働く意味を求めて ーみんなが嫌いなブルシット・ジョブ
「意味がない仕事」が人を疲れさせる
「忙しいのに、何も前に進んでいない気がする」
そんな感覚を抱えながら働いている人は少なくありません。
毎日、会議に出る。
資料を作る。
メールを返す。
報告をする。
確認をする。
承認をもらう。
しかし、ふと立ち止まった時に思うのです。
「この仕事、本当に必要なのだろうか?」
この問いを真正面から扱ったのが、文化人類学者の デヴィッド・グレーバー です。
彼は『ブルシット・ジョブ』という概念を提唱しました。
ブルシット・ジョブ。
直訳すれば「クソどうでもいい仕事」です。
かなり挑発的な言葉ですが、多くの人が妙に納得してしまったのは、この言葉が現代社会の“言いにくい本音”を突いていたからでしょう。
ブルシット・ジョブとは何か
グレーバーは、ブルシット・ジョブを単なる「大変な仕事」とは区別しています。
本当に問題なのは、「本人ですら、その仕事に社会的意味を感じられないこと」です。
重要なのは、給料の高さではありません。
ホワイトカラーかどうかでもありません。
むしろ、高収入でオフィスも綺麗で、社会的地位も高い仕事の中に、強い虚無感を抱えている人がいる。
ここが、この議論の恐ろしいところです。
たとえば。
誰も読まない報告書を作る
形式だけの会議に参加する
「仕事している感」を出すためだけの振る舞い
責任回避のための確認作業
上司の存在意義を維持するための感情労働
もちろん、組織には調整も必要です。
人間関係の維持も大切。
ですから、すべてが不要とは言いません。
しかし問題は、「必要な調整」が増殖しすぎて、いつの間にか本来の目的を食い潰してしまうことなのです。
人は「忙しい」だけでは壊れない
興味深いのは、人間は単純に忙しいだけでは、そこまで壊れないという点です。
農業。
介護。
建設。
運送。
子育て。
これらは大変な仕事です。
身体的にも精神的にも負荷が大きい。
それでも、多くの人はそこに人間的な「意味」を感じています。
「誰かの役に立っている」
「必要とされている」
「社会につながっている」
この感覚は、人間にとって非常に重要なのです。
逆に、人を静かに削るのは、「意味がわからないのに、やらなければならない仕事」です。
しかも現代社会では、こうした仕事ほど「ちゃんとした仕事」に見えたりする。
ここに現代的な皮肉があります。
なぜブルシット・ジョブは増えるのか
では、なぜそんな仕事が増えるのでしょうか。
理由のひとつは、「組織は維持・拡大すると自己目的化する」からです。
本来、組織は目的達成のために存在します。
しかし、ある段階から、「組織を維持することそのもの」が目的になり始めます。
すると、以下のような現象が観察されはじめます。
管理する人を管理する人
調整する人を調整する人
会議を準備する会議
書類を確認するための書類
確認メール連絡のための確認メール連絡
しかも厄介なのは、それぞれの立場には“合理性”があることです。
誰もサボろうとしているわけではない。
むしろ真面目に働いている。
だからこそ、問題は複雑になります。
「嫌いな仕事」ではなく「意味を感じない仕事」
ここは誤解されやすいポイントです。
ブルシット・ジョブ論は、「嫌な仕事をなくそう」という単純な話ではありません。
嫌でも必要な仕事はあります。
大変ですが、組織に必要です。
むしろ問題は、「必要性が見えない仕事」が大量発生していることです。
そして皮肉なことに、本当に社会を支えている仕事ほど、低賃金だったりします。評価されにくいいのです。
これは現代社会の価値基準の歪みを示しているのかもしれません。
わたしたちは「仕事」を信仰している
さらに根深いのは、現代社会が「働いていること」自体を道徳化している点です。
成果よりも、まず“働いている姿”が評価される。
すると、人々は「必要な仕事」よりも、「仕事しているように見えること」を重視し始めます。
長時間労働、不要な出社、無意味な根回し、過剰な会議。
これらは、ある意味では「労働の儀式」なのかもしれません。
だから、ブルシット・ジョブは単なる職場問題ではありません。
それは、「わたしたちは、なぜ働くのか」という価値観の問題にさかのぼります。
本当に怖いのは「慣れてしまうこと」。そして、もっと怖いことがあります。それは、「人間は慣れる」ということです。
最初は違和感がある。「おかしい」と思う。
しかし、何年も続けていると、それが当たり前になる。
すると、「意味がないと思いながら働く」ことそのものが日常になるのです。これは、静かな消耗です。
さらには、「これって意味ありますか?」と疑問を投げかける人を「仕事に真面目ではない!」と道徳的に非難してしまうことも。
だからこそ、ときどき立ち止まって考える必要があります。
この仕事は、誰につながっているのか。
何を支えているのか。
自分は、何のために働いているのか。
ブルシット・ジョブ論が本当に問いかけているのは、仕事の効率ではありません。
「人間にとって、意味とは何か」という、とても根源的な問題なのだと思います。
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