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本願寺はなぜ生き延びたか ── 組織内抵抗の本当の機能

顕如の沈黙 ── 現場が組織に抵抗するということ
石山本願寺が信長と対峙したとき、顕如は剣を取らなかった。彼が持っていたのは、教団という「現場」の論理と、それを支える無数の門徒たちの信仰だった。十年に及ぶ石山合戦は、軍事力の差で語られがちだが、私はむしろこれを「正しさの基準が違う二つの組織が衝突した話」として読みたい。
信長にとって石山本願寺は、天下統一という一元的な秩序に従わない「例外」だった。効率と統制を最優先する論理からすれば、本願寺の抵抗は単なる障害でしかない。だが顕如の側に立てば、それは違う風景になる。門徒たちにとって本願寺は生活そのものであり、信仰共同体であり、外から押し付けられる「合理化」によって簡単に明け渡せるものではなかった。
私はこの構図を、今勤めている会社で進めているプロジェクトの中で、何度も思い出すことになった。
「正しさ」が複数あるという厄介さ
会社組織における法令遵守の議論は、しばしば「正しいか正しくないか」の二択で語られる。だが現場で実際に起きているのは、もう少し複雑なことだ。ある施策が法的にグレー、あるいは明確に違反のリスクを孕んでいるとき、それを指摘する側の論理(コンプライアンス、将来のリスク回避)と、それを進めたい側の論理(目先のコスト削減、既存スキームの維持)は、どちらも組織にとって「合理的」に見えてしまう。
信長の論理は、天下統一という大きな物語の前では筋が通っている。顕如の論理もまた、門徒たちの生活を守るという物語の前では筋が通っている。問題は、どちらが正しいかではなく、二つの「正しさ」が同じ組織の中で共存できない構造にあることだ。
私が社内で指摘してきた法令上の懸念も、構造としてはこれに近い。私から見れば明確なリスクであっても、進めたい側から見れば「これまでもやってきたこと」「今さら止められない既定路線」になる。どちらも嘘をついているわけではない。見ている時間軸と、背負っている責任の重さが違うだけだ。
抵抗は、敗北を前提にしている
石山合戦の結末を私たちは知っている。本願寺は最終的に信長と和睦し、退去する。顕如の抵抗は、軍事的には「負け」だった。しかし、本願寺教団そのものは生き残り、後に東西に分かれながらも存続していく。
これは重要な示唆だと思う。現場からの抵抗、あるいは組織内部からの異議申し立てというのは、多くの場合「勝つため」にやるものではない。むしろ、それは記録を残すための行為に近い。何が起きていたか、誰がどう判断したか、それを文書として、証言として残すこと自体が、抵抗の主たる機能なのではないか。
顕如が下した最終的な判断、すなわち和睦と退去は、敗北ではなく「教団を存続させるための撤退」だったと見ることもできる。剣を交え続けて全滅するより、形を変えて生き延びる方を選んだ。これもまた一つの統治判断であり、現場の責任者が下す決断の重さを物語っている。
顕如になるか、信長になるか、という問いの外側に
歴史の比喩で組織を語るとき、つい「自分は信長型なのか顕如型なのか」という二項対立に落とし込みたくなる。しかし実際に現場に立つ人間の多くは、その両方を同時に引き受けている。
私自身、会社の中でコンプライアンスや法令遵守の観点から声を上げる立場にいるが、それは信長のように組織を統制する側ではないし、顕如のように一つの共同体を率いる立場でもない。むしろ、信長的な合理化の論理と、顕如的な現場の論理の「あいだ」に立たされて、その通訳をしている感覚に近い。
組織の中で記録を残すという行為は、地味で、評価されにくい。だが本願寺が乱を経てもなお教団として存続し、その記録が後世に伝わったように、今この瞬間の「正しさを巡る摩擦」を言葉にしておくことには、目先の勝敗を超えた意味があるのだと、私は思っている。

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