京都新聞書評#4 與那覇潤『江藤淳と加藤典洋』(文藝春秋)
初出:京都新聞読書面「本屋と一冊」京都文芸同盟、2025年6月22日
著者の與那覇潤は歴史家である。しかし本書で示されるのは、歴史に対する断念である。
日本では過去は忘却され、他者と共有できるような物語としての歴史がない。都合よくつまみ食いされる断片的な歴史は、他者との関係を作りなおすことの妨げとなってしまう。著者は大胆にも、そんな歴史なら捨てよう、と主張する。むしろ歴史を捨て、べつのかたちで他者との関係を作りなおすことはできないか。
本書によれば、それが批評である。批評とは「作品(=批評の対象)に感じる『意味』を媒介とすることで、他者との関係を作りなおそうとする試み」である。江藤淳や加藤典洋のように、かつて日本では文藝批評家の存在感が大きかった。上野千鶴子による本書への推薦文は「文藝評論が政治思想になる日本の最良の伝統が引き継がれた」である。
なぜ文藝批評なのか。それは、単に政治のような公的な問題だけを、または文学のような私的な問題だけを論じるのではなく、両者をつなぐのが文藝批評だからだ。例えば本書では、沖縄返還という政治と、村上龍『限りなく透明に近いブルー』という文学が、オキナワという作中の登場人物を介して鮮やかにつなげられていく。
そして本書は、テクストを通じて作者という他者の影と対話する姿勢さえあれば、歴史を共有していなくても、他者との関係を作りなおすことができると読者に呼びかける。未来の批評について考えるうえで必読の一冊だ。
