蚕の社ー水の祈り、繭の詩
うららかな春なのに、御簾ごしに眺めるように薄暗い。母の友人がこの近くに住んでいた。「蚕ノ社」は子供にはなじみのない名前だった。行くたびに「カ・イ・コ・ノ・ヤ・シ・ロ」…何度も繰り返して覚えようとしたが、帰るころには忘れていた。それが「蚕ノ社」だった。太秦広隆寺に向かう嵐電の車窓から鳥居が見えた。「そうだ」ここは子供のころに何度も母と行ったところだ。
風格ある木製の鳥居、「蚕ノ社」は不思議な語感の神社だった。
正式には 木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社。
木嶋(このしま)の地に坐す、天照御魂神を祀る社―そう聞けば、いかにも古代の気配をまとっている。しかし、わたしの耳に残ったのは、やはり「蚕ノ社」という不思議な呼び名だった。

その名にふさわしく、
素朴でしめやかな場所だと告げているようだ。
蚕の写真をみたことがある。
じっくり見ると、アニメの主役のような愛らしさだ。

出典:Wikipedia
この木嶋坐天照御魂神社の境内には、本殿横に蚕養神社(こがいじんじゃ)がある。養蚕や機織りの祖神を祀り、糸と布に関わる人びとから「蚕替蠺ノ社」と親しまれてきた。小さな蚕が黙々と糸を吐き、それがやがて艶やかな織物へと変わる。その静かな変容を思うと、この薄暗い参道の奥にも、目には見えぬ時間の繭があるように感じられた。

「蠺養社」と読める

古い文字で「蚕養神社」の石灯篭

神社「蚕の社」の大きな鳥居が見える。

「続日本書紀」大宝元年(701年)4月3日の条に、
木嶋坐天照御魂神社名の記載があると
神社の由緒に記載がある。

本殿横にある蚕養神社は
養蚕、織物、染色の祖神を祀っていることから、
蚕ノ社と呼ばれるようになった。
参考資料:京都通百科事典


鳥居をのぞむ
千三百年のときをつたえる生命の水、京都のすべてが…
創建は明らかではない。だが『続日本紀』大宝元年(701年)にはすでに社名が記されているという。千三百年を超える時間が、ここには沈んでいる。平安時代以降は祈雨の神として信仰され、朝廷から奉幣もあったと伝わる。雨を願う祈りが、幾度もこの境内に差し出されたのだ。
京都の暮らしは、水とともにあった。
田を潤す雨。器を焼くための水。糸を染める清らかな流れ。水は生業の根であり、祈りのかたちでもあった。この社が祈雨の神として仰がれたことは、自然のなりゆきのように思える。
境内を進むと、西側にひらけた場所がある。かつて「元糺(もとただす)の池」と呼ばれ、水が湧いていたという跡地だ。今は水面はない。それでも地の奥に湿りを感じるような静けさが漂う。
本殿下の石灯篭のそばに「縮縮緬仲間」の石碑

文化14年 丁丑5月
西陳は西陣の古い表記だろうか…
「文化14年」は200年の時を刻んでいる
蚕の社らしい石碑である
ひときわ静謐な空気がただよう、神秘的な三柱鳥居

出典:Leaf KYOTO

現在のものは、1831年に再建された。
「北斎漫画」十一集「三才鳥居」に
描かれているものは木造である。
出典:Wikipedia
千余年の祈りが息をするかのような三柱鳥居
三本の柱が正三角形をなす、日本でもきわめて珍しい鳥居。かつては池の水面にその姿を映し、揺らぎながら空を抱いていたという。わたしは、見えない水を想像する。風が水面を渡り、鳥居の影がゆらりと歪み、祈りが波紋のように広がっていく光景を。
この三柱鳥居は、下鴨の神域、伏見の方角、松尾の社を向いているとも言われる。真偽はわからない。もしそうであれば、ここは京都の聖なる地を結ぶ結節点かもしれない。見えない線が、この三本の柱を軸に交差しているのではないかと…。
神社の地図には「元糺の森」、「元糺の池」とある。
糺す「ただす」。乱れを正し、曇りを祓うという言葉。水が澄むように、心もまた澄むことを願ったのだろうか。
椿の名残の紅が地に落ち、梅の花から桜へと季節はうつろい、去ろうとするころ、そのあわいに、わたしは立っている。
「蚕ノ社」という名は、水と糸の祈りが重なった記憶のようだ。
小さな命が糸を紡ぐように、人びとは雨を願い、暮らしを織り上げてきた。
三柱鳥居を見上げる。
三本の柱のあいだに、目には見えない中心がある気がする。
そこに立つのは、神だろうか。
それとも、水だろうか。
あるいは、長い時間をかけて積み重ねられた、人の願いそのものだろうか。
薄暗い春の光の中で、わたしはしばらく動かなかった。
千年を越える祈りが、静かに息をしているように思えた。
椿の木、椿の花、そこは椿丘大明神「白清社」

椿の花の季節には、この碑は花に囲まれる

椿の季節には、椿の花があちこちに飾られる。
撮影の日も、名残りの椿の花が迎えてくれた


狛狐に見送られて、橋をわたり、
鳥居をくぐると
不思議な空気に包まれる
出展 Leaf Kyoto




天塚古墳(京都市右京区)から移されたため、石室になったという説があるそうだ。
「蚕の社」の境外社は「映画神社」と命名。静かに太秦の映画文化を見守っている
この「映画神社」は、太秦に映画が産声を上げるきかっけとなった名俳優で日本映画製作所の生みの親、映画のカリスマ、坂東妻三郎ゆかりの地に位置する。昭和五十六年には「蚕の社」とも呼ばれる木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)の境外社となり、平成十年(一九九八)、「三吉稲荷神社」はあらためて「映画神社」と命名され、中里八幡大菩薩とともにお祀りされている。


メインビジュアルの「三柱鳥居」は、京都の歴史・伝統に詳しい、ヤマダナガヲさんの作品をお借りしました。ヤマダさん、ありがとうございます。
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noteの2年目はチャンレンジングな創作にもアプローチしたいです。応援いただいたチップで取材をしたり、作品づくりに活用させていただきます!