ぶどう畑の真ん中で…見えない努力と孤独感
アルザス、ストラスブールの郊外。遠くに見える母校を背に、私はぶどう畑の真ん中で暮らしていた。
アルザスはオーガニック、自然派ワインが多い地域だ。
そんな畑は手をかけず、自然の力強さを信じて見守るぶどうの木。その実は、人の目に見えない「見守る」という努力によって味が決まる。私の人生も、きっとそうだったのではないかと思うことがある。
多くの人は、12歳からの単身海外生活を「恵まれた特権」だと羨む。だが、現実はそれほど甘いものではなかった。
そんな海外生活の裏の過酷な日々について…前回長文を書いたのでまとめを書いてみた。
お陰様で、今までのNOTEの中でもかなり反響が多かった。
でも今まで溜まっていた思いをだらだら書いてしまったので、こう少し簡単に、必要そうな部分だけを抜粋してみた。
逃げ場所のない日常
本当の両親は、私が6歳の時に離婚した。原因は父親の多額の借金。私の日常は、家に押しかけるヤクザとの対応や、赤旗を掲げた新聞記者に追われる日々だった。
小学校では陰険ないじめに遭った。頼んでもいないピザが10人前届くような嫌がらせに、周囲からは知らない「事件」の犯人として濡れ衣を着せられる。
家に帰ればヤクザ、学校に行けばいじめ。それでも私はグレることはなかった。生まれる環境は選べない。親の不始末で自分の人生を濁らせることが、何よりも嫌だったからだ。
経済的な育児放棄をされ、私は祖父母や叔父叔母夫婦の掲経済的援助のお陰できちんと学校に行って生活させてもらえた。
金銭感覚が鈍っている親を持つ私の趣味は「貯金」だった。自分を守れるのは自分だけだと、子供ながらに理解していた。
アルザスへの逃避と、突きつけられた限界
「フランスの全寮制学校に行きたい」
11歳、小学校6年生の時に学校からもらったフライヤーに書かれたフランスにある分校の話。
その願いは、親の海外赴任という都合と重なり、家庭環境のこともあり、何カ月も家族を交渉しながら最終的に承諾を得ることができた。ある意味、家庭の崩壊が私を異国の地へ押し出してくれたのだ。
しかし、人生はそこからさらに過酷な試練を課す。実親の借金で学費が払えなくなったり、夏休みにバイトを掛け持ちして学費と生活費を稼いでいた。
そして最初大学を卒業し、最初の学士と修士を取得してやっと就職をしようと思った矢先の片目の失明。右目まで失うかもしれないという恐怖の中で、左目を失明し、白杖をついて歩いた日々。それが片目だったので、数年後残った片目でまた仕事ができるようになった。
そんな中、やっぱり自分のやりたいことは大学で勉強を続けることだと、また、何度か挫折を繰り返しながらも、私はフランスの大学院での研究を続けることにした。イギリスとフランスに正規留学をし、バイトを掛け持ちして学費を稼ぐ貧乏学生の日々。
それでも、私は勉強をやめなかった。何かを成し遂げなければ、このまま親の借金と不幸の連鎖で終わってしまうという、恐怖に近い焦燥感が私を突き動かしていた。時間はかかったもののフランスの大学で修士号、博士号を取得した。
自然に生きることで見えない努力と孤独
その後、私を育ててくれた叔父叔母夫婦の養子になったが、養母が高いして、養父が新しい彼女を作り、結局育ての親の養父との絶縁。それはある程度お金に豊だった財産の奪い合い。
コロナ禍での孤独な研究。私の人生は、まるで他人に足場を奪われ続けるゲームのようだった。
だが、今こうしてアルザスの土を踏んでいると、不思議と憎しみは薄れていく。
私は、誰かの期待に応えるために生きてきたわけではない。
ただ、「自分の人生の主導権を誰にも渡さない」という正義を貫いてきただけだ。
いじめられた経験は、他人の疎外感に敏感な私を作り、失明という恐怖は、「今日が最後かもしれない」という強烈な生の実感を与えてくれた。
もし、私の人生が整った畑のように見えないのなら、それは私が誰の指図も受けず、ある意味自由に、自然に自分だけの「畑」を耕してきたからだ。整った畑は人の手が加えられ、「きちんと仕事をした畑」と見なされる。
逆に自然派の畑はなるべく人間の手をかけず、見守り、自然に任せていく。周囲からは「畑仕事をしていない。」と思わる。
何もしないで自然に任せる。これが実は以外と難しいことだ。
人の人生も同じこと。周りに流されてしまうのか、自分の意志を貫いて好きなことをして生きていくのか。
私は自分の目のこともあって、明日死んでも後悔しないように、そう思ってなるべく自分の好きなことをするように生きてきた。
努力は、誰かに見られるためにするのではない。
明日が来ないかもしれないという恐怖の中で、それでも「今」という時間を自分の手で掴み取るためにある。
海外留学も海外在住も、1人でその国に行こうと決心する場合は孤独の戦うことになることも多い。
そして、普通の人生というものとは別のベクトルで歩いていくことがある。私の人生は元から普通ではなかったし、家族に属していなかったので、そこから離れることにためらいはなかった。
海外在住
海外留学
と聞くと表向きとてもキラキラしたものに見えることもある。
でも実際はその奥は泥臭く、もがき続けて、そして勝ち取る成功があるのかなと思っている。
私は博士号取得にかなり時間を要してしまったが時間だけはどんな家族に生まれ、どんなに貧しくてどんな環境で生きていても誰にでも与えらえた唯一平等なものだと思っている。
だからこそ諦めないで、自分の目標達成のために進み続けること。
努力だけじゃない、少しずつでもコツコツ進んでいって、諦めないこと。
どんな環境に置かれても、時間はかかるかもしれないが、いつかは自分の夢や希望が叶うんじゃないかと思うのだ。
