 #初期条件 #選択 #地境を広げる #使命 #祈りと誓願 #構造思考 #構造ロジック分析 #哲学を日常に #note記事

いいなと思ったら応援しよう!