【clum! '96 #44】母への報告、静かに
1996年8月中旬。
お盆のうだるような熱気が、墓石の並ぶ霊園の緑をじりじりと焼いていた。
折館迅は、父の代わりに、福岡からやってきた祖父母と共に母の墓前に立っていた。
迅の端正な顔立ちと、日差しに映える鮮やかな碧い瞳——それは、ドイツ人である祖母の血を色濃く受け継いだものだ。
「迅、ずいぶんと背が伸びたね。もうお父さんを追い抜いてしまうんじゃないかい?」
白髪混じりの穏やかな笑みを浮かべる祖父と、その隣で、どこか寂しげに、けれど愛おしそうに迅を見上げる祖母。
迅の父は仕事の都合でどうしても外せないとのことで、今年のお盆も、迅が実質的な折館家の主あるじとして祖父母を迎え、母の墓参りを取り仕切っていた。
バケツから柄杓で冷たい水をすくい、墓石の上からゆっくりとかける。

じゅう、と一瞬で水が蒸発していくような暑さの中、線香の煙がまっすぐに青空へと立ち上っていった。
「母さん。……今年も来たよ」
迅は墓前に手を合わせ、心の中で静かに語りかけた。
昨年までの迅なら、母の前に立つと、胸の奥にあるドロドロとした「過去の呪縛」や「自分の醜さ」ばかりが溢れ、息が詰まりそうになっていたはずだった。
しかし今年の彼の横顔は、驚くほど静かで、どこか吹っ切れたような大人の男の表情をしていた。
手を合わせたまま、迅はゆっくりと近況を報告し始めた。

「母さん。……今年の春、親父とちゃんと、進路の話ができたんだ」
その言葉に、後ろで見守っていた祖父母が小さく目を見張った。
かつて、母の死をきっかけに完全に冷え切り、会話らしい会話もなかった折館家の父子。
しかし今年の春、迅は自分の意志で「弘道館高校へ行く」と父に告げ、父もまた、息子の選択を静かに受け止めてくれたのだ。
「親父の仕事のことも、昔はただ憎むことしかできなかったけど……今は、少しだけわかるようになった。俺は親父の敷いたレールじゃなく、自分の足で、弘道館から上を目指すよ」
祖父が「そうか……よかった。お前の父親も、不器用な男だからな」と、どこかホッとしたように迅の肩を叩いた。
祖母もまた、美しい碧い瞳を細めて、誇らしげに頷いていた。
そして、迅は少しだけ視線を落とし、耳の先をほんのりと赤くしながら、一番大切な報告を口にした。
「……それから、もう一つ。……昨年の冬から、俺、彼女ができた」

「おや!」と祖父が声を上げ、祖母が嬉しそうに両手を口元に当てました。
「名前は、岡本玲っていうんだ。……俺とは正反対の、すごく優しくて、真っ直ぐで……綺麗な光みたいな奴」
脳裏に浮かぶのは、あの1995年11月の図書室の記憶。そして、つい先日の夏休み、居間のソファで無防備に寝転がっていた、愛おしい少女の姿。

「俺は、自分のなかに一生消せないものを抱えてる。母さんも知っての通り、俺は昔、立夏を守れなかったし、人を傷つけたこともあるから……。でも、あいつは『一緒に少しずつ歩いていけばいいじゃない』って、俺とずっと一緒にいてくれるって言ってくれたんだ」
迅の大きな掌が、ギュッと握りしめられます。
その指先には、まだあの夏の日の、彼女のブラウス越しに触れてしまった柔らかい温もりの記憶が、生々しく残っていました。
「あいつを、俺の全部をかけて、一生守り抜くって決めた。……母さん、見守っててくれよ」
墓参りを終え、霊園の木陰で冷たい麦茶を飲んでいる時、ドイツ人の祖母が、迅の顔をじっと見つめながら、片手を彼の頬に添えました。

「迅。あなたのその綺麗な目はね、人を傷つけるためのものじゃないわ。……大切な人を見つめて、守るために、神様がくれたものよ。その彼女を、ずっと大切にね」
少し拙い日本語、けれど温かい祖母の言葉に、迅は「……あぁ。分かってるよ、ばあちゃん」と、照れくさそうに微笑んだ。
1996年、お盆。
かつて暗闇と孤独の中で狂気に怯えていた折館迅は、母の墓前で、自らの成長と「愛する人」の存在を誓った。
彼を縛り付けていた呪縛は、今や彼女を守るための「確かな強さ」へと変わりつつあった。
夕暮れの佐賀の街へ帰る迅の背中は、福岡へ戻る祖父母の目にも、ひどく頼もしく、逞しく映ったのだった。
【今回のおまけ】
稲城「迅ちゃん……」
野瀬「おわ、稲城が泣きそう……ていうか泣いてる」



野瀬「今回は初登場の折館先輩のおじいちゃんおばあちゃんでーす。当たり前だけど、おばあちゃんほんとにドイツの方だ」
稲城「お美しい……」
野瀬「稲城、ストライクゾーン広過ぎじゃね?」

野瀬「折館先輩の家に遊びに行ったときの玲先輩……ってコレもうさぁ! 俺だったら我慢できる自信ない……」
稲城「くつろいでいる玲先輩も美しい……」
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