3話『時速15キロからの飛翔 ~見えない壁を越えて~』
第3話
県代表決定。
その切符を手にしたとき、私たち夫婦の前に立ちはだかったのは、対戦相手ではなく「移動」という見えない壁だった。
「カズ、九州大会の会場……遠いね」
カコがつぶやく。
彼女は見た目こそ若々しく、年齢不詳の美しさを持っているが、その肉体はガラスのように繊細だ。
幼少期に診断された「先天性白血病」。そして7年前の心筋梗塞。
一見健康に見える彼女の体は、実は気圧の変化に極端に弱い。標高が少し上がるだけで、血管が悲鳴を上げるのだ。
思い出すのは、退院直後のあの日々だ。
車の窓から入る風圧すら「痛い」と感じる彼女のために、私は車を時速15キロで走らせた。
自転車に追い越されるほどの速度。それでも彼女にとっては、それが限界のスピードだった。
少しずつ、少しずつ。
今日は隣町まで。次は船に乗って。
そうやって私たちは、這いつくばるようにして活動範囲を広げてきたのだ。
そして今、目の前にあるのは「高速道路」と「標高」の試練。
九州大会へ行くには、これを避けては通れない。
「やるしかないわね。全国へ行くんだもの」
「ああ、大丈夫。俺がついてる。少しでも辛かったらすぐに止まるから」
私たちは「移動」の特訓を始めた。
心拍数を確認し、顔色を伺いながら、車を走らせる。
恐怖心と戦うカコの横顔。それは卓球台に向かう時と同じ、戦士の顔だった。
――そして、運命の日。
私たちは、九州の会場に立っていた。
高速道路も、気圧の壁も、カコは乗り越えたのだ。
身体のコンディションは、不思議と澄み渡っていた。「勝ちたい」という執念が、細胞の一つ一つを叩き起こしたのかもしれない。
決勝戦。
最後のボールが相手のコートに沈んだ瞬間、カコは小さくガッツポーズをした。
「優勝」。
九州の頂点。
あの時速15キロで走っていた私たちが、ついにここまで辿り着いた。
「カズ、私、来れたよ。遠くまで来れた」
彼女の目には涙が浮かんでいた。
それは勝利の涙であり、自分の身体という「最大の檻」を破った、解放の涙だった。
次は、全国。
日本一への道が、いま開かれた。
(つづく)
魂のラリー〜応援歌決定
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