「彼は善人だ。本当に、私をかばったんだ」| クロス考察:チ。 ―地球の運動について―✖️女の国会
アニメ『チ。 ―地球の運動について―』(魚豊・原作)を見て、ひどく感動した。
人々が世界を定義する価値観が、大きく揺らぐ時代の物語。
地動説という新たな思想は人々を慄かせると同時に魅了し、信条、信仰、愛情、狂気といったさまざまな言葉で、その強い感情が表現されている。
登場人物たちの心が大きく動かされる時、
私も一緒に感動し、動揺し、熱中し、悲しみ、喜び、私はあっという間に物語の虜になった。
しかし感想がありすぎて、複雑すぎて、
私の文章力ではそのすべてを言語化することは難しい。
このことについては、以下の記事に書いたとおりだ。
それでも、『チ。』について
何か少しでも書いてみたいと思った。
そこで思いついたのが、クロス考察だ。
自分の『チ。』の感想を切り出し、
他の作品と「つながる」と感じた部分についてのみ、考察し、書いてみようと思う。
今回クロス考察の対象とする作品は、
小説『女の国会』(新川 帆立・著)だ。
似ても似つかぬ時代背景・テーマのこの2作品について、物語の本筋とは全く異なる角度からの
私の個人的な考察になることを、事前に明記しておきたい。
あらすじ
世の中にはたくさんの情報が出ているので今さらではあるが、
ごく簡単なあらすじだけ、念のため記述する。
『チ。 ―地球の運動について―』
15世紀のヨーロッパを舞台に、「地動説」を命がけで研究し、受け継いでいく人々の物語。
当時は教会の教えに反する危険な「異端思想」だったため、関わった者たちは迫害や死と隣り合わせになる。それでもなお、「真理を知りたい」という思いが世代を超えてつながっていく。
⚫︎テーマ:信念・知の継承・人間の尊厳。
『女の国会』
舞台は現代の日本。若手女性議員が、理想と現実の狭間で揺れ動きながら、国会という権力の場で闘う物語。
登場する女性たちは、政治の世界に渦巻く思惑、メディアや世論の圧力、女性であることへの偏見に直面しつつ、自らの信念と向き合っていく。
⚫︎テーマ:政治の裏側、女性が権威構造の中でどう生き抜くか。
時代を超える社会構造
わざわざ書くまでもなく、2つの物語の
時代・舞台背景やテーマは、大きく異なる。
しかし『女の国会』を読んでいて
某市議会議員の加賀美という男性議員が登場した際、その姿が『チ。』の第7話から出てくる
男性学者のコルベと重なった。
乱暴なまとめ方であるのは承知の上で敢えて書くが、類似する登場人物と構成は、以下のようになっている。
【異なる物語に登場する2人のキャラクターの類似行動】
『チ。』の学者コルベ(男): 主人公の1人であるヨレンタ(女)を助手に持つ研究者。ヨレンタが書いた論文を認め、権威側に提出するが、その際に自分名義に書き換えて提出し、自身の手柄にする。
『女の国会』の市議会議員・加賀美(男):同じ市議会議員である間橋(女)に議会質問案を作成させる。議会では、あたかも自分の発案かのように話し、自身の手柄にする。
中世ヨーロッパと現代日本では
社会構造や価値観は似ても似つかない。
人権の概念も、大きく異なる。
しかしその中でも、ほぼ同じフォーマットと呼べるほど、権威構造と女性差別の類似がある。
私には共通点として、明確に認識された。
抗うだけでは生き抜けない ― 圧倒的構造の中での選択
上記に書いた『女の国会』の加賀美議員(男)と
『チ。』の学者コルベ(男)の類似点は、
その「手柄の横取り」的な構図だけにとどまらない。
どちらの物語にも、女性を取り巻く根深い構造と、それに対するある種の諦めと受け入れ、
そして時に、その社会構造を利用して生き抜く姿勢が共存する。
『チ。』と『女の国会』それぞれにおいて
その構造を浮き彫りにするシーンを取り上げたい。
『チ。』 ― 「彼は善人だ。本当に私をかばったんだ」
『チ。』 の第7話で、コルベの優秀な助手・ヨレンタは、
提出した自分の論文の名義がコルベの名前に書き換えられたことに、抗議しようとする。
しかし、そんな彼女に対してコルベは
善意の笑みを浮かべながら、こう言うのだ。
女性の論文なんて、誰が読むの?
当時の時代背景では、女性の名前で論文を出すことは、それ自体がリスクだった。
万が一にでも、あとから内容に不適切な箇所が見つかったら、「魔女狩り」にあってしまう。
それは、事実であっただろう。
だからコルベは、才能ある彼女の論文を世に出し、
広く読んでもらうために、名義を自分に書き換え、提出したのだと話す。
万が一にでも彼女が悪目立ちしてしまったら
彼女の人生は「軽く終わる」と、コルベは言った。
だから、これはヨレンタにとっても賢い動き方なのだと。
納得できないままに、それでもヨレンタは、身を引く。
この出来事があった後の研究所からの帰り道、
ヨレンタは歩きながら、気持ちを整理しようとする。
コルベさんに、はめられたんだ。
彼は、悪い人だったんだ。
そう、思い込もうとする。
しかしそこで、彼女は歩みを止める。
狭い路地からのぞく、
狭い空を見上げながら、こう思う。
もし、そうであってくれたら、
どれだけよかったか。けど違う。
彼は善人だ。本当に、私をかばったんだ。
きっとここが、私が見られる最上の景色なんだ。
これが、私の現実だ。
それは、コルベ個人が善良か否かの問題ではない。
ヨレンタ個人の努力で、覆せる類のものでもない。
構造は圧倒的な力をもって彼女を閉じ込め
彼女はその内部で、生き延びる術を探すしかないのだ。
『女の国会』 ― 「課題が解決されるなら手段はなんでもいい」
『女の国会』第3章では、女性市議会議員の間橋は
男性議員である加賀美のゴーストライター同然の
役割を押し付けられる。
加賀美が議会で話すための質問案を
彼に代わって書くよう、依頼されるのだ。
加賀美は、東大経済学部卒であり、日本銀行出身だ。
いかにも「経済に強いエリート」の男性議員である。
一方、元アナウンサーで「主婦」議員の間橋は、
もともと日本経済のインフレに対し、
生活者目線での問題意識を持っていた。
苦しむ一般生活者のために、小中学校の給食費のすえおきについて、議題に上げたかった。
自身が課題だと思う内容を議題に上げるために、
間橋は、加賀美が議会で使うための質問案に
その内容を盛り込んだ。
間橋が書いた内容を、加賀美は悪びれもせず、
自分の発案かのように議会で話す。
その加賀美を見る間橋の中には「むらむらと怒りがわいた」と書かれている。
しかしすぐに、彼女の思考は、
ある種の諦めへと切り替わる。
「諦め」という名の彼女の思考は、こうだ。
間橋が言えば「主婦目線の生活課題」になる話も
加賀美が言えばれっきとした「経済問題」として扱ってもらえる。
その方が老議員たちに話を聞いてもらいやすい。
ここにもまた、絶対的な構造が存在する。
間橋の中に諦めはあるが、戦いを放棄したわけではない。
自分のためではなく、目的のために戦う。
たとえ構造を打ち破ることはできなくても。
この後の文章には、以下のように続いた。
課題が解決されるなら手段は何でもいい。
使えるものは使っていこうと思って、自分の通したい政策に寄せた原稿を用意したのだった。
【まとめ】構造の中で生きるということ
時代背景もジャンルもまったく異なる二つの物語を、並べて語ることには、かなり無理があると思う。
それでも、オーディエンスあるいは読者として
2つの作品を読み込んだ際、私の中で強くリンクする部分があった。
人ひとりでは太刀打ちできない圧倒的な社会・権威構造の中で女性が置かれる位置や、
その中で何を諦め、選び取り、どう生き延びるのか。
驚くほど、似た輪郭が浮かび上がった。
それは構造的な類似でもあり、
彼女たちの姿勢の共通点でもある。
時に諦め、時に強いものを取り込み、
弱い立場にいても、自分個人を超えた目的に
近づこうとする在り方だと思った。
これは作品の「正しい読み方」を示すための考察ではなく、あくまで私個人の感想を書き連ねただけであるという点を最後にもう一度明記して、終わりにしたい。
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