絶望と希望のあいだ③:奪われた空
*このエッセイには、幼少期の記憶や家族との関係にまつわる重たい描写が含まれます。
ご購入前に、心の状態に合わせて読めそうかどうか、そっとご確認いただけたら嬉しいです🕊️
この語りは、自己開示の“最大級”かもしれません。
すこし重ための記憶と向き合いながら綴ったので、誰にでも全開放というよりも──
そっと半開きにして、足を止めてくださった方にだけ、お届けできたら嬉しいです🧺
絶望はいつだって、不意に急所を突き刺してくる。
時間がどれだけ進んでも、その痛みは静かに浸食し続ける。
2024年7月6日未明に父が他界した。
あれから2年。私の人生の時計は、内側で脈を打ちながら針を進めている。けれど、その一部は時間が止まったままだ。父の死を理由に涙したことは、いまだ一度もない。
父から謝罪されたのは、亡くなる10日前のことだった。
2024年6月26日。あの日の病室の空気は、今でも消えずに残っている。
▼シリーズ①「父の最期の言葉」はこちら
▼シリーズ②「望まれなかった命」はこちら
「りょうこはよいものをたくさん持っていたのに、可能性を閉ざしてしまい、申し訳なく思っている。ほんとうなら、もっともっと開けた人生があったはずなのに、気持ちもお金も注ぎ込んでやれば、相当立派な人になっていたはずなのに…。ずっと申し訳なく思っていたので、死ぬ前に伝えられてよかった。親を恨んでもいい、この先の未来を自分で拓いていってほしい」
医師からの実質的な余命宣告のあと、嗚咽しながら、ベッドの上でこうべを垂れて、言葉を絞り出すように私に詫びる父。
そのとき私の心は、凍結したように芯から冷え切っていた。目に映る光景は、たちまち色を失っていった。
「相当立派な人」とは、どういう意味なのだろう。
今ここにいる私は、一体何なのだろうか。
私は私で、それ以上でも以下でもない。
「ほんとうなら、もっともっと開けた人生があったはずなのに」
こうやって、勝手なジャッジを重ねるのが父という人だ。
私の人生は、これから先もまだ続くというのに。
「死ぬ前に伝えられてよかった」
呼吸しているのに、胸の奥がきゅっと締めつけられる。空気がちっとも入ってこない。父の言葉を受け取ることは、私には到底難しかった。
こうして死期が迫る中でさえも、どこまでも独善的で、近視眼的。これが私の父なのだ。絶望は、こうして不意に急所を容赦なく突き刺してくる。
機能不全家族に育った私は、自分の心を守るために、ただ必死に生き抜いてきた。
実家を離れてからは、ほしかった安心も、穏やかな暮らしも、自由な未来も、一つひとつ自分でつくりあげてきた「自家発電」型の半生だった。
負の連鎖だけは、絶対に起こさない。それは、虐待サバイバーとしての矜持だ。
「親を恨んでもいい、この先の未来を自分で拓いていってほしい」
そんなことを言われる筋合いはない。恨むとか、そんな次元では生きていない。私の心の奥底はどこまでも硬質で、キーンと底冷えしていた。その底のほうで、マグマ溜まりが静かに憤っていた。
私はとっくに自ら決断し、延長線の先にはない未来へと一歩踏み出している。自分の人生を取り戻すために。
前年の春に早期退職制度により職場を離れたことを告げると、父は目を見開いていたが、次の瞬間には「よかった」と安堵の表情を見せていた。
地方公務員を定年退職後、福祉施設長として70歳くらいまで働いていた父。
同業者として、年々厳しさを増すばかりの職場環境と私のオーバーワークぶりを憂いていたからだろう。知らないうちに私がドラスティックにキャリアチェンジしたことを知り、胸をなでおろしたようだった。
力なく「よかった」とつぶやく父。
どの口が言うのか。芯から凍った心の奥底が反応した。
幼児期の記憶の中にある極限状態の父の形相、そして怒号。
「勉強しているんだ。邪魔をするな。あっちへ行け!」
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