【clum! '95 #61】修了式、開戦

1996年、3月24日。碧翔学園、体育館。
創立されてまだ2年。最上級生が存在しないこの学園の終業式は、卒業生を送り出す喧騒も、涙を誘う別れの合唱もない。
あるのは、春の柔らかな日差しと、少しだけ早足で通り抜けていく風の音だけだった。
「……変な感じだな。卒業式がない3月っていうのは」

体育館からの帰り道、渡り廊下で折館迅がポツリと漏らした。後ろを歩く岡本樹は、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせる。
「合理的な静けさだよ、折館くん。無意味な感傷に浸る時間を省き、我々に『受験生』としての自覚を促すための、校長なりの配慮だと解釈すればいい」
樹の言葉に、迅は苦笑いした。
校長が壇上で放った「来年度、君たちはこの学園で初めての『3年生』、そして初めての『受験生』となる」という言葉。
それは内部進学を予定している他の生徒たちにとっては、単なる進級の合図に過ぎなかった。
しかし、外部受験を決めた二人にとっては、それは1997年の春に向けた、逃げ場のない宣戦布告だった。
職員室近くの掲示板には、春休み中の図書室の開館スケジュールと共に、「新3年生・外部受験希望者への案内」という紙が貼り出されていた。

「……いよいよ、だな」
迅はその文字を見つめた。バスケ部の部室から聞こえてくる、立夏たちの賑やかな声。
一頼や芳彦が「春休み、どこ行く?」と盛り上がっている声。
後輩たちの笑い声だけが、春の日差しの中に取り残されたように聞こえた。
「折館くん。君の偏差値の推移を見る限り、この春休みが最大の山場になる。……まさか、玲の焼くお菓子の香りに釣られて、演算能力を低下させるような真似はしないだろうね?」
「……わかってるよ。お前こそ、無理してまた熱出すなよ。……俺たちは、ここで止まるわけにいかねえんだから」
二人の間に、11月のあの「決裂」と「和解」を経て生まれた、奇妙な戦友のような連帯感が漂っていた。
校舎を出ようとした二人の前に、岡本玲が待っていた。
彼女の手には、二人のための「お守り」代わりのクッキーの袋。

「お兄ちゃん、迅くん。……終業式、お疲れ様」
玲は、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「今日から、春休みだね。……二人とも、これから図書室?」
「ああ。今日は塾だ。……玲、悪いな。しばらく、あんまり頻繁に会えなくなるけど」
迅が申し訳なさそうに言うと、玲は強く首を振った。

「いいの。……二人が頑張ってるの、一番近くで見てるのはわたしだもん。……寂しいけど、わたしも『受験生の妹』と『受験生の彼女』として、精一杯サポートするね」
玲のその「宣言」に、迅は顔を赤くし、樹は「……フン、妹にまで気を遣わせるとは、僕の計算も甘くなったものだ」とそっぽを向いた。
校門を出る。
立夏と一頼が「おーい、二人とも! 帰りにアイス食べに行こうよ!」と呼びかけるが、迅と樹は、短く手を振って反対方向――駅前の塾へと向かった。

1996年、春休み。
それは、かつてないほど長く、そして熱い一年の始まりだった。
佐賀の広い空には、新しい季節を告げるひばりの声が響き渡っていた。
彼らにとって、その春休みは休息ではなく、最初の一歩だった。


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