社員戦隊ホウセキ V 第3部/第4話;いろいろな気持ち
前回
八月三十日の月曜日。戦いが終わってから、十一日目。光里は未だ入院を続けている。
十縷は普段通り、新杜宝飾に出勤した。十縷がデザイン制作部の部屋に着いた時、既に和都は自分の机で仕事を始める準備をしていた。
「どうも。おはようございます」
制作に異動した十縷の席は、部屋の奥の方だ。十縷は軽く挨拶をして、和都の席の横を通り過ぎようとした。しかし、何故か呼び止められた。
「どうした? なんか、調子悪いのか?」
和都にそう言われて十縷は狼狽えた。実際に体調不良などではないので「大丈夫ですよ」と返したが、和都は納得がいかないのか、首を傾げていた。
「朝の鍛錬、止めない方が良かったんじゃないのか?」
席を立ちながらそう言った和都は、眉間に皺を寄せていた。十縷は和都に叱責されると思い、ここは笑ってごまかす作戦に出た。
「いやいや。仕事終わりの筋トレは続けてるから、良くないですか? 祐徳先生が『急に止めると体に悪い』って仰ったから…。毎日五時起きは、流石に厳しいですって」
苦笑しながら十縷は言ったが、心は恐怖で震えていた。
(ワットさんは「早起きの必要が無くなったと思って、夜更かししてんだろ?」とか言うかな? そう来たら、どうする?)
次に来る和都の言葉を想定しながら、十縷は対応を考える。しかし、十縷が思ってる程、和都は厳しくなかった。
「体を動かしてると余計なことを考えなくなるから、嫌な気分を紛らわせるならそれば良いかと思ったんだが…。俺とお前は違うからな」
和都は腕組をして、唸りながらそう言った。どうやら十縷を説教する気など微塵も無いらしい。
(ワットさん、僕のことを心配しててるのか?)
そう気付いた十縷は、何だか申し訳ない気持ちになった。だから、誤魔化すことにした。
「嫌な気分なんて、ありませんよ! 何も問題ありません」
十縷は空元気でそう言ったが、随分と芝居じみていると、自分で言いながら思っていた。実際にバレバレのようで、和都は溜息を吐いていた。
「それなら良いんだが…。無理だけはすんなよ」
和都はそれだけ言うと、また席に座った。十縷は軽く会釈だけして、静かに踵を返した。
(何してんだよ! 変な心配掛けさせて!)
十縷は自分が情けなく思えて、心の中で自分を叱責した。
片や和都は、部屋の奥へと歩いて行く十縷の背に、ずっと心配そうな眼差しを送っていた。
(平気な訳ねえよな。姫が殺されて、神明も足が動かなくなったんだ。当分は、どうしても暗いままだよな…)
和都は十縷を案じていたが、内容は少し異なっていた。これは、和都がリヨモの死や光里の負傷を、それだけ重大に感じている証拠でもあった。
始業時刻の八時四十五分になった。十縷も和都も他の社員も、それぞれの持ち場で仕事を始めた。
十縷はデザイナーが描いた図面を読み取り、金属を成形する。精密さと繊細さが命の手作業なので、雑念は厳禁だ。今の十縷はいろいろな悩みを抱えているが、作業を始めると不思議と他のことを考えなくなり、集中できていた。そのことに、十縷自身も気付いていなかったが。
一度、十縷はトイレの為に席を立った。席を外したのは数分で、すぐに戻って作業を再開しようとしたが、その時に後ろから声を掛けられた。
「熱田エロ助。一段と気合が入ってるな」
ガラガラ声だった。十縷が振り向くと、そこには力野木綿登が立っていた。「何の用事か?」と十縷が疑問を抱くより先に、力野は十縷が成形していた物を手に取り、まじまじと眺めながら言った。
「こんだけできれば、俺も安心して定年退職できるな」
定年退職と聞き、思わず十縷は吹き出しそうになった。
「待ってくださいよ。定年退職なんて、かなり先の話じゃないですか?」
軽いノリで十縷が言うと、力野は厳かな笑みを浮かべた。
「七年なんてすぐだぞ。まあ、定年後も嘱託職員かバイトか、そんな立場で続けるんだろうが…。んなことより、お前に訊きたいことがある」
話している途中で、力野の顔が真剣になった。十縷も思わず背筋が伸びる。十縷に緊張感を与えた力野は、少し間を開けてから話し始めた。
「お前、最初はデザインがやりたかったみたいだが、制作に来てどうだ? この先、お前はどっちの道に進みたい?」
力野の問はそれなりに重い内容だったので、十縷は即答できなかった。
(いや…。実は、今はデザインでも制作でもなくて、ジュエランド美術館の学芸員が…)
これが十縷の本心だが、素直に力野に話してしまうのは憚られた。悩んでいる十縷を、力野はじっと見ていた。
「お前の人生だからな。しっかり考えろ。希望があったら、愛作さんに言えよ。あんだけの大仕事をしたんだ。多少のワガママは許して貰わねえとな」
そうとだけ言って、力野は自分の持ち場に戻って行った。十縷は力野の言葉を反復する。
(あんだけの大仕事か…。僕の貢献度なんて、大したこと無いけどな。それより、社長に言えば希望が通る率が高いのか。だけど、それ以前に光里ちゃん…。いや。それよりも、僕にとって本当に学芸員が一番なのか、それを確かめるんだよな)
十縷は作業台と向き合いはしたが、作業とは違うことを考え始めていた。だから失敗を避ける為に、手を止めて思考に集中することにした。昨日の自問を思い返し、まず浮かんだのは絵が好きになった理由だった。
(父さんが変な理由で引手リゾートを追い出されたから急に引っ越して、友達ができるまでは家の中で絵を描いてるばっかりだった。急な引っ越しが納得できなかったから、唐尾の絵ばっかり描いてた…)
絵は自分にとって、現実逃避の手段だった。そして、気付いたら趣味になっていた。お世辞にもカッコいい理由ではないが、これが真実だから仕方ない。
(結局、引手リゾートっていう会社への憎しみが、僕の原動力なのか? まあ、ザイガどころか、スケイリーにもニクシムに誘われたくらいだしな…)
浮かんで来た自嘲のような思考を、十縷は鼻で笑った。しかしその数秒後、いきなりある重要なことに気付いた。
(待て。絵を描いてる時って、「引手リゾートが憎い!」みたいなことを考えてたか? 考えてないよな…)
十縷は気付いた。自分が絵に叩きつけていた感情は憎しみではないことに。更に、こんなことにも気付いた。
(モーメントさんに話し掛けられる前まで、ジュエランド美術館のこととかも考えてなかったよな…)
考えていくと、どんどん他の情報が十縷の頭の中を駆け巡り始める。
「体を動かしてると余計なことを考えなくなるから、嫌な気分を紛らわせるならそれば良いかと思ったんだが…。俺とお前は違うからな」
「自分の夢を手放して良いの? 仕事なら何でも良かった私と違って、ジュールはジュエリーデザイナーを目指して、新杜宝飾に入ったんでしょう?」
「感謝と称する上辺だけの薄っぺらい言動などいらん。救われたことがそんなに嬉しいなら、次はお前が他の誰かに同じことをしろ」
程なくして全ての情報が十縷の中で繋がり、一本の糸になった。
「インスピ湧いた…! やっと解ったよ…!」
十縷は思わず呟いた。その目を、希望で輝かせながら。
九月三日の金曜日。終業後、伊禰は焼肉屋に立ち寄った。同年代の女性と二人で。
二人席に対面する形で座り、火で炙られる金網に肉を並べながら、二人は話す。
「パーっと呑んだ方が良い気がするけど、本当に良いの?」
そう言った相手の女性の傍らには、ビールの入った大ジョッキが置かれていた。烏龍茶の入ったジョッキを傍らに置いた伊禰は、静かに首を横に振った。
「いえ。パスカル君に断酒を強要している以上、私が飲酒する訳にはいきません」
そんな伊禰の回答に、相手は苦笑した。
「葦田さんのことになると固いよね」
そして相手はトングで焼けた肉を摘まみ、自分の取り皿にどんどん入れて行く。
「ちょっとは笑いなよ。思い切って転職したら、いきなり失恋だった痛い女が目の前に居るんだよ? 面白くない?」
相手の女性は笑いながらそう言った。しかし、伊禰の表情に変化は無いどころか、むしろ不機嫌そうになった。
「笑えません。ご自分を卑下するような発言は、なさらないで欲しいです」
伊禰は真剣な顔で相手に言った。相手は口を噤み、小刻みに頭を振った。
伊禰と焼肉を食べている女性は、新杜宝飾に中途入社した専女安和。葦田の営業先だったIT系の企業・シモーダで不当なパワハラを受けていた、江戸大卒の女性だ。葦田がシモーダの社長とひと悶着起こした後、安和は新杜宝飾に転職した。あれから約二か月が経ち、安和は新杜宝飾に馴染んでいた。
「ごめん。そういうの、嫌いだったよね」
安和は自分を卑下した発言を詫びつつ、トングを伊禰に渡した。伊禰は焼肉を二つほど、自分の取り皿に取った。
「でもお姐さんが暗いと、みんな安心できないじゃん。光里さんだって、今のお姐さんを見たら、嫌だと思うよ。大変だと思うけど、勢力付けて頑張ろう」
安和は肉を食しながら、伊禰を励まそうとする。伊禰は静かに頷き、小口で肉を食べた。
二人だけの女子会は一時間半程度で終わり、伊禰と安和はそれぞれの帰路に就いた。
伊禰が乗換えの駅のホームで、ベンチに座って電車を待っている時だった。スマホの振動を感じたので、バッグからスマホを出した。SNSのDMで、送信者は光里だった。
💬
【こんばんは。光里です。来週あたりには、退院できそうな見込みです😆 退院する日が決まったら、またお知らせします。できれば、社員戦隊の皆さんで退院祝いパーティでも開いてもらえたら嬉しいかも🥰】
文面を読んでいると、伊禰の目には涙が溢れてきた。嬉しさや悲しさ、いろいろな感情が複雑に入り乱れていた。暫くスマホの画面を注視していると、やがて次のメッセージが送信されてきた。
💬
【お姐さん、一回くらいお見舞いに来て欲しいです😒 話相手がいなくて、退屈なんですよ😭 小曽化浄先生の漫画の話とか、付き合って欲しいです😁】
公共の場所なので、伊禰は盛れそうになった嗚咽を懸命に堪えた。スマホの画面にも、何滴も涙が零れた。
(ごめんなさい。今の貴方を見たら、確実に泣いてしまいますから…。余計な心労を掛けてしまいますから…)
これを文面に起こすか否か、伊禰は悩んだ。なかなか決断できなかった。
「来週ですわね。退院記念パーティ、開きましょう。その時までには、絶対に泣き止みますわ」
気温が下がり切らない夜の駅のホームで、伊禰は静かに決意していた。
次回へ続く!
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