成長しないとダメなの?──東京、競争社会、自己啓発の呪い
東京は、夢を叶える街だと言われている。
努力が報われて、チャンスにあふれていて、成長できる場所だと。
でも、私にとっての東京はちょっと違う。
この街にいると、常に「もっと頑張れ」と脅されている気がする。
28歳、「向上心」を失うにはまだまだ早いのではないか?と言われそうだが、成長とか向上とか、そういうものに嫌気がさしていた。
何者かであれ。努力を止めるな。今の自分で満足するな。
そんな空気が、無言の圧力として街中に充満している。
⸻
新R25とかPIVOTとか見てるけど、楽しめてない
最近見てるYouTube
新R25とかPIVOTとかNewspicksとか…
でも正直、楽しんで見てるわけじゃない。
最初は深く考えなかった
最近意識高くなったなあ…
くらいの感じで
でも、箕輪厚介さんが出てた回を偶々見てふと我に返ったのだ。
僕とか新R25とかに影響されて人生考えるよりは、
そういう思考を持ちながら自分の人生を楽しく生きる方が大事だよ
生の声を聞かずに、
有名な人が言い切るじゃん、対話なく。
それって意外と絵空事。
すごく限定された自分たちの周りで考えてるから、
やりゃあいいじゃんって考えてるんだけど、
そのやりゃぁ良いじゃんが与えられてる条件の人は
実は港区の人だけだったりする。
やりゃあ良いじゃんって突き放すこともできるけど、
ちゃんと親身になってAさんの人生をリアルに考えると、
やりゃあいいじゃんってやっても、
うまくいかないもん。
俺が今からサッカー選手になる。
なればいいじゃん、
カズだってやってんじゃん
50歳なってもやってるじゃん
そんぐらい雑で…
っていうことをやってた気がする、長年
資本主義のレースを勝つための、
幸せになるための方法を発信しているが、
全員が全員走んない方が良い
勝てる人は走ったらめちゃめちゃ良い
でもほとんどの人が勝てない中で、
この資本主義のレースで後ろの方走るくらいなら
走んない方が幸せ
それでバカにしてた方が良い
東京の人って何が幸せなの?
家賃払うために残業してる
それでほとんど家に帰ってないんだ笑
って
あー私これに気づいたのは結構前なのに、
気づいたら戻ってたなあ
私、今、箕輪さんのいう所謂「レース」に向いてないのに参加してる
一度レースから外れたのに。
7ヶ月前に晴れて4社目に転職した。
私は今、お局にいじめられている。
どうしたら良いか悩んで、
「ちゃんとした社会人である自分になるため」
にこういう動画を見ていた。
今の職場でうまくいってないから。
少しでも自分をマシにしたくて、何か学ばなきゃって焦ってるだけ。
だけど本音では、もうそんなに自分に向き合いたくない。
箕輪さんの言ってること全て正しいとは正直思わなかったが、印象深かったのだ。
⸻
頑張らなきゃって思いすぎて、もう無理になってきた
「苦手でも努力すればできるようになる」
「継続は力なり」「挑戦し続けることが大切」
それらは正しい。間違ってない。
でも、それを信じて頑張ってきた私は、いま、疲れている。
20歳前後までは、自分に自信がないと思いつつ、もしかして奇跡が起きたらすごい人になれるかもしれないとどこかで期待している自分がいた。
でも30歳近くなるとなんとなく自分の限界というか、苦手なこと、無理なこと、向いてないこと、大体分かってくる。
そして、苦手なことや向いてないことをできてない自分に対して
「いや、自分にはまだ努力が足りないからいけないだけだ」
と責めてしまう。
⸻
もう、努力=自己否定になってしまっている
努力するたびに、
「できてない自分」「足りない自分」を突きつけられる。
頑張れば頑張るほど、今の自分を好きになれなくなる。
これは向上心じゃない。強迫観念だ。
そしてそれを育てたのが、この街の空気なんじゃないかと思ってる。
⸻
関西での生活は、特別だった。でも、馴染めなかった
私は23歳の頃、関西に転職した。
誰も知らない場所で、別の人になれる気がした。
4年半、確かに違う人生を歩んだ気がする。
でも結局、完全には馴染めなかった。
文化の違い、人との距離感、会話のテンポ。
少しずつ、自分が浮いていることに気づいてしまった。
そして、東京に「戻ってしまった」
同棲していた元彼のことを忘れたくて、
東京に戻った。
別に東京が好きだったわけじゃない。
ただ、「無難かな」と思っただけ。
どこにいても友達は少ないし、家族も父だけ。
だから正直、関西でも関東でもよかった。
それでも、私は関西に心を残している。
関西が地元で生まれ育った人たちが、
心底羨ましかった。
その感情が辛くて、寂しくて、苦しかった。
東京は、孤独な人が生きやすい街
私は結局東京に帰るのが無難かと思った。
東京は冷たい街だ。
でも同時に、孤独な人がいくらでもいる都市でもある。
関西で感じていた、「みんなには帰る場所があるのに、私はひとり」というあの感覚。
それを薄めたくて、私はまた東京に戻ったのかもしれない。
⸻
どこにも居場所がないという感覚
私はずっと、「ここではないどこか」を探してた。
でも本当は、「今の自分でも息ができる場所」が欲しかったんだ。
向上しなくてもいい。
無理に努力しなくてもいい。
頑張ってるふりをしなくても、生きていていい。
そんな場所があったら良かった。
引越しは人生で9回目。
我ながら行動力は認めるが、居場所と思える場所がないのは自業自得、皮肉にも自ら選んだ選択だ
⸻
関西での思い出を美化している
私は、東京が嫌いだ。
でも、どこにいてもしんどかったのも事実だ。
無理して成長しなくても、誰かと比べなくても、
ただ、静かに自分のペースで生きていける場所が私には心地良い。
誰かに諦めだと言われたら、否定はしない。
ただ、東京で暮らすには、
満員電車に揺られて、
高額な家賃、生活費を払う必要があって、
それこそ箕輪さんのいう
厳しい資本主義社会のレースに参加しなきゃいけないということなのだ
私は7ヶ月前に引越した、関西をまだ忘れられない
郊外に住んだら別に良いんじゃないかと思うよね
でも、それも全然違う
なんでか、関西の方が全部特別に思える
単に思い出を美化してしまっているだけだろうか
今が辛いからか余計に、
関西での日々が美しくて、忘れられないのだ
⸻
🧠 今日の心理学的背景(補足)
• 認知的不協和
意識高い動画を見ながら苦しくなる矛盾感
• 自己否定的完璧主義
努力が自分へのダメ出しに変わってしまう
• 学習性無力感
「どうせどこに行っても馴染めない」と感じる消耗
• 行動的回避
感情に向き合わず、環境を変えることで乗り越えようとする癖
▶ 小海(こうみ)
HSS型or内向的HSP、INTP-T、処理速度グレーゾーンとして生きづらさと創造性について考察するnote連載中。
社会制度・ジェンダー・婚活・恋愛・働き方・クリエイティビティの交差点から、誰かの光になる「構造」を模索しています。
