「俺とはちがって、理想的な大人だったよ」|葬送のフリーレン
『葬送のフリーレン』には、歴史の伝承のはかなさや、歴史の書き換え、歴史的人物に対する理想投影の危うさについて描かれている、と以前に書いた。
(「そしてそのうち、原型すらなくなってしまうんだ」)
上記のコラムで取り上げた『勇者の剣』を使ったシンボル操作ほどではないが
魔王を倒した勇者一行に対する美化や理想投影は、『葬送のフリーレン』には繰り返し出てくる。
そしてそれは、
ときに必要なものとしても描かれる。
たとえば、S1E14『若者の特権』に出てくるエピソードだ。
フリーレンたちのパーティには、新たに僧侶ザインが加わった。
ある日とある町で、
シュタルクとフェルンは喧嘩をする。
そしてフェルンはザインに、その件を相談しに行くのだった。
僧侶ハイターに育てられたフェルンは、同じく僧侶であるザインを、育ての親であるハイターと重ねていたのかもしれない。
このことに言及して、ザインは言う。
そんな偉大な僧侶と比べられちゃ
たまったもんじゃないぜ。
これを聞いたフリーレンは、
実際のハイターは「偉大」というイメージからはほど遠く、酒飲みで、食べ物の好き嫌いが多くて、よく嘘もつく「生臭坊主」だった、と話して聞かせた。
するとザインが続ける。
でも意外だったな。
俺の記憶にあるハイター様は、
やさしくて頼りがいのあるじいさんだった。
俺とはちがって、理想的な大人だったよ。
大人は子どもから見れば、誰しも、そこそこ立派に見えたりするものだ。
「魔王を倒した勇者一行の僧侶」という肩書きがつけば、なおのこと。
幼いザインにとっては、理想投影の対象になりやすかっただろう。
そしてその理想は、彼の心の支えになったはずだ。
回想シーンのハイターが、フリーレンに言う。
自分は大人になったのではなく、幼いフェルンのために理想の大人を目指して、大人のふりをして
それを積み重ねてきただけなのだと。
大人という理想的な存在が、子どもには必要なのだから、と。
そう。必要だから、心が求めるものだから人は理想投影をする。
そしていつの間にか自分たちも「大人という理想的な存在」のふりをするようになる。
自分以外の、誰かのために。
ザインもまた、まだ知り合ってから日の浅いシュタルクとフェルンの喧嘩の仲裁をしてくれた。
フリーレンは、そんなザインの頭を撫でながら、こう言う。
ザインはちゃんと、大人やれていると思うよ。
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