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福岡でオタクモード全開。古代の沼にハマってきた。


桜咲く4月のはじめ、3泊4日の福岡ひとり旅に行ってきました。まずは博多に着いたら、楽しみにしていた福岡のソウルフード「ごぼ天うどん」を食べます。やわやわの麺と聞いていたものの、ほどよくコシもあり、モチモチとした食感。器からはみ出すごぼ天をスープに浸して食べるのがたまりません。福岡に来た甲斐がある美味しさです。

ごぼ天に隠れてうどんが見えない。博多に着いて早々、生ビールと一緒に食べる

さっそく美味しいものが食べられて幸先のいいスタートでしたが、残念ながら福岡に滞在していた4日間、1日も快晴の日はなく、だいたい雨が降っていました。

そもそもなぜ福岡に来たかというと、古代の史跡と博物館を巡るため。数年前に古代史が好きになってからというもの、福岡に行きたいという好奇心を抱えていたため、今回の旅の予定はぎっしりと詰まっています。まったりと余白の時間を楽しむ旅とは、似ても似つかぬ旅行計画なのです。

1日目:野球場の外野席から出現した、古代の迎賓館

初日の最初に向かったのが、福岡城跡のある「大濠(おおほり)公園」。眺めのいい大濠池の周囲を囲むようにジョギングコースがある、気持ちのいい公園です。

韓国から観光に来た方にも人気のスポットらしく、多くの韓国人の姿を見かけた

園内にあるスタバに立ち寄ってコーヒーを飲み、福岡市美術館でゆっくり過ごすのも悪くないですが、自分がここにやってきた目的はひとつ、「鴻臚館(こうろかん)」を訪れるため。

地中から姿を現した鴻臚館の遺構。発掘調査のあと、現在は建屋の中で保存されている

鴻臚館とは、飛鳥時代から平安時代まで存在し、唐や新羅(しらぎ)の使節団を接待・宿泊させた施設で、古代の迎賓館のようなもの。その遺構が発掘されたのは、1987年のことです。当時、福岡ダイエーホークスが本拠地としていた平和台球場の外野席を改修するための事前調査で、地中から古代の遺構が出現したのです。

たくさんの皿や壺のようなものが出土した状態で残されている。滞在した人が使用したものだろうか

1300年以上前の施設跡には、建物の柱を支えた礎石や割れた皿などの陶器、そして当時滞在した人をもてなすため、税として全国から集められた食材を書き記した木簡などが出土しています。

「玄米二升 五十人 日二合」と書かれた木簡。現在でも通用する単位が1300年以上の昔から使われていた。古代人の遺品よりも、生活を感じる肉筆の文字の方に興奮してしまう

博多湾を見渡す場所に立地していた鴻臚館は、ヤマト王権から派遣された多くの遣唐使や遣新羅使が滞在する場所だったようです。密教を学ぶ僧侶や、唐の政治制度や学問、先進の技術などを学ぶ外交使節団が、大陸へと向かう前の宿泊施設として機能していました。

ぐるっと外側の回廊をまわりながら見下ろす。奥の朱塗りの建物は当時の施設を再現したもの

逆に唐や新羅からやってくる使節団の人々は、博多湾を上陸して鴻臚館に滞在したあと、地方最大の役所であった「太宰府政庁」へと向かいます。鴻臚館から太宰府までは、外国の使者が利用する公道がほぼ直線的に結んでいたそうです。


2日目:大宰府で古代の風を感じたい

2日目は朝からまっすぐ太宰府へと向かいました。
菅原道真を祭神として祀ることで有名な「太宰府天満宮」があり、参道の入口に着くとすでに多くの観光客で賑わっていました。

観光客らしいこともしてみた。名物の梅ヶ枝餅は温かくておいしい!

太宰府天満宮はこのとき124年ぶりの本殿改修にともない、仮殿が設置され、そこでの参拝となっていました。「浮かぶ森」と称される仮殿の屋根に植えられた植栽は、本殿の改修後には天神の社へ移植される予定だそうです。

屋根を緑化した仮殿。現在は役目を終えて本殿での参拝が再開されている

また太宰府天満宮と隣接して、立派な建物の九博(九州国立博物館)があります。ただ行動プラン上、ゆっくりと鑑賞することができないため、自分の歴史ジャンルである、紀元前400年から奈良時代くらいまでのテーマブースに集中することにしました。

九博のキービジュアルには「その時代に入り込むような体験を」というコピーが採用されており、まさに自分のための博物館だ

北部九州は、奈良にヤマト王権が成立していく古墳時代よりももっと前、紀元前400年頃、つまり弥生時代のはじまりからの遺跡が出土し、長く古い大陸とのつながりを感じさせてくれるのが魅力です。

弥生時代前期から中期にかけて北部九州でつくられた有力者の墓

古墳のような王の墓が登場するよりも前、奴国(なこく)や伊都国(いとこく)といった九州の国々では、甕棺墓(かめかんぼ)という大きな素焼きのカメの口どうしを合わせた棺のなかに、有力者の遺体を埋葬していました。

その中身を再現した模型が展示されています。それにしてもどうでしょう、このビジュアル。あぐらをかくように膝から折り曲げられた足と、布が巻かれた顔と胴体のかたわらに、これでもかと宝物が添えられています。権力者が富を独り占めしているようにも見えますし、国の民から手厚く葬られたようにも感じます。しばらく見入ってしまうインパクトがありました。

何枚もの鏡とガラス製の首飾りを身に着けて埋葬されている甕棺墓の権力者

さて、太宰府観光は多くの方にとって「太宰府天満宮」を訪れることだと思いますが、自分にとってのメインはこのあと。天満宮から西に2.5kmほど離れた場所にある「太宰府政庁跡」です。

政庁跡の広大な敷地は東西約111メートル、南北約211メートルある

唐や新羅からの使節は、鴻臚館からまっすぐ伸びた官道を通行し、この太宰府政庁を訪れました。太宰府政庁は7世紀後半、飛鳥時代に設置された西の都です。外交や軍事など対外交渉の窓口として、また九州を統治する拠点として、朝廷のような機能をもつ役所でした。

南門からまっすぐ北へ中門、正殿、後殿とあり、中門と正殿は四角く回廊で結ばれている。写真は西の回廊跡。礎石が点々と並んでいるのが分かる

雨がパラついているせいか、人はまばらで冷たい空気が肌に触れます。山からはモヤが立ち上り、張り詰めた静けさを感じます。そんななか、広場をあちこち歩きまわりながら、礎石が点在する広場の写真を撮りつづけました。

  中心施設の正殿跡。一段基台が高くなっているのが分かる

そもそも古代から現存している木造建築物などの有形文化財は限られていて、その多くは奈良に集中しています。だから古代ゆかりの地として全国的に分布している史跡は、古墳か建物跡の礎石ということになり、地味であるのは否めません。

建物の柱を支えた礎石は平安時代に建て替えられたときのもの。7世紀に創建された当初は掘っ立て柱だったらしい

ただ、自分はデジカメのシャッターを押しながら興奮しています。当時のままであることを礎石の手ざわりで感じ、その上に建てられていた宮殿を何もない空間で想像する。それでこそ磁場が感じられるのであって、新しい建物が建てばその空気は消えてしまう気がするからです。

政庁跡を出て博多駅へと戻る前に、教科書で誰もが勉強した歴史と関係の深いスポットへと向かいます。博多湾を擁する福岡市と政治の中心地であった太宰府市の間に築かれた、巨大な防衛施設「水城(みずき)跡」です。

664年、すべて人の手でつくられた城壁の土木工事のようす。(九博に展示されていたジオラマより)

時代をちょっと遡り、新羅がまだ朝鮮半島を統一する前、高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅の三国時代のことです。日本では飛鳥時代、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が指揮をとり、同盟関係にあった百済を支援するために朝鮮半島へと派兵、唐と新羅の連合軍と戦いました。

これだけ大きさの城壁を人力でこしらえるなんて、本当にご苦労さまです

しかし663年、白村江の戦いで大敗し、百済は滅亡。敗戦後に中大兄皇子は天智天皇として即位し、唐と新羅による日本への侵攻に備えるため、太宰府を守る城壁を築きました。それが水を貯える堀をめぐらせた、水城です。

右手に樹木に覆われた土手が一直線に伸びている。全長約1.2km、高さ約10mもあるそうだ

というわけで水城跡まで行ってみました。公園のような場所に出ると、横一直線に木々に覆われた土手が現れました。土手を登ってみると町並みを見下ろすことができます。たしかにここが水城跡のようです。

 太宰府側から博多方面を望む。防衛のために配備された兵士、防人(さきもり)もここから博多方面を眺めたのだろうか

太宰府の、ひいては倭国の防衛のためにこんな大変な土木工事をするなんて、唐と新羅の侵攻をとても恐れていたのでしょう。しかし結局、両国とも倭国を侵略することはなく、鴻臚館にあるように外交が進んでいくことになります。

水城の断面を真横からみれば、城壁だったことがよくわかる

3日目:玄界灘の古代豪族に会いにいく

3日目は博多駅前でレンタカーを借り、福岡を北上して宗像市へと向かいました。朝鮮半島と九州の間に横たわる海洋、玄界灘を望む町には、海の神様である宗像三女神を祀る宗像大社があります。ここは古来より古代豪族の宗像氏が活躍した地域として知られています。

宗像大社は本土にある辺津宮(へつみや)とすぐ近くの離島、大島にある中津宮(なかつぐう)、そして沖合60kmのところにある沖ノ島の沖津宮(おきつぐう)の、合計3つの神社で構成。それぞれに三女神がひと柱ずつ祀られています。

宗像大社 辺津宮の拝殿前

本土にある辺津宮は、拝殿のほかにもうひとつ参拝する場所があります。辺津宮が祀る神、市杵島姫(いちきしまひめ)が降臨したとされる、「高宮祭場(たかみやさいじょう)」です。

高宮祭場は社殿から少し離れた、静かな森の中にあります。石段のある参道を登った先にある、自然の森や巨木を神の依り代として祀った、社殿も祭壇もない古代の祭場。日本の自然崇拝を今につたえる、境内の中でもっとも神聖な場所です。これこそ、古代らしい原初的な日本の祭祀(さいし)と向き合えるスポットだと思います。

参拝は柵の手前で行うため近づくことはできないが、正面奥に聖域をしめす「紙垂(しで)」で囲われた場所が見える

一方、三女神の長女、田心姫命(たごりひめ)が祀られている、沖合60kmの沖ノ島は、神宿る島として島全体がご神体とされています。

昔から一般人の立ち入りが厳しく禁止されており、人が上陸するときには、全裸になり海で禊(みそぎ)を行って、身を清めなければいけません。島内にある沖津宮では、10日ごとに交代で島に常駐する宗像大社の神職が、毎日1人で神事を行っているのだそうです。

沖ノ島は港からすぐに険しい登坂をのぼって沖津宮まで行く。その周辺には祭祀がおこなわれた巨岩が密集している(神宝館のジオラマより)

そんな厳格な島では、4世紀から9世紀までの約500年間にわたり、航海の安全と、東アジア諸国との交流の成就を祈り、自然崇拝にもとづいた古代祭祀が繰り返しおこなわれてきました。時代とともに巨岩の上や岩陰など、祭祀の場所を変えて献上してきた大量の宝物が、合計約8万点も発見され、すべて国宝に指定されているというから驚きです。

発見された宝物は、辺津宮にある神宝館に展示されており、実際に見ることができるので、楽しみにしていました。古代の歴史は文献資料の数も限られており、分からないことを想像で補うことが多いのは事実です。でも、こうして残されていた宝物が歴史の事実を明らかにし、古代の人々の営みをかいま見ることができます。

6世紀から7世紀のものと思われる馬を飾った装飾品。こんなものが屋外に1300年以上も置かれていたというのが信じられない

展示されているのは、日本神話で三種の神器とよばれる鏡や勾玉、剣など、古墳に副葬されているものと共通しています。朝鮮半島とヤマト王権を結ぶ海道の中間地点にある島の宝物から、活発な交易の痕跡を知ることができます。

非常に精巧なつくりをしており、組み立てると実施に織ることができるという

また展示されている宝物のなかで、一番目を引いたのが「金銅製高機(こんどうせいたかはた)」という機織りのミニチュアです。機織りは渡来人が日本に持ち込んだといわれていますが、それを裏付けるような日本最古の現存資料が、島内の祭祀に献上されていたのです。

さて、3日目最後の目的地、新原・奴山古墳群(にいばる・ぬやまこふんぐん)へと車を走らせました。宗像大社の森からはなれ、見晴らしのいい平原に出ると、玄界灘からの冷たい風が吹きつけてきます。

遠くに玄界灘を望む平原の散策路沿いに円墳がいくつも並んでいるのが見える 

古墳群の駐車場に近づくと、菜の花畑の先に若草色をしたいくつもの小高い丘が並んでいるのを確認できます。玄界灘を支配してきた古代豪族、宗像氏の有力者たちの古墳です。航海術に長けた宗像氏は、代々沖ノ島の神事をつかさどり、ヤマト王権が大陸との外交で海をわたる際は、水先案内人となったようです。

宗像氏の古墳の脇を抜けるように散策コースを歩いていく

5世紀から6世紀後半にかけて、前方後円墳から円墳まで大小さまざまな古墳が数多く密集して築かれています。この古墳群だけでも5基の前方後円墳があることから、ヤマト王権との結びつきの強さが伺えます。

きれいに管理された円墳も数多く残っている

古代の日本の文化形成において、重要な役割を果たしてきた中国や朝鮮半島との海路を通じた外交。文物だけでなく人の往来も活発で、大陸や半島から九州へ渡ってきた人、また九州から朝鮮半島へ土着していった人々も多くいたはずです。そうした古来からの国際的な土地の風土を感じたくて、今回福岡を訪れたのです。

玄界灘を望む高台にある山荘キャンプ場

そして福岡旅の最終日、古墳群からも近いキャンプ場に泊まる計画を立てました。1日くらいは旅先の空の下で寝てみたかったのです。車で細い山道を上がると、小さな「山荘キャンプ場」に到着。どうやら今日のお客は自分ひとりのようです。

自分がテントを張るサイトは正面に玄界灘を望むことができる

もの静かで笑顔のすてきなオーナーさんが、30年かけてコツコツ作り上げたキャンプ場は、玄界灘を望む絶景の高台にあります。旅を終えて自分のテント場に車を停めると、ちょうど水平線に金色の線のような夕日が差しているのが見えました。この3日間、雨ばかり降っていた空が、奇跡的に美しい夕焼けを見せてくれたのです。

陽が落ちる前の海面が、光り輝いているのがわかる

この海の先を渡ると対馬、そして釜山に到達するのだろうか。そんなことを考えながらテントを張って、夜のご飯の支度に取り掛かります。今日は美しい玄界灘の海を見ながら、旅の最後の夜を過ごそうと思います。

とりあえずコーヒーでも飲みますか

とても長文になりましたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。私はふだん自家焙煎のコーヒー店をやっています。以下のオンラインストアからコーヒー豆をご購入いただけますので、ぜひご利用くださいませ。

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