『ホラーが書けない』39話 心地よい香りのアヤカシ【Web小説】
第39話 癒やしをくれる不思議な香りのアヤカシ
「におい」とは不思議なもので嗅ぐとなぜか気持ちが落ちつくいい香りがある。アロマやお香のように人の手を介してにおいが発生するのはわかるけど、そうではない香りの妖がいるという……。
コオロギ――神路祇――がそんな不思議な体験を話そうとしてるので興味津々だ。どんな妖なのかまったく想像できない俺――紫桃――は期待して聞く体勢に入った。
「都市部にある神社で体験したことでね、神社は通勤の途中にあるから、この日もいつもと同じように寄り道したんだ。
階段を上り切ったら右側にある手水舎で手を清め、参拝するため拝殿へ進むと、森の香りに飛びこんだんだ。急に空間が変化して驚いたよ」
よっぽど珍しかったのか、コオロギは目をきらきらさせて話している。コオロギの体験談は怖いことが起きるから、俺はびくびくしながら聞くことが多い。でも今回はそんなことはなさそうで、わくわくしながら続きを聞く。
「突然入りこんだ空間は森の香りが漂っていた。朝霧の森林の中にいるように、木や草の香りで満ちているんだ。
ところが今いる場所は街にある神社で、境内の風景も見えている。それなのに、森の中でハイキングしたときの空気を感じて心地よかった」
「すごいな! 異空間にワープした感じなのか?」
「自分が森の中へ行ったのではなく、森に流れている空気だけが神社にワープしているような……?
う―――ん。説明しづらいな。
なんというか…… 森林の空気の塊がぽわんと存在していて、中に足を踏み入れたような感覚だったよ」
「空気の塊の中……。そんな体験もあるのか!?」
「たまにね。
でも残念なことに、いいものはすぐに消えてしまうんだ。
風船から少しずつ空気がもれていくような感じで森の香りが少しずつ薄れていく。とても居心地がいいから、ずっと居たくなる場所なんだけど、すぐにいなくなる」
「一度限りのものなんだ?」
「ん――… よくわからないんだ。
別の場所に存在しているかもしれない」
「えっ? 空気の塊は移動するのか?」
「どうだろう? 見えないからさがせないんだ。
もしかしたら時間をずらせば、また同じ場所にいるのかもしれない。
いい香りの妖はちょっとケチだよ。もっとサービスしてくれてもいいのに」
「贅沢言うなよ。
全然経験できない俺からするとうらやましいぞ」
「でも妖からちょっかい受けることもあるんだぞ。
いい香りがないと、とんとんにならないよ」
「……確かに」
コオロギは零感の俺には見えないナニカを視たり、妖に背中に乗っかられたり手を引っぱられたりと怪異に遭遇する異能者だ。
コオロギはイタズラしてくる妖に対しては手厳しい。思い出したことで腕を組んで少し頬を膨らませていたけど、香りの妖の体験は、よっぽど良かったようですぐに笑顔を見せて話を続けた。
「あの神社で体験した『香り』はいい気分になるから、癒やしスポットみたいな場所になるんだろうなあ」
「俺にもなにか効果があるのかな?」
「ほ―――ん……。どうだろう?
個人的な意見だけど、人には好き・嫌いの好みがあるから、まったく同じような感覚になるとは思えない。
癒やしのスポットにも相性のようなものがある気がするなあ」
「そっかあ……」
「ま、でも試しに行ってみようよ。
もしかしたら紫桃もなにか感じるかもよ?」
テーブルに肘をついて、手に顎を乗せたコオロギは、にぱっと笑った。
コオロギが語る体験談はぞくりとするものが多いけど、うれしそうに話す香りの妖には、ほんわかとした。
コオロギが褒めるくらい心地がいいなら、俺も現場へ行って体験してみたい。いつか怪異スポット――じゃない。癒やしスポットに行けるかもと想像したら、いろんな期待がわいてきた。
うきうき気分でいると、いい香りが漂ってきてコーヒーが運ばれてきた。
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