改めて自己紹介(軽い人生ふりかえり②)
noteを書き始めて日数が経過しているが、以下の自己紹介以外、きちんと書き記していなかった。
なぜ、55歳という年齢で早期退職を考えるか、自分の思考の整理や私のpostを読む方の参考になるかと思い、書き記してみる。
※先ほど①をpostしたばかりなのだが、
思いのほか「スキ」のクリックをいただきました。
皆様ありがとうございます。
勢い、就職後から今までの人生、軽く振りかえります。
就職後
都心生活を始めた田舎者
前回の投稿で、就職の決め手は、都心オフィスへ徒歩出勤と書いた。
都心での生活は中学生のころから憧れていた。
テレビに出てくるドラマの主人公のような男女が颯爽と闊歩する街。
地元では絶対に感じられないテレビで紹介される最新トレンド、
そしてその情報量の豊富さ。
言葉にすると少し陳腐だが、具体的に言うとこんな感じか。
中学生当時流行っていたおニャン子クラブが着ていたSailors。
渋谷でしか買えないあのパステルがかったトレーナーにとても惹かれた。
明石家さんまがキッコーマンのCMで歌っていた歌は、地元のTVでは放映していなかった。
さんまが「笑っていいとも」で言及するたびに、
田舎者の私はその15秒間を想像するしかなかった。
今思えば、「そんな些細なこと?」と一笑に付されそうだが、
小さい頃感じた憧憬は40年以上も経っているのに鮮明に覚えているから不思議なものだ。
そういった有形無形の刺激の中で毎日を過ごしたいというのが、仕事内容・給料の額以上に自分の中では大事だった。
違和感を楽しむ
そしてその夢は現実になった。
日本人だったら大体の人が知っている交差点まで、ほんの数分で行ける会社の寮。その交差点まで、深夜わざとスウェットとサンダルで買い物に出かけ、感じたことのない違和感をしばし楽しんだ。
通勤時に否が応でも眼に入る東京タワーもその楽しんだ違和感のひとつ。
家庭を持つ
そんな都心での生活も数年経ち、そんな違和感が日常になりかけたときに結婚し、家庭をもつ。子供も二人できた。
おかげさまで都心でも生活は20年以上経っても継続できている。
当然のことだが、養う家族が増えると、
その分お財布状況は非常にタイトになる。
ましてや子供たちが入学・進学と成長する都度その重みを切に感じるようになる。
そのせいか、子供たちが小学生に上がるまでは日常になりかけていた都心の風景の記憶が非常に朧気だ。
せいぜい思い起こされる風景は、子供と手をつないで、近くの公園に行くことくらいだったろうか。
父親という目線で新たな気持ちで、感じていたからかもしれない。
自分のあるべきキャリアメイクに悩む
前の投稿に書いたように、28歳で新卒入社はかなり遅い部類。
所謂若い時分では給料も右肩上がりで、昇進や管理職になることの重要さを
さほど気に留めていなかったものの、
40歳を超えてくると、自分のキャリアパスの正当性を裏付けるべく
「地位」を無意識に求める自分がいた。
ただ、年齢と経験のアンバランスさが自分の会社でのパフォーマンスに
良い影響を与えていたかというと、正直大きな疑問符が付く。
自業自得だけど、それを凌駕する突き抜けた仕事ができなかったのは、反省点。
ひとつのオファー
そんなもどかしい日々のなか、45歳になる手前、ひとつのオファーが届いた。
会社ではなく、子供が通う学校からだった。PTAの役員就任要請である。
毎年冬にその学校では、PTAのイベントで餅つきがあり、
小さい頃から家族で餅つきをしていた経験から、毎年参加して杵を突いていた。
その若干「腕に覚えのある」参加ぶりが要請につながったようだ。
会社では人を取りまとめる経験がないのに、何ができるのか?
正直迷った。
ただ、個性的ですばらしい父兄のいる学校で、中心となって活動できるのも
ある意味ユニークで良いのかも、と感じお引き受けすることにした。
結果、その学校で2年間役員を務め、その後も引き続き、今に至るまで地域のお手伝いをすることに。
そのころには、自分のキャリアパスの正当性を裏付ける
「会社での地位」を求める自分はもういなかった。
ライフシフト
そのころから、人生のとらえ方を、サラリーマン視点から、もう少し俯瞰で見ることになっていった気がする。
会社員ではなく、社会人として、視野を広げようと社会人向けのセミナーに半年間通い、交流をとおして様々な方たちの人生を垣間見たのもこの時期。
またボランティア活動を究めようと、
来るオリンピックのボランティアになれるよう箔付けに通訳案内士を志したのもこの時期。
特にセミナーで感銘を受けたのが、この本「LIFE SHIFT」
「教育→仕事→引退」といった人生3ステージから、
長寿化に伴い、有意義に生きるためには、
もっとステージが増えていくべきだという考え方に共感した。
それ以降、自分にとってのエクストラステージは何なのか、
時間があれば、考えるようになった。
そこで浮かんできたのが、
55歳での早期退職 プラン
である。
2019年12月
子供たちの大学卒業近辺の時期、
そして、還暦まで5年を残し、まだ体力が残っている時期。
55歳が自分にとってのターニングポイントだ、と確認したのが
2019年の12月。
オリンピックも翌年に控え、無事希望のボランティアにもなることができ、
通訳案内士の資格も取得でき、次のステージでも生かせそうな土台もできた。
また来るべきターニングポイントのために、家族との思い出も作っていこうとオーストラリアに初の海外旅行をした時期とも一致する。
そして、1年1年大事に思い出を作りながら、、
次のステップへの歩みを始めたときに食らってしまった、Pandemic💦
Pandemic
2020年から3年くらいは、一時停止の期間そのものになってしまった。
テニスといった屋外活動は、特に制限がかかっていなかったので
毎週末は狂ったように練習していた。
でも気晴らしにはよかったのかな、と思うくらいか。
通訳案内士もインバウンドが数年間ほぼゼロになってしまったので
一旦キャリアオプションから外れた。
でも刻々と55歳までのカウントダウンは迫っている。
管理している家計簿のソフトに55歳までの日数を自動表示し、
1日1日を数えることしかできなかった。
2023年から今に至るまで
コロナが5類に戻り、日常に戻り始めたころ
そのカウントダウンは1000日を切っていた。
なんとなく、近づいてくる1日1日の重みが少しずつズシっと感じられるようになり、
この時期には何をしていこう、などカレンダーに予定を入れていく感覚で
TODOリストを作り始めていた。
このnoteに最初に投稿した日は2024年2月。ちょうど55歳になる年の年末まであと600日を迎えた日だ。
軽い人生の振り返りをしてみて
こんな感じでつらつらと2時間あまりで、いろいろと書き連ねてみた。
意外にキーボードの小気味よい音を感じながらあっさり書けた。
読者の皆様がどうお感じになるかわからない。
でも、改めてこうして今日の日まで自分の人生が繋がっているのだなぁと感じることができた。
明日からの自分の歩み方、霞にしか見えなかったが、徐々に助走路となって、クリアになっていくと思う。この振り返りが、少しでも輪郭をはっきりさせる目薬のようになればと思う。
(この表現、55歳近辺の男性には少し共感してほしいかも笑)
追記
就職前の人生振り返りはこちら
