【連載小説】save the gene | 第5話 B級ナチュラル 前編
Part 1 これで疑われないはずがない
聖修院高校の、容赦のない理系科目が終わり、放課後の喧騒が教室に満ちる中、一戸天馬とその友人、山崎國男は下校の準備を始めていた。西日が校庭の鉄棒に長い影を落としている。
「なぁ、天馬。放課後、図書室で自習しないか?数学の応用で分からないところがあってさ」山崎が少し躊躇いがちに言った。
天馬は制服に着替えながら答えた。「悪いな、山崎。今日は葉子と一緒に帰る約束があるんだ。俺も少し用事があって」
山崎は微妙な表情を浮かべた。「あのさぁ……それって……」
その言葉を遮るように、明るい声が教室に響いた。「こら!あんたたち!」
桜木葉子が腕を組み、少し呆れたように二人を見ている。「以前トラブルがあったのに、よく仲良くしていられるわね!」
天馬は苦笑した。「別に、悪霊を退治したんだからいいだろ?まぁ、悪霊ってほどじゃないけど」
山崎は頭を掻きながら言った。「俺はそのケはあるけど、同性の彼氏と付き合ったことなくてさぁ……その方面のルールがあまり詳しくなかったんだよ」
葉子はため息をついた。「山崎が魔が差したことは分かったわ。私、天馬と一緒に帰るけど、山崎も一緒に帰る?」
山崎は少し迷った後、首を振った。「いや、悪い。今日中に数学の復習しねえと、明日ついていけねえんだ。残るよ!」
天馬は心配そうに言った。「あまり肩肘張るなよ、山崎!時間ばかりかけても効率悪いぞ。大事なのは、まず公式を覚えて後暗記じゃなく論理的に理解することだからな」
葉子は明るく言った。「じゃあ山崎!頑張ってね!いくよ天馬!」
天馬は鞄を肩にかけ、山崎に手を振った。「ああ!山崎、じゃあなまた」
葉子と天馬が教室を出て行く後ろ姿を見送りながら、山崎は内心で呟いた。「可愛い同い年の幼馴染と同居してて、一緒に下校する……それで、疑われないわけがないんだよな……」
彼は、その状況がありふれた日常であるかのように振る舞う天馬の鈍感さに、複雑な思いを抱きながら、一人残された教室で重い腰を上げた。机の上の問題集が、現実を突きつけているようだった。
Part 2 大きな障壁
夕焼けが空を茜色に染め上げる中、天馬と葉子は、いつも利用するバス停と同じ方向へ、ゆっくりと歩き始めた。住宅街は静けさに包まれ、家々の窓からは夕食の支度をする音が微かに聞こえてくる。
「俺、バイト先のgene社開発の『ジェネシス・オデッセイ』やってるんだぜ!見てみろよ、このレアキャラ!」天馬はスマートフォンの画面を葉子に自慢げに突き出した。「しかもスタミナはいつも無限!無課金でもガチャ引き放題なんだからな!」
隣を歩く葉子は、額に滲む汗を手の甲で拭いながら、目を丸くして画面を覗き込んだ。「へえ……ソシャゲを無課金でここまでやり込めるなんて、ちょっと信じられないわね……まるでチートみたいね」

天馬は満足そうに頷いた。「だろ?ジーンとのバイトは、普通のバイトじゃ考えられないくらい給料がいいんだ。それに加え福利厚生で、こうして最新のゲームも堪能できるし、俺ってやっぱり、何か特別な才能を持ってるんじゃないかって思うんだよな!」彼は、少しばかり自惚れたような口調で言った。
その言葉を聞いた葉子は、足を止め、真剣な眼差しで天馬を見つめた。「ちょっと、あんたの言ってるそのバイト……やっぱり引っかかるわ。あまりにも都合が良すぎるじゃない。あからさまに怪しいわね」
天馬は一瞬言葉に詰まったが、すぐに取り繕うように言った。「あからさまにってなんだよ!そりゃあ、楽な仕事ばかりじゃないんだぜ!大変な時は本当に大変なんだからな!……ほら、この前の戦いでだって、結構危ない目に遭ったし……いや、まあ、重労働で疲れることもあるってことだよ!」彼は、以前、異形の存在である“ナチュラル”との戦闘で負傷した経験を、無意識にかばうように言い直した。
葉子は、天馬の曖昧な言い方に一層疑念を深めた。「つまり、その高額なバイトは、あなたがそう簡単に辞めたくないほど、表向きは大変ではない、と?」
「それがどうかしたのかよ?」天馬は葉子の追及に、少し語気を強めて問い返した。
葉子は、天馬の目をじっと見つめ、改めて強い警告を発した。「天馬!あんた、いつかきっと……本当に大きな障壁にぶち当たるわよ!もっと慎重になった方がいい!」
二人の間に、軽い沈黙が流れた。その時、背後からフワフワとした浮遊音が近づいてきた。振り返ると、ボーリング玉ほどの大きさの、奇妙なぬいぐるみのようなキャラクター、ジーンが、彼らの頭上を飛びながら現れた。「やあ!」
「ジーンだ!」葉子は驚きの声を上げ、思わずジーンに抱き着いた。その小さな体を自分の頬に優しく押し当て、すりすりとした。「きゃあああ、可愛い!」
突然の抱擁に、ジーンは「もごもご……」と小さくうめいた。少し息苦しそうだ。
ようやく解放されたジーンは、体をブルブルと震わせ、天馬に向き直った。「天馬、急だけど、この近くのファミリーレストラン『ギャスト』で緊急作戦会議を開こう!日曜日に、君にどうしても消化してもらいたい重要な案件があるんだ!」
「ああ、わかった」天馬は素直に頷いた。「じゃあ葉子!悪いけど、俺はジーンと少し用事があるから、先に帰っててくれるか?」
葉子は少し不満そうな表情を浮かべたものの、すぐに諦めたように肩をすくめた。「別に、あんたの勝手だから好きにすればいいわ。ただ、さっき言ったことだけは、ちゃんと心に留めておいてよね!」
そう言い残して、葉子は少し早足で一人、家路を急いだ。天馬は、ジーンと共に、すぐ近くに見えるファミリーレストラン「ギャスト」の看板を目指して歩き出した。
Part 3 天馬の質問
ギャストの店員に促され、天馬とジーンは窓際のボックス席に落ち着いた。天馬はギャストのタッチパネルを開くとすぐにデザートのページに目を奪われ、「クリームぜんざいとセットドリンクバー」を注文した。注文ボタンを押したら、天馬は早速ドリンクバーへと向かい、カルピスをグラスに注いで戻ってきた。

クリームぜんざいが運ばれてくるのを待ちながら、天馬は以前から気になっていた疑問を口にした。「なぁ、ジーン。いつも最後のプロンプトに『save the gene!!』って入力しなきゃいけないの?その遺伝子を救え、って意味だろ?別に遺伝子を救ったような感覚はないんだけど……」
ジーンは、天馬の素朴な疑問に納得したように頷いた。「ああ、それね。実は当初の企画案では『save the values!!』(価値観を救え)だったんだ。でも、それだと自分の思想を押し付けているみたいでしょ?」
「ああ、なんかそういう批判を浴びたくないように言葉を選ぶ気持ち、わかるわ!」天馬はカルピスを一口飲みながら共感を示した。
ジーンは続けた。「僕達の会社も『gene japan.』っていうのを知ってる?君もよく知ってる某超大企業の特務機関だ。僕の名前もジーンだしね。この会社はよく『gene』って言葉を名前に使うことが多いから、プロンプトも『values』はやめて『gene』で統一したんだ」
「なるほどね、わかった!」天馬はすっきりした表情で頷いた。そして、すぐに別の疑問を投げかけた。「俺、今C級と戦ってるじゃん。B級とA級もあるんだろ?それってC級とどう違うの?」
ジーンは少し真剣な表情で説明を始めた。「厳密にはRANK C、RANK B、RANK Aっていうんだけど、僕達が言いやすいように何級って言い方をしているんだ。そのC級は、君が今相手にしているような、弱いナチュラルだ。そして、問題なのがB級なんだけど……」
天馬も少し身を乗り出し、ジーンの説明に耳を傾けた。
ジーンは続けた。「C級とB級の間には、大きな隔たりがあるんだ!C級がただの雑魚だとすれば、B級はまさにBOSSモンスターだと認識していい。そして、今の君の実力では、B級に絶対に勝てない!」
天馬は、ジーンの警告をどこか他人事のように捉え、お調子者の顔で言った。「だって、C級だって問題なく倒してるんだぜ!俺は学業もいいし、こうやって高収入だし、B級だってきっとやれるさ!」C級相手に、時折サボりながらもそれなりに成果を出していた天馬は、今日はすっかり天狗になっていた。
ジーンは冷ややかに言った。「君は慢心しているね……C級なんて、別に君じゃなくても誰でもいいわけよ。最終的に君に狩ってもらいたいのは、もっと上のA級なんだから」
ジーンの言葉に、天馬は少し冷静さを取り戻し、問い返した。「じゃあ、そのBOSS級のB級がインフレしてるとして、A級はどうなの?」
ジーンは、その質問を遮るようにきっぱりと言った。「それは、君がもっと成長してから話すよ!」
こうして天馬の質問は終わり、二人はようやく、ジーンが持ちかけてきた本題へと話題を移すことになった。運ばれてきたクリームぜんざいを一口食べながら、天馬はジーンの次の言葉を待った。
Part 4 小学校のいじめ
ジーンは、クリームぜんざいをゆっくりと味わう天馬を見ながら、本題へと入った。「まず、天馬。悪いけど、一度化粧室に行ってこのスマコンを装着してきてくれる?」
天馬は特に驚く様子もなく、「ああ、わかった」と立ち上がった。まるで日頃から指示されていることに慣れているかのように、迷うことなく化粧室へと向かった。数分後、咳払いをしながら戻ってきた天馬は、目を少し丸くしていた。「これ、ちょっと付け心地いいな」
ジーンは彼の言葉に答えた。「ああ、今回一時的に使うものだから、1dayタイプのソフトなやつを用意したんだ」
天馬は軽く頷いた。そして、ジーンは今回の案件の内容を提示した。「今回の依頼は、学校で起こっているいじめを解決するというものだ。スマコンに『江戸川区 小学校 いじめ save the gene!!』と入力して」
天馬は少しばかり面倒くさそうな表情を浮かべた。「いじめ……またちょっとした探偵ごっこみたいなことをやるってこと?」
ジーンはすかさず言った。「仕事はなるべく楽な方を選んできたつもりだよ。あれ?何か納得いかない?C級の弱いナチュラルだけ相手にして、楽に稼ぎたいんじゃないの?」
天馬は慌てて否定した。「い、いや……そんなことは……」と言いながら、スマコンの画面をフリック操作で操作し始めた。「『江戸川区 小学校 いじめ save the gene!!』」
すると、スマコンに接続された対話型AI“メビウス”に、未来予測の映像がいくつか表示された。ジーンはそれらを指差しながら説明した。「この小学校の児童が、複数人からいじめを受けているらしい。保護者からの依頼だ」
映像をざっと確認した天馬は、どこか腑に落ちない様子で言った。「何か今回も、そんなに大したことなさそうじゃね?」
ジーンは冷静に答えた。「別に、依頼内容が大したことがあってもなくても、君の給料が変わるわけじゃないでしょ?何か不服?」天馬は、何か言いたげな表情を浮かべ、少しばかり不満を含んだ声でこう言った。
Part 5 過小評価
天馬は、抑えきれない不満を爆発させた。「俺を過小評価してるだろ?毎回毎回、弱者の人助けみたいな依頼ばっかりじゃないか!俺はそんなに頼りないのかよ?」
ジーンは、彼の言葉を鼻で笑うように言った。「何、いきなり正義の味方ごっこでも始めたの?与えられた仕事をきちんとこなせば、規定の給料はきちんと支払うよ。別に、悪に立ち向かうヒーローになんてならなくていいんだ」
天馬はさらにヒートアップした。「俺は他の奴らより有能なんだよ!名門の聖修院高校に通ってるし!こうやって、そっちの依頼だって文句一つ言わずに全部こなしてきたじゃないか!」
ジーンは、いつもの冷静さを崩さずに言った。「まだ指折り数えるほどしか依頼をこなしていない新入りが、そんな大口を叩くの?君だけじゃないよ。新人の頃はみんな、最初だけ無駄にやる気を出して、すぐにへばるんだから」
そして、ジーンは畳み掛けた。「まだC級の相手で、基本的な立ち回りやスマコンの操作に慣れていかなければならない段階だよ!別に、きちんと依頼をこなせば給料を減らすようなペナルティはないし、今の君の実力でB級のナチュラルと戦ったら、まず間違いなく命を落とすことになるだろうね」
「この屁理屈ぬいぐるみ!」天馬は、ジーンの理屈っぽい言い方に腹を立てて言い放った。
ジーンは、彼の言葉を半分聞き流しながら、まるで事務的な口調で言った。「天馬が今すぐにB級の相手をして、万が一死亡した場合、それは単に君一人の損失では済まされない。僕達の会社『gene japan.』全体の信用問題に関わる重大な事態になるんだよ!どうしてもB級の相手をしたいというのなら、しかるべき誓約書を書いてもらう必要がある」
「誓約書?」その言葉に、天馬は明らかに気圧された。「へ?」
ジーンは淡々と続けた。「『一戸天馬が、株式会社gene japan.の業務遂行中に死亡した場合においても、当社は一切の責任を負わないものとする』という内容の誓約書だ。今から作成するから、君の氏名と、保護者の『一戸』の印鑑で捺印してくれるかな?」
その具体的な内容を聞いた瞬間、天馬は一気に現実へと引き戻された。「ご、ごめん!なんか急に怖くなってきた!アルバイトっていうより、本格的な仕事って感じで、なんかすごく大変そうに思えてきたよ……」
ジーンは、少しだけ語気を和らげて言った。「C級の依頼をある程度こなし、君の能力が認められれば、B級の依頼にも挑戦してもらうことになる。その際には、gene本社の訓練施設に赴いて、より実践的な訓練を受けてもらう予定だよ。その時に、初めて君自身の話を進められるから、今は焦らない方が賢明だよ」
「進められる?まあ、いいや……与えられた任務はちゃんとこなすよ」天馬は、やや投げやりな口調で言った。「次の日曜日、江戸川区のどこなんだ?」
「西葛西だよ?君はまだ子供だから、念のため家の近くまで迎えに行こうか?」
「そこまでお子様扱いするなよ!」天馬は少しむっとして言い返した。
その後、天馬とジーンは日曜日の待ち合わせ場所と時間を取り決めた。別れ際、天馬はふと、葉子に言われた言葉を思い出した。「いつか大きな障壁にぶち当たるよ」その言葉が、胸の奥に小さな引っ掛かりを残した。今回のいじめの依頼は、本当に簡単なものなのだろうか。まだ見ぬ大きな障壁が、すぐそこに迫っているような、そんな予感が、天馬の心をかすかにざわつかせた。
To be continued!!
