白い霧の約束 第四話
前回までの話
共通テスト前日
三人は、町外れにある小さな神社に来ていた。
ナミ、ナオコ、ミチ。
明日の試験に向けて、合格祈願をするためだった。
「……どの神様でもいいです。お願いします」
ナオコが、少し照れたように笑いながら手を合わせる。
「神様、か……」
ナミは、小さくつぶやいた。
鈴の音が、かすかに風に揺れて響く。
その音に引き寄せられるように、ナミの意識は、ふと遠い記憶へと引き戻された。
――親が再婚して、まだ間もない頃のこと。
かくれんぼをしていて、
校舎の裏手にある、使われていない古い物置き場を見つけた。
誰も使っていないはずの、小さなプレハブの物置。
扉も軽くて、少し押しただけで開いた。
「ここなら、絶対に見つからない」
そう思って、中に入った。
けれど。
しばらくして外へ出ようとした時、
扉は、びくともしなかった。
外側から、鍵がかかっていた。
「……開かない……」
中は、ほこりの匂いがこもっていて、
小さな窓も高い位置にあり、外はほとんど見えなかった。
何度も、扉を叩いた。
「誰か……!」
大声で叫んだ。
けれど、外のざわめきは、遠くにぼやけて聞こえるだけで、
誰も気づいてくれなかった。
真夏の午後。
金属の壁が熱を持ち、
物置の中は、息が詰まりそうなほど暑かった。
水もなく、
喉は焼けるように痛み、
次第に手足に力が入らなくなっていく。
脱水症状で、しゃがみ込んだまま動けなくなり、
意識は、白く霞んでいった。
――人影……?
「おい、ナミ。しっかりしろ」
低い、男の声。
「……しっかり、しろ……?」
誰かが、ナミの肩を支え、
冷たい水を口に含ませてくれた。
ごく、と喉が鳴った。
しばらくして。
ナミの呼吸が落ち着いたのを確かめると、
その男は、何も言わずに立ち上がった。
去り際に、振り返って、静かに言った。
「お前は、強い」
一瞬、ためらうようにしてから、続けた。
「……闇に飲まれぬよう、頑張って生きろよ」
男の背中は、
薄暗い物置の出入口の向こうに、静かに消えていった。
「待って……あなたはいったい……誰……?」
――もし、あの時、あの人が現れなかったら。
今の私は、ここにはいなかったかもしれない。
「ナミ? どうしたの?」
ミチの声に、はっと我に返る。
「ううん、なんでもない」
ナミは小さく首を振った。
「明日、三人とも……頑張ろうね」
そう言って、もう一度、静かに目を閉じる。
胸の奥で、何かを確かめるように。
ナミは、深く手を合わせた。
⸻
翌朝。
身支度を終え、玄関の扉に手をかけた時だった。
「お姉ちゃん」
背後から、ユミカの声がした。
「大変だと思うけど……頑張ってね」
「……ありがとう。頑張るね」
ナミは振り返って笑う。
「行ってきます」
玄関が閉まる。
その直後、ユミカは小さく、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
「……本当に、頑張れ」
思わず、口元に笑みが浮かぶ。
ユミカはスマホを取り出し、誰かと話していた
⸻
しばらくして、ナミは試験会場へ向かうバスの中にいた。
揺れる車内で、何気なくスマホを見る。
その瞬間。
ユミカからのメールが届いた。
《受験票、ある?》
……え?
胸の奥が、すっと冷える。
慌てて、カバンの中を探る。
ポーチ、参考書、財布、スマホ、筆箱。
……ない。
ナミは、青ざめた。
降車ボタンを、思いきり押す。
バスが止まるのももどかしく、飛び降りるようにして歩道に立つ。
――ない。
――どうして。
スマホで時刻を確認する。
もう、家に戻っていたら、間に合わない。
頭の中が、真っ白になる。
諦めかけた、その時。
ある人物から、短い指示だけのメールが届いた
《昨日行った神社。境内の奥、石灯籠の裏》
……え?
驚きはあった。
けれど、考えている時間はなかった。
ナミは、昨日、ナオコとミチと三人で訪れた神社へと走った。
石灯籠の裏。
メールに書かれていた、その場所に――
本当に、受験票が置かれていた。
「……あった……」
神社は、幸いにも試験会場から近かった。
けれど、残された時間はわずかだった。
ナミは、息を切らしながら走り出す。
⸻
その頃。
試験会場の前で、ミチが一人、落ち着かない様子で立っていた。
何度も、入口の方を見つめながら。
やがて。
ナミが、必死な表情で駆け込んでくる。
ギリギリだった。
「……ミチ、ごめん。待っててくれたんだね」
ナミは、息を整える間もなく言った。
「行こう。間に合わなくなる。間に合わなかったら……今までの努力が、全部――」
「待って、ナミ!」
ミチが、ナミの腕を掴んだ。
そして、そのまま、強く抱きしめる。
「落ち着いて」
耳元で、はっきりとした声がした。
「今のままじゃ……思うツボだよ」
ナミは、動けなかった。
「ナミが、ここまで頑張って来られたのはね」
ミチは、少しだけ声を緩めて言った。
「ナミが、芯のある強い心を持ってるから」
「だから……」
ミチは、まっすぐに続けた。
「こんなところで、闇に飲み込まれないで」
――闇に、飲み込まれないで。
ナミは、はっとして、ミチの顔を見つめた。
「……ミチ?」
ミチは、にこっと笑った。
「よかった。いつものナミだ」
「じゃあ、行こっか」
二人は並んで、会場へと向かった。
⸻
その日の夜。
帰宅したナミに、ユミカが声をかけた。
「どうだった? 受験」
今回の騒動が、ユミカの仕業であることは、ナミにはすぐに分かった。
胸の奥から、瞬時に怒りがこみ上げる。
言い返そうとして――
ふと、会場前でミチに言われた言葉が、よみがえった。
ナミは小さく息を吸う
そして穏やかに答えた
「……ありがとう」
「は?」
思いがけない言葉に、ユミカが間の抜けた声を出す。
ナミは、続けた。
「昨日、神社にお参りしたでしょ。たぶん、その時に、うっかり落としちゃったみたい」
「ユミカがあの時メールをくれなかったら、会場に間に合わなくて、受験できなかったと思う」
「……本当に、ありがとう」
そう言って、ナミはユミカの前から、静かに離れた。
ユミカは、その場に立ち尽くしたまま、何も言えなかった。
⸻
ナオコは、その日の受験会場には現れなかった。
そして、その日を境に。
学校にも、来なくなった。
第四話
了
※本作品はフィクションです。
登場する人物・団体・出来事はすべて架空のものです。
実在の人物や団体、出来事とは一切関係ありません。
第一話
