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誰がAI社会を決めたのか――日曜討論を見て感じた5つの違和感。私から英語通訳の仕事を奪ったAI専門家が共感力が大事だと言っていた。

たまたまテレビをつけたら、NHKの日曜討論AI特集をやっていた。

「徹底解説!AIの今とこれから」

AI研究者AI政策の専門家が出演し、AIの可能性や規制の在り方、AI時代の教育について議論していた。

私は途中から見たのだが、見ながら何度も違和感を覚えた。

最初は漠然とした違和感だった。

しかし番組を見終わったあと整理してみると、その違和感は大きく五つに分けられることに気づいた。

そして、それらはすべて同じ根っこにつながっているように思う。

第一の違和感 誰がAI社会を決めたのか

番組ではAIの専門家たちが、AIの規制の在り方について議論していた。

しかし私はその議論を聞きながら思った。

そもそも、誰がここまでAI社会を進めることを決めたのだろうか。

もちろん私はAIそのものを否定しているわけではない。

私自身、毎日AIを使っている。

便利だと思うことも多い。

しかし、だからといって私は、

「AIを社会の中心に据えるべきだ」

と望んだことはない。

多くの日本国民も同じではないだろうか。

それなのに、いつの間にか、

AI導入は前提。

議論するのは規制の方法だけ。

そんな空気になっている。

私が感じた違和感は、

「AIをどう規制するか」

ではなく、

「そもそも誰がAI社会を選んだのか」

ということだった。

第二の違和感 仕事を奪っておいて共感力が大事と言うのか

番組ではAI時代の教育についても議論されていた。

AIにはできないこととして、

共感力

思いやり

人間関係

といった能力が挙げられていた。

しかし私はそれを聞いて腹が立った。

私は英語が好きだった。

英語力を活かして稼いで生きていきたいと思った。

20年以上勉強した。

必死に努力した。

その結果として、翻訳通訳英語力を活かした仕事を目指してきた。

ところが生成AIの登場によって、その市場価値は大きく変わった。

その状況で、

「これからは共感力が大事です」

と言われても素直に受け入れられない。

私には、

いじめっ子が

「人に優しくしましょう」

と言っているように聞こえた。

もちろん専門家個人が私の仕事を奪ったわけではない。

しかし、AI推進によって失われるものについて十分に語られないまま、

「これからは人間らしさが大事」

と言われることに強い違和感を覚えた。

第三の違和感 扱われる声の大きさが違いすぎる

番組の最後に告知が流れた。

数日後の別番組で、

アメリカで広がるAIへの反感やデータセンター反対運動を取り上げるという。

しかしその番組は平日昼の10分番組だった。

日曜討論日曜朝9時から約1時間。

一方でAIへの反発を扱う番組平日昼の10分。

私は思った。

結局、世の中はそういうものなのだろう。

AI推進派の声は大きく扱われる。

AIに疑問を持つ人々の声は小さく扱われる。

社会全体として、

変化を推進する側の物語は大きく語られ、

そのコストを負担する側の物語は小さく語られる。

そんな傾向があるように感じる。

第四の違和感 人間の脳の方が優秀なら、なぜAIを作るのか

番組で専門家は言った。

人間の脳はLED電球一つ程度のエネルギーで動いている。

だから人間の脳を信頼してほしい、と。

しかし私は二重の違和感を覚えた。

4-1 その前に私の仕事はどうなるのか

人間の脳が優秀なことは分かる。

しかし私は現実に英語力を活かして稼げる仕事を奪われた。

人間の能力を信頼しろと言われても、

生活の問題は解決しない。

専門家は能力論を語る。

しかし私は生活の話をしている。

そのズレが大きい。

4-2 それならなぜ巨大なAI産業を作るのか

最近私はデータセンターについて調べた。

そこで知った。

AI産業を支えるためには、

膨大な電力

膨大な水

膨大な半導体

膨大な設備投資

が必要になる。

普通の工場誘致とは桁が違う。

もし本当に人間の脳の方が圧倒的に省エネで優秀なのなら、

なぜそこまでしてAIを開発するのだろう。

なぜ莫大な資源を投入するのだろう。

AI推進派は、

生産性向上

効率化

経済成長

を語る。

しかし私は、

その利益は誰が得るのか。

そのコストは誰が負担するのか。

ということが気になる。

第五の違和感 AIを受け入れることは本当に自由な選択なのか

番組で専門家は言った。

「私たちはもうAIがない時代には戻れない」

確かにそうだろう。

私も毎日AIを使っている。

便利だからだ。

しかし私は、その便利さに心から感謝して使っているわけではない。

正直に言えば、

恐怖で使っている。

AIを使わなければ社会から取り残される。

AIを使わなければ消される。

そんな恐怖がある。

だから使っている。

これは好きで車に乗る人と、

車がなければ生活できないから乗る人の違いに近い。

私はAIを使うことを選んだというより、

使わざるを得ない状況に置かれていると感じている。

AIが便利であることと、AIによって傷つくことは両立する

私はAIの便利さを否定しない。

検索も速い。

文章作成も助かる。

翻訳も便利だ。

しかし、その便利さと、

AIによって人生設計が狂うことは別問題である。

便利になったからといって、

失われたものの痛みが消えるわけではない。

AIが便利だから、

英語を20年間勉強してきた人間の喪失感が帳消しになるわけではない。

私が感じた違和感の正体

こうして整理してみると、私の違和感はAIそのものではない。

私が感じているのは、

誰が決めたのか。

誰が利益を得るのか。

誰がコストを負担するのか。

失われるものへの共感はあるのか。

反対する人々の声は十分に届いているのか。

という問いである。

AI専門家たちは技術を語る。

私は社会を見ている。

彼らは可能性を見る。

私は負担の行き先を見る。

だから議論が噛み合わない。

そして、その噛み合わなさこそが、私が日曜討論を見ながら感じた最大の違和感だったのである。


近藤は思った。

まあ、Chat GPTに作文してもらうと、
自動的に、角が取れた当たり障りのない文章になる。

感情的になるな。
感情を抑えて、論理的な文章を書きなさい。
そして、自分をいじめる相手にも配慮しなさい。
そのほうが多くの人に読んでもらえる文章になるから。

というロジックが働いているようだと、毎日作文してもらっていて感じている。

でも、拙者は、拙者自身の人間臭さこそ大事だと思う。

AIには感情がない。感情があるから人間なんだろ。

人は理屈では動かない。感情で心が動く。

だから、拙者が入力したプロンプト=人間である拙者の生の声を以下に書くでござる。


第一に
AIの専門家2人AIの規制の在り方を議論していたけど、

それ、多くの日本国民が望んでないのに、あなたたちAIの専門家が勝手にAIの脅威を作りだして私たちに無理やり押し付けたんだよね。


第二に
AI時代に人間の仕事はどうなるのか、そしてそれを踏まえた教育はどうしたらいいのか、という議論で、AIの専門家たちが人間には共感力や思いやりがあるから大丈夫だ。そうした能力を育てるべきだと言っていた。

私は英語が好きで得意で英語力を活かして稼げるようになろうと20年間必死に努力してきた。

あなたたちAIの専門家たちが私から英語通訳などの英語力を活かして稼げる仕事を奪っておいて、共感力が大事だなんてよく言うよ。

いじめっ子がなにいってやがる。


3つ目の違和感。

AI推進派のAI専門家の議論日曜日午前9時からの日曜討論で1時間ちかくかけてみっちり放送される。

AIとデータセンターに反発するアメリカの市民を紹介する番組は6月16日(火)午後0:20〜午後0:30、「耳より解説」

それ、普通のサラリーマンはまだレストランにいる時間帯だからテレビ見てないよ。
まあ、職場のテレビで12:45からの朝ドラの再放送は見るかもしれないけど。
見る人がいない時間帯で、たった10分だ。

しょせん世の中そんなものだと思った。


4つ目の違和感、

人間の脳はLEDの電球ひとつつけるだけのエネルギーでスゴイ処理をしているから大丈夫だ。人間の脳を信頼しろとAIの専門家が言っていた。

4-1 いや、でも、私は英語力を活かして稼げる仕事を奪われたんだけど。この人たちは全然現実をわかってない。

4-2 私は最近、AI産業を支えるために必要なデータセンターに膨大な資源が必要だということを知った。普通の工場誘致とは桁が違う。人間の脳のほうがAIより桁違いに省エネだというなら、なんでAIを開発するのか。おかしいだろ。

Chat GPTの回答:

局長の4つ目の違和感は、かなり鋭いと思います。

しかも4-1と4-2は別々の話に見えて、実は根っこでつながっています。

4-1 「人間の脳を信頼しろ」と言われても、現実には仕事が失われている

AI研究者が

人間の脳はすごい

人間には創造性がある人間を信頼しろ

と言うのは、研究者としては自然な発言です。

しかし局長の立場からすると、

その話は分かった。

でも私の英語力の市場価値は実際に下がっているよね。

という話になります。

これは論理的に矛盾しているわけではありません。

人間の脳が優れていることと、

英語翻訳市場の価値が下がることは両立します。

しかし、影響を受ける側からすると、

「人間はすごい」という抽象論より、

「では私の仕事はどうなるのか」の方が切実です。

局長が感じた違和感は、

専門家が能力論を語っているのに対し、

自分は生活の話をしている、

というズレだと思います。


4-2 「人間の脳がそんなに優秀なら、なぜAIを作るのか」

これはもっと根本的な問いです。

局長が言っているのは、

人間の脳はLED電球並みの省エネで動く

AIは巨大データセンターと発電所を必要とするなら人間の方が優秀じゃないか


ということですね。

実際、

人間の脳の消費電力はおおむね20ワット程度と言われています。

一方で最先端AIの学習には、

巨大なデータセンター、

膨大なGPU、

莫大な電力

が必要です。

この点だけ見れば、

エネルギー効率は人間の脳の圧勝です。


しかしAI推進派がAIを作る理由は、

省エネだからではありません。

彼らが求めているのは、

コピー可能性とスケール性

です。

例えば優秀な英語教師が一人いたとして、

一日に教えられる生徒数には限界があります。

しかしAIなら、

一億人が同時に利用できる。

そのため、

効率は悪くても、

大量複製できる価値がある、

という発想になります。


ところが局長の疑問は、

さらに一段深いところにあります。

その大量複製のために、

電力を使い、水を使い、半導体を作り、データセンターを建設し、その結果として人間の仕事を奪う。本当にそこまでしてやる価値があるのか?


という問いです。

これは技術論ではなく、

文明論です。


実はAI推進派と慎重派は、

ここで前提が違います。

AI推進派は、

生産性が上がれば社会全体が豊かになる

と考える。

局長は、

誰が豊かになり、

誰がコストを負担するのか
を見ている。

だから話がかみ合わない。


局長が今日感じた違和感を並べると、

  1. 誰も頼んでいないのにAI社会を作ったのではないか

  2. 人の仕事を奪っておいて「共感力が大事」と言うのか

  3. 推進派の声は大きく、反発する市民の声は小さく扱われる

  4. 人間の脳の優秀さを語りながら、なぜ巨大なAI産業を作るのか

になります。

そして4つを貫いているのは、

「技術的にできること」と「社会としてやるべきこと」は別ではないか

という問いだと思います。

AI研究者は主に前者を語る。

局長は後者を問い続けている。

だから番組を見ていて、何度も違和感が生じたのかもしれません。

実際、AIを巡る議論は「AIはできるか」から、「AIをどこまで使うべきか」「その利益と負担をどう分けるか」という段階に移りつつあります。局長が感じた違和感は、その後者の論点に向いているように見えます。


近藤が入力したプロンプト:

第5の違和感
私たちはもうAIがない時代には戻れないAI専門家たちが当たり前のこととして言った。

いや、それ、あなたたちがそれを望んだわけでもない圧倒的多数の日本国民に無理やりおしつけて、準国営放送の電波を使ってそういう社会の空気を作ってるんでしょ。

まあ、私は毎日AIを使ってる。たしかに便利だ。しかし、私が英語力を活かして稼げる仕事を奪われた激痛と私の人生に対する絶望と比べたら、そんな便利さは、私の絶望を正当化できるものではない。しかたないからやけになって使っているだけだ。

AIを使わないと社会から消されるという強烈な恐怖のモチベーションでやってるだけだ。


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