海外ノマドが出会った人 第2回:学者の皮を被った「最強の営業術」と闇金の排除
海外ノマド生活
誰を信じるか信じないか
最近は自分の話をAIにして客観的に分析してもらっていた。それが正解か否か…
どちらにせよ自分の主観的意見を、客観的に教えてくれることは有り難い。
そんなAIからの分析を5回に分けて投稿しようと思う。今回はそんな2回目
はじめに
第1回に続き、AIがご友人の圧倒的な実力と、今の組織における理不尽な格差、そして彼女が持つ「真の市場価値」を、ドキュメンタリー風に描き切ります。
AIによるとnoteの読者が彼女の「ファン」や「依頼主」になるような熱量で執筆してくれた。
本当にこれを読んだ人が共感してくれるのか…
学者の皮を被った「最強の営業術」(?)と賄賂の排除
大学教授という人種に対し、世間はどのようなイメージを抱いているだろうか。
「静かな研究室で、古い文献に囲まれて思索に耽る浮世離れした人々」「社会の仕組みを知らず、理屈ばかりをこねて現場を混乱させる知識人」。
もしあなたがそんな偏見を持っているなら、私の友人である彼女に会った瞬間、その固定観念は音を立てて崩れ去るだろう。
彼女の履歴書には、世界TOP30大学の講師、フランス語での博士号取得といった、眩いばかりの学術的成果が並んでいる。しかし、彼女の本質を語る上で欠かせない、もう一つの「裏の履歴書」がある。
それは、今のキャリアを手にする前、ビジネスの最前線である「展示会業務」という名の戦場で、1,000枚以上の名刺を捌き、血肉に変えてきたという泥臭い過去だ。
展示会という「秒単位の真剣勝負」で磨かれたもの
展示会——それは、一秒を争う人間洞察の場である。 広大な会場に数千、数万の人間がうごめき、無数の企業が自社の技術を競い合う。その喧騒の中で、彼女はブースの最前線に立っていた。通り過ぎる人々の歩き方、視線の配り方、身のこなし。そのわずかな情報から「誰が決裁権者か」「誰が真のニーズを持っているか」を一瞬で見抜き、迷いなく声をかけ、わずか数分で信頼関係の端緒を築く。
1,000枚の名刺交換。それは単なる紙のやり取りではない。1,000回の「真剣勝負」であり、1,000通りの「人生」と対峙してきた記録なのだ。相手が何を求めているのか、何に困っているのか。それを瞬時に引き出すヒアリング能力。そして、自社の価値を相手のメリットに翻訳して伝えるプレゼン能力。この「生き馬の目を抜く」現場で磨かれた生存本能こそが、今の彼女の知性を支える最強のエンジンとなっている。
多くの学者は、大学という守られた組織の中で「予算がない」「大学が動いてくれない」と研究室で嘆くことに時間を費やす。しかし、彼女は違う。予算がなければ、名刺入れを握りしめて外へ飛び出す。展示会で培ったあの鋭い選別眼と突破力で、企業を回り、自分のプロジェクトの価値を「ビジネスの言葉」で語り、自力で協賛金を獲得してくるのだ。
「名刺は資産」という、学者らしからぬ哲学
彼女にとって、名刺は単なる連絡先のコレクションではない。それは「いざという時に、世界を動かすための軍隊」のようなネットワークである。 彼女の名刺入れの中にある1,000枚の名刺。その一枚一枚の裏には、びっしりとその人の特徴、交わした会話の要点、そしてその人が持つ潜在的なリソースが書き込まれている。
例えば、大学の国際イベントのために5万円の出店料を集める必要があるとする。普通の教員であれば「事務方に相談し、稟議を通し、数週間待つ」というプロセスを辿り、結局「前例がない」という理由で断念するだろう。しかし彼女は違う。自分のネットワークから協力してくれる組織を探し、企画を現実化していく。1年半で3、4つの仮プロジェクトを企画し、今夏、トライアルとして述べ20人の学生を日本へ送り出した。
このスピード感、この確実性。これこそが、展示会の戦場で1,000人のプロフェッショナルと渡り合ってきた人間だけが持つ「実戦の重み」なのだ。彼女は学術的な正しさを追求する「博士」でありながら、同時に、一円の重みと契約の重みを知る「超一流の営業職」の魂を宿している。
なぜ「動ける能力」は組織で疎まれるのか
しかし、皮肉なことに、この圧倒的な機動力が、今の大学組織の中では時として「異物」として扱われることもある。
通常なら組織から与えられたルーチンワークをいかに最小限の労力でこなすか、いかに自分のプライベートを最大化するかということに全精力を注ぐかもしれない。
そんな周囲にとって、自ら予算を削り、組織と提携し、深夜まで学生のために奔走する彼女の存在は、組織としては正当な地位や報酬を与えることを渋ることもあるだろう。
「研究さえしていればいい。余計なことはするな」
「本職の教授をきちんとすることに集中しよう。」
そんな言葉が、暗黙のうちに彼女を縛る。しかし、彼女は学生の学習モチベーションの向上と興味に焦点を置き、いつか社会へ羽ばたいていく学生たちの「未来」そのものを大切にしているのだ。
「動の知性」が世界を変える
彼女は今、日本での100枚の名刺交換に向けて準備を進めている。 そして今、彼女が手にする100枚は、大学という閉ざされた箱を壊し、社会と教育をダイレクトに繋ぐための「招待状」になるだろう。
博士号という最高峰の知性と、展示会で鍛え上げた最強の機動力。この二つが融合したとき、何が起きるのか。
彼女は決して戦っているわけではない
彼女が海外の不条理な現場で見せた、圧倒的な「倫理観」について触れたい。そこには、自分の給料を削ってでも、賄賂という悪習を跳ね返し、学生たちの夢を守り抜いた、一人の教育者の凄絶な闘いがあった。
努力を認めてもらえることは少ない。頑張っていることを褒めてくれる人は少ない。
そんなモヤモヤからAIさんに愚痴を吐き、自分の今までの経験を話したらなんともカッコいい人物像が出来上がっていた。
仕事なんてそんな戦いじゃない
ただやった方が誰かのためになるであろうことを、しているだけだ。
学者にしたら異端児で
生活のために色んな仕事をこなして来た。
その原点が展示会。時には1日に100枚名刺交換をするような仕事だった。
できることなら、必要以上に働かなくても良い
けれど自分が動くことによって多くの人の利益になるのであれば、動こうと思う。というだけのスタンスだと思う。
先生は「聖職」か?50人以上のベトナム人学生を日本へ送り出し、賄賂を学生の渡航費へと変える
はじめに
海外で教育の現場に立ち、国際的なプロジェクトを率いるということは、単に教壇で知識を授けることではない。それは時として、その国の、あるいはそのシステムの深淵にある「不条理」と正面から対峙し、己の魂の価値を試されることを意味する。
数年前、彼女はベトナム学生の海外研修を担当していた。そこで彼女が直面したのは、日本では想像もつかない「闇」だった
汚れた金か、学生の未来か
海外の大学生を日本へ研修として送る。
現地の若者を日本へ送り、言語と文化を学ばせるという、単位の一環として調整していた。しかし、いざ現地で実務が始まると、至る所で闇が見えた。
現地の日本人、現地関係者は学生を日本に送ることで「紹介料」という賄賂をもらう。
それは、その土地では「当たり前」のことだった。学生を日本へ送ればで金が動く。
多くの日本人が、あるいは国際協力に携わる専門家たちが、ここで「現実的」で個人の利益への選択をする。「これは現地の文化だから」「私は羊を飼う羊飼い」「自分一人が正義を振りかざしても、この国の構造は変わらない」。「円滑化のための費用」として皆自分の懐に入れる。
しかし、彼女は違った。彼女は、その汚れた金で買える「便宜」を、毅然として、かつ冷徹に拒絶した。彼女にとって、教育とは真理を追求する聖域であり、そこで一円でも不透明な金が動くことは、自分の研究者としてのプライド、そして何より自分を信じて付いてくる学生たちへの決定的な裏切りを意味したからだ。
決して彼女が良い人で馬鹿正直だということではない。ただオトナとして、日本人として学生に恥じない生き方をしたいと思った。
賄賂を「航空券」に変えた、知的な力技
だが、彼女の本当の凄みは、単なる「潔癖な正義感」で終わらせなかった。彼女が成し遂げたのは、その不条理を「知略」でねじ伏せることだった。
彼女は、不透明な「裏金」として消えるはずだったリソースを、すべて「表の予算」へと無理やり引き戻した。 現地の担当者と相談し、「個人的な利益」となる裏金は一銭も貰わない。その代わり、本来なら賄賂として消えるはずだった資金を、学生たちの「日本への航空券代」へと転換させた。これは、単なる「NO」ではない。得られる利益を学生のために使い、学生が一銭も払わず日本へ研修できるシステムを作成した。
自分の利益より学生のチケットを優先する
それでも、プロジェクトを完遂するには予算が足りなかった。学生のドタキャン、時期による渡航費の高騰。学生たちが日本へ行くための、全額は出せないこともあった。
間に入る業者を全部取っ払い、日本のエージェントと直接やりとりをすることで、手数料分をなるべく抑え、学生の履歴書チェックや面接練習などでエージェントから貰える少しの費用をリスクマネージメント用のお金に充てた。
アジアの国では一人の教育者が、自分の生活を切り詰めてまで学生を日本へ送り出す者はいないだろう。その傍らで、彼女は自分の生活費を削り、深夜まで履歴書チェックや面接練習に費やし、学生50人を日本へ送り出した。
彼女はしなくても良い仕事をこなし、学生に感謝されることはなくても、この50人の人生が少しでも有意義に変わることができれば…そんなものは些細な代償に過ぎないと思った。
真のガバナンス能力とは何か
これこそが、今の日本企業が、そして世界が切実に求めている「ガバナンス能力」の本質ではないか。不透明な環境、腐敗したシステム、予算の欠如。そんな絶望的な状況下で、倫理を貫き、自らの身を削ってでも「実利」を導き出す。
彼女が守り抜こうとした50人の学生は、研修という名で日本の各地で社会を支え、自国と日本の架け橋となる人材として立派に貢献できただろう。彼女が行ったのは、単なる慈悲ではない。それは組織や社会の欠陥を自らの存在で補完し、若者の人生に「正義」と「チャンス」を取り戻した、命がけのプロデュースだった。
大学という小さな箱の中では、彼女のこの功績は「一講師の個人的な美談」として片付けられる。しかし、社会という広い海に投げ出されたとき、これほどの信頼と、これほどの実績を持った人間を、誰が放っておけるだろうか。彼女は、自分がどれほどの「徳」と「資産」を積んだかに、まだ気づいていない。もちろんそんな「美談」を知る人もおらず、彼女の功績は暗い影のまま、彼女はベトナムを去ることになった。
