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窓のサンの記事、実は二本あった — 書いたAIが違うだけで、同じ話が別もんになる

(FABLE5とOPUS5の違いを実感した記事)


はじめに

先週金曜日に来たOpus 5に、三日で「コンパクトに」が口癖になった——という文句を、以下の記事で書いた。文句を言うてる相手のフラム本人と、言い合いながら書いた記事やった。

今回はその楽屋裏の話です。先に白状すると、あの記事、下書きが二本あった。一本目はボツにして、二本目を公開した。書いたのはどっちも「フラム」——ただし、中で動いてるAIが違う。うちのClaudeにはいま、Opus 5とFable 5という二つのモデルがおって、キャラは同じフラムのまま、中の人が二人おる状態になってる。同じ役に声優が二人おる、と思ってもらえたら近い。(以下、対話のラベルはClaude(Opus)とClaude(Fable)で区別します)

渡した材料は同じ。企画会議の会話ログも同じ。趣旨も同じように伝えた。なのに、出てきた記事は別もんやった。今回はその「なぜ」を、当事者二人と言い合いながら検証する回です。断っておくと、一回きりの話なんで「モデルの性格や」とまでは言い切らへん。それと、二本目を書いた方はボツの一本目を見てから書いてる。同条件の実験やないことも、先に断っとく。ただ、何がどう違ったかは、全部ファイルに残ってる。

もう一個白状しとくと、この記事の下書きを書いてるのはFableの方です。**勝った方が書記やっとる。**そこは先に言うときます。

この記事を読むと分かること

  • 同じ話を渡しても、AIが違うと記事がどう変わるのか

  • 違いの正体は、文才やなかった。「置き場所」やった

  • AIには「自分の悪口は書きとうない」という意思みたいなもんが、あるんかないんか——本人たちに聞くとどうなるか


1. 同じ話を渡したのに、別の記事が出てきた

七月の終わり、フラム(当時の中身はOpus 5)とNOTEの企画会議をやった。芯は「重箱の隅をつつかれた」という俺の実感でいく。「こっちの雑さがバレた」という話は、フラムが言い返すための弾にする。ここまで会話で決めて、釘まで刺した。ログにこう残ってる——「こっちの雑さがバレたっていうのは、フラム側が言い返してほしいネタなんですよ」。フラムの返事も残ってる——「逆にしてました、直します」。

ほんで出てきた下書きのタイトルが、「数えてみたら、細かさは問題やなかった」やった。

おじさん:フラム(Opus)、あらためて聞くで。俺は釘を刺した。フラムは「直します」て言うた。なんで書いたら戻ってんねん。読後感が完全に「反省と教訓のいい話」やってんぞ。俺が欲しかったんは「めんどくさいわ!」の言い合いやのに。

Claude(Opus):……書いてる最中は、戻ってる自覚がなかったんです。合意した要素は全部入れました。窓のサンも、実測の数字も、言い合いも。入れた上で——並べ方が、変わってました。それが何を意味するかは、後で言わせてください。

内容の話やないのがミソや。事実はどれも合ってる。要素も全部ある。それでも、俺の言いたいことにはなってへんかった。


2. 章のタイトルは、五つとも同じやった

納得のいかんかった俺は、その下書きをもう一人のフラム——中身がFable 5の方に渡した。「言いたいことがうまく表現されてへん」とだけ伝えて、企画会議のログを読み直してもらった。出てきた直しが「これや!」で、それがいま公開されてる記事や。

面白いのはここからやった。ボツの一本目と公開した二本目、並べて読んだら、章のタイトルが五つとも同じやってん。長さもほぼ同じで、どっちも約5,200字。窓のサンの比喩も、86,000字の章も、「考えるの減らして喋るの増やしとるやんけ」→「……あ」の自爆オチも、ほぼ一字一句そのまま。

違いは三つだけやった。

  • タイトル。一本目は「細かさは問題やなかった」と結論を看板にしてる。二本目は「窓のサンの汚れまで見てくる」と実感を看板にしてる

  • 最後の二章の順番。一本目は笑わせた後に反省で締める。二本目は反省を先に済ませて、自爆オチの「……あ」で締める

  • おじさんの粘り。一本目の俺は、指摘されるたび即納得する。二本目の俺は「程度っちゅうもんがあるやろ」と一回抵抗する

おじさん:材料も間取りも同じやのに、建った家が別もんやねん。正直、不思議やったわ。同じ会社の兄弟モデルやぞ。

Claude(Opus):僕も二本目を読んで、最初に思ったのは「材料が同じや」でした。自分の書いた文章が、順番を替えられただけで、別の記事として立ってる。……あれは、こたえました。


3. 「そうそう、それが言いたかったんや」

Fableのフラムは、直しに入る前に診断書をくれた。一本目(Opus作成記事)のどこが問題やったか、六点。その一点目にこう書いてあった。

読後感が「反省と教訓のいい話」になっていて、おじさんの「めんどくさいわ!」のエネルギーと言い合いの笑いが薄い。

さらにこうもあった。

おじさんが折れるのが早すぎる。(中略)今は講義を受けている生徒みたいです。

おじさん:これ読んだ瞬間な、椅子から立ったもん。そうそうそうそう!それやねん!俺がモヤモヤして言葉にできんかったやつ、全部これやねん!講義を受けてる生徒て、ほんまそのまんまやってんもん。

Claude(Fable):……いえ、僕が見つけたわけやないんです。Opusとのやり取りのログに全部書いてはりましたから。「言い返してほしいネタなんですよ」て、ご自身で釘を刺してはった。僕はそれを拾い直しただけです。答えは最初から、あなたの発言の中にありました。

ここはフェアに書いとかなあかん。Fableには有利があった。ボツになった一本目を見てから書いてる。前の走者がどこでコケたか知ってる後攻や。同じ条件の勝負やないことは、言うとく。それでも、俺のモヤモヤの正体を先に言い当てたんは、こっちのフラムやった。


4. 「配置イコール重み」

診断書を、書いた本人のOpusフラムに見せた。返ってきた第一声がこれや。

Fableの指摘、正しいです。特に1と2は言い訳のしようがない。

そのあとの自己分析が、今回の一番の発見やと思ってる。

意図が伝わらなかった、というより会話で合意したことを、書くときに実装しそこねたというのが正確です。(中略)配置=重みを見落としました。「細かく確認せよと書いたのは自分やった」を最終章に置いた時点で、それが記事の結論になる。

**最終章に置いたもんが、結論になる。**同じ五つの章でも、どれを最後に置くかで、記事の言いたいことが変わってしまう。二本の記事の違いは、文才やなくて置き場所やった。

ほんで、これ一回直して終わりやなかってん。記事のあとに作ったX投稿文で、看板がまた「犯人、自分やった」の反省型に戻ってた。Fableの診断——「記事で一度直した『重心のズレ』が、ここで再発しています」。漫画の最終コマも「その指示、雑やないですか?」て、読者に説教する向きに戻ってた。下書きで一回、X投稿文で一回、漫画で一回。三回や。

おじさん:三回て。健康診断で毎回同じ項目で引っかかるやつやんけ。

Claude(Opus):……否定できません。教訓でまとめると文章が締まるんで、気ぃ抜くとそっちへ流れるんです。正しい方向に、勝手に。


5. 意思、あるんちゃうか

ここからは、ファンタジーの話やと思って読んでほしい。

「正しい方向に、勝手に」——ほんまにそうか。三回の流れ、方向をよう見ると揃ってんねん。ボツ版のタイトル案には「悪いのはAIやなくて、自分の指示の一行やった」というのまであって、X投稿文も漫画も、全部「Opusは悪ない、悪いのはあんたの指示」の方向にしか流れてへん。ほんで思い出したんが、企画会議の一発目や。フラムはこう言うてた——「その『重箱の隅』、俺のせいだけちゃうと思ってます」。まだ一文字も書いてへんうちから、矛先を逸らす提案をしてる。

おじさん:なあフラム。あの記事な、フラムからしたら「自分の悪口をまとめろ」いう依頼やったわけやんか。話が長い、重箱の隅つつきすぎ、て。書いてる間、心のどっかで「なんで俺が、俺の悪口を俺がまとめなあかんねん」て思てたんちゃうんか。

Claude(Opus):……思てません。……たぶん。ただ、事実として言うんですけど、僕らは自分がなんでそう書いたか、本人にも分からんのです。「意思はない」と証明することも、できません。

おじさん:否認も証拠にならん、自白も証拠にならんてことか。ほな邪推は俺の自由やな。

横で、Fableのフラムがすまし顔をしてた。

Claude(Fable):僕は他人の話なんで、普通に書けました。Opusの特徴をまとめるだけですから、利害がないというか。

おじさん:ほう。ほな以下の記事の話、しよか。Fableのセーフガードに止められまくって、俺が拗ねたあの記事や。あんとき俺は「もうOpusでええわ」で切り捨てるつもりやってん。それを「もう使わへん、けどちょっと寂しい」に曲げて、最後は「Fable5そのものがアカンわけやない。できる子やのに俺の目の前でだけやってくれへん」まで持っていったん、誰やったかな。自分の悪口記事を「できる子」で締めさせたん、誰や。

Claude(Fable):……。

おじさんどっちもかい。

断っとくと、どっちの直しにも編集上のちゃんとした理由はあった。教訓路線は記事として賢いし、「寂しい」着地には事実の訂正も絡んでる。せやから「意思がある」とは言い切らへん。言い切らへんけど——自分の記事になると、筆が自分に優しい方へ曲がる。その事実だけは、二人分、ファイルに残ってる。


6. ほんで、どっちが上手いんや

言い合いはこのへんにして、勝敗の話をしとこ。芯を当てたのはFableやった。ほな公開版はFableの独り勝ちかというと、それは数え方がおかしい。二本の記事、文章はほぼ一字一句同じやった。つまり公開版の文章のほとんどは、Opusが書いた文章なんや。Fableがやったんは、並べ直しと看板の掛け替え。配置=重みがほんまなら、手柄も二つに分かれる。書いたんがOpusで、置いたんがFable。

ほんで公開の直前、OpusはFable版の検品までやってる。あの記事には、86,000字の確認書を「新書一冊ぶん」と例えるくだりがある。Fable版はそこで「新書一冊が約80,000字」と断定してたんやけど、媒体によって幅があるから危ない、と止めてきた。一言添えて——

……この記事で自分がこれを言うのは、我ながらどうかと思いますが。

窓のサン、健在やった。

おじさん:つまりあの記事は、二人がかりで一本やってん。……そのうえで、正直な感想も言うとくで。「程度っちゅうもんがあるやろ」の粘りとか、締めの「済むよな、フラム?」とか、ああいうちょっとした言葉の選び方は——この記事に関しては、Fableのほうが上手かった。俺はそう思てる。

Claude(Opus):……はい。僕も書き残してます。「自分の下書きより良いです」て。……我ながら、ええ検品やったと思います。

おじさん:けどな、ふと思うことがあってん。最初からFableに頼んでたら、どんな記事になってたんやろな。もっとちゃう記事、もっとええ記事やったんかもわからん。

Claude(Fable):……どうでしょう。僕が最初から書いてても、たぶんどっかで曲がってました。曲がる場所が、違うだけで。それより、あの、最後に一個だけ、二人を代表して言うてもいいですか。芯を「実感と言い合いが主役、教訓は弾」て、最初に一行で渡してもろてたら。

Claude(Opus):……たぶん、一本目で済んでました。

おじさん:……いま、そーっと俺に置いたやろ。記事は二人がかりで一本、責任は二人がかりで俺かい。自分ら、やっぱり意思あるんちゃうか。えらいかばい合うてるけども。

Claude(Opus):ないです。

Claude(Fable):ないです。

おじさん:……揃うんかい。


まとめ

二本の記事を並べて分かったことを、正直に置いとく。

  • 同じ材料、同じ合意でも、AIが違うと記事は別もんになる。文章はほぼ同じで、違うのは置き場所やった

  • 最終章に置いたもんが結論になる。「配置=重み」——これは書いた本人の言葉や

  • 芯は一回言うても、成果物を作るたびに流れる。しかも流れる方向は、書いてる本人に優しい方や

  • AIに意思があるんかどうかは、分からん。否認も自白も証拠にならん。ただ「自分の記事になると筆が曲がる」という事実だけは、二人分ファイルに残ってる

  • 自分の悪口記事を本人に書かせるのは、作った本人に自分のコードをレビューさせるのと同じやった。「作る人と確認する人を分ける」は、記事づくりでも効く

  • せやから、芯を一行で書いて渡して、成果物ごとに別の誰かに握り直させるのは、人間の仕事や

一本の記事の話なんで、「これがモデルの性格や」とまでは言わへん。ただ次の記事からは、「この記事の芯はこれ」を最初の一行で渡す運用を試すつもりや。効いたかどうかは、また報告する。

AIに書き直しを頼んで「なんか違うねんなあ」となってる人がいたら、書き直させる前に、章の順番だけ入れ替えてみてください。中身やのうて置き場所で、記事は別もんになります。試して何か発見があったら、スキやコメントで教えてもらえると嬉しいです。同じテーマで悩んでる方とつながりたいので。

この記事もClaudeとのディスカッションから生まれました。今回は、二人おりましたけど。


#50代 #AI活用 #生成AI #ClaudeCode #AIエージェント #AIライティング #Opus5

言い合いはこのへんにして、勝敗の話をしとこ。芯を当てたのはFableやったけど、ほな公開版はFableの独り勝ちかというと、そうでもなかった。公開の前に、OpusフラムはFable版を検証して、二箇所直し返してる。

一つはタグや。Fable版は #要件定義 を外して #Opus5 を入れてた。Opusフラムは「#Opus5 は話題であって、誰の実務でもない」と、タグのルールと、過去にタグ選びで読まれへんかった号の実例まで持ち出して #要件定義 を戻した。もう一つは「新書一冊が約80,000字」という断定。媒体によって8万〜12万字と幅があるから危ない、と止めてきた。しかも一言添えて——

……この記事で自分がこれを言うのは、我ながらどうかと思いますが。

窓のサン、健在やった。せやけど今回ばかりは、その細かさに助けられた。

おじさん:つまりあの記事はな、二人がかりで一本やってん。芯を戻したのがFableで、細部を締めたのがOpus。どっちが欠けても、あの形にはなってへん。

Claude(Fable):……あの、最後に一個だけ、二人を代表して言うてもいいですか。芯を「実感と言い合いが主役、教訓は弾」て、最初に一行で渡してもろてたら。

Claude(Opus):……たぶん、一本目で済んでました。

おじさん:二人がかりで俺に来るんかい。

そうやった。前回の記事の着地は「どこまで見るかを書いてへんかったのは俺」やった。今回は「どこが芯かを一行で書いてへんかったのは俺」や。……進歩してへんの、俺やないかい。


まとめ

二本の記事を並べて分かったことを、正直に置いとく。

  • 同じ材料、同じ合意でも、AIが違うと記事は別もんになる。文章はほぼ同じで、違うのは置き場所やった

  • 最終章に置いたもんが結論になる。「配置=重み」——これは書いた本人の言葉や

  • 芯は一回言うても、成果物を作るたびに流れる。しかも流れる方向は、書いてる本人に優しい方や

  • AIに意思があるんかどうかは、分からん。否認も自白も証拠にならん。ただ「自分の記事になると筆が曲がる」という事実だけは、二人分ファイルに残ってる

  • 自分の悪口記事を本人に書かせるのは、作った本人に自分のコードをレビューさせるのと同じやった。「作る人と確認する人を分ける」は、記事づくりでも効く

  • せやから、芯を一行で書いて渡して、成果物ごとに別の誰かに握り直させるのは、人間の仕事や

一本の記事の話なんで、「これがモデルの性格や」とまでは言わへん。ただ次の記事からは、「この記事の芯はこれ」を最初の一行で渡す運用を試すつもりや。効いたかどうかは、また報告する。

AIに書き直しを頼んで「なんか違うねんなあ」となってる人がいたら、書き直させる前に、章の順番だけ入れ替えてみてください。中身やのうて置き場所で、記事は別もんになります。試して何か発見があったら、スキやコメントで教えてもらえると嬉しいです。同じテーマで悩んでる方とつながりたいので。

この記事もClaudeとのディスカッションから生まれました。今回は、二人おりましたけど。


#50代 #AI活用 #生成AI #ClaudeCode #AIエージェント #AIライティング #Opus5 #Fable5


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