【clum! '95 #27】ある日の昼休み
1995年10月13日。
佐賀の澄んだ秋空の下、新設されたばかりの碧翔学園の校舎は、まだまだコンクリートとワックスの新しい匂いがしていた。
お昼休み開始のチャイムが鳴り終わるのとほぼ同時に、校内放送から稲城芳彦の低く落ち着いた美声が流れてくる。

「……本日、10月13日金曜日のお昼の放送を担当するのは、1年B組、稲城芳彦です。一曲目は、岡本先輩……あ、いえ、秋の物悲しさを吹き飛ばしたい皆さんに贈ります。スピッツで『ロビンソン』」
芝生が整えられた中庭のベンチ。そこは、学年を跨いだこの7人が集まる、いつもの場所だ。
「玲ちゃーーーん! お弁当食べたけど、お腹空いた! 今日のおやつは何!?」

立夏がポニーテールを弾ませ、2年B組からやってきた玲に抱きつかんばかりの勢いで突進する。
「あはは、立夏ちゃん落ち着いて。今日はね、クルミ入りのスコーン焼いてきたの。あ、早坂くんも、どうぞ」
「えっ、あ、ありがとうございます! 岡本先輩」
早坂一頼が耳まで赤くして受け取る。
お試し交際中の彼女(立夏)がいる手前、他の女子から物をもらうのは緊張するようだが、玲の「女神」のような微笑みには抗えない。

「……おい野瀬。お前、何ニヤニヤしながらシャッター切ってんだ」
ベンチの後ろで、迅が低く威圧感のある声を出しました。視線の先には、「写ルンです」を構えた野瀬がいます。
「いやぁ迅先輩、いい画だなと思って。美少女と、それを見守る忠犬(一頼)、そしてそれを背後から睨む番犬(迅先輩)。あ、そのまま動かないでくださいね」
「誰が番犬だ」
迅が悪態をつきつつも、視線は無意識にスコーンを配る玲の方へ。
そして、ひと月も前に勝手にキスをしてしまったその髪へ。玲と目が合いそうになると、迅は慌てて指の関節をポキポキ鳴らして誤魔化す。
「やめろ折館。その筋肉質な威圧感は、玲の繊細な精神構造に悪影響を及ぼす」
どこからともなく現れた樹が、秋の日差しの中でも頑なに脱がない白衣をなびかせ、玲の隣を陣取った。

「樹、またそんな格好のまま……。はい、樹の分」
「……ふん、メイラード反応が理想的だな。だが玲、昨夜の糖分摂取量から計算すると、君はこのスコーンを半分に留めるべきだ」
「もう、太るって言いたいんでしょ! 理屈っぽいのはいいから食べて!」
そこへ、放送を終えた芳彦がダッシュで合流する。
「お待たせしました! 岡本先輩、さっきの曲、届きましたか!?」
「あ、稲城くん。うん、とっても素敵な選曲だった。ありがとう」
「……チッ、また玲のファンが増えたか。野瀬、今の芳彦を撮れ。後で証拠物件として科学部に提出しろ」
「えー、樹先輩、僕をパパラッチ扱いしないでくださいよ。あ、でも芳彦の『全力疾走後の笑顔』はいい素材っすね」

立夏はスコーンを頬張りながら、雑誌で見たばかりの「秋の重ね着特集」の話を始める。
そして、どこか街に行きたいなとつぶやいて、提案をした。
「ねえねえ、今度、駅のミスド行こうよ! 一頼、一頼も行くでしょ?」
「えっ、あ、うん。佐野先輩が行くなら……」
「よし決まり! 折館くんも、玲ちゃんを誘って来なさいよね!」
立夏の勢いに、迅は顔を背けながら「……気が向いたらな」とぶっきらぼうに答える。
樹は「僕はミスドのコーヒーの抽出方法を調査しに行く」と、不器用な同行宣言。
野瀬はそれを「面白い」と独りごちながら、残りのシャッター回数を確認し、芳彦は「僕、10個は食べられます!」と空手家らしい食欲を見せている。

男子が近くに来ると今でも身構えてしまう立夏だったが、一頼の控えめな距離感や、幼馴染である迅と芳彦の空気、そして玲の優しさに囲まれたこの中庭だけは、彼女が一番「騒がしい自分」でいられる場所だった。
「あ、一頼! 私の持ってきたチョコ、一頼のスコーンと半分こしよ!」
立夏の大きな声が秋の空に響き、それを見た迅が溜息をつき、玲がクスクスと笑い、野瀬が本日最後のフラッシュを焚いた。
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