心という包み
心・こころ・ココロ。
いろんな表現があるけど、みなさんはどの言葉がしっくりきますか?
私は「ココロ」がなんか好きですし、ハートと呼ぶのも好きですよ。
じゃあ、そのココロって どこにありますかね?
頭? 胸? それとも体全体?
心という風呂敷の中身
よく包み隠さずに話すというの聞きますよね。
「心」を分解していくと、そこにあるのは…
🧩 思考(あれこれ考える)
🧩 感情(嬉しい・悲しい)
🧩 情動(反射的なリアクション)
🧩 信念(こうあるべき・普通はこう)
🧩 想念(こうなりたい・こうなるはず)
📌 これらをひとまとめにして「心」と呼んでいるだけで、どこかに「心」が実在するわけではない。
💡 「心」はフィルターであり、個人の方程式
この「思考・感情・情動・信念・想念」には、それぞれ 自分だけの意味づけや思い込み が含まれてる。
✔ 「こうするべき」
✔ 「なんでしてくれないの?」
✔ 「普通はこうでしょ?」
✔ 「悲しい」「悔しい」「楽しい」「嬉しい」
全部、言葉のラベルをつけたからこそ生まれたもの 。
「心」は、感覚を言葉にしたもの?
💡 人は何かを感じたとき、
それを言葉に置き換えることで「心」として認識する。
本当は 思考や感情の動きに過ぎず、
「心」という単語が一人歩きしているだけ かもしれない。
📌 「心」とは、あなたが「解釈」し、目の前に創造しているもの。
意外とそれに気がついている人は、多くないのかもしれない。
「心」という風呂敷を開けてみると?
「心」という言葉を外したら?
中身の「思考・感情・情動・信念・想念」のラベルを外してみると…
ただの「感覚」だけが残る。
モヤモヤ、ヒヤヒヤ、ソワソワ、ゾクゾク、イライラ、シクシク、う”ーー、ふわふわ、わくわく…
まるで 漫画の表現 みたいだけど、
実際 人が感じているのは、
快か不快かのシンプルな感覚に反応している だけ。
「心」というフィルターを通すから現れる世界
たとえば、 「う”ーー」 ってなってるとき。
実は、その波動をそのままを放ってるから、目の前に「う”ーー」っていう現実が映し出される。
💡 自分発振そのまんま。
そこに 「苦しい」 という言葉をつけると?
苦しい〜う”ーーという現実になっている。
📌 「心が苦しい」んじゃなくて、
「今、思考がこうなってる」「感情がこうなってる」「体がこう反応してる」ってだけなんですよね。
そのフィルターは頭なんです。
なので、頭よりの心になってしまうと、狭い範囲でグルグルしてしまう。
言葉(名前)も、意味づけも外してみると?
🌀 「心」という言葉も外す
🌀 「私」という言葉も外す
🌀 「感覚」という言葉すら外す
すると…
💡 目の前に見えるものと 境目がなくなり、溶け合っている状態。
すーっと広がって、どこまでも続いていく。
ただ「在る」だけ。
それが本来の意識
「心」という言葉は便利。
その 中に包んでいるものは、人それぞれ違う。
💡 だからこそ、「心」を外したら…
💡 言葉を外したら…
💡 感覚としてはみんな同じになるんではないかな?
❤️この感覚のまま、「心」という言葉を迎えて、解像度を上げる
「心」は確かにある。
中身を細かく見ていくと、さまざまな要素が絡み合っている。
💡 「心がある」=
感情・思考・信念・情動の集合体として、今ここにあるもの
💡 「心を見つめる」= その中身を丁寧に見ていくこと
この視点に立った瞬間、
もう 「心」に振り回されることなく、もっとシンプルに生きられる 🔥✨
肉体的な狭い視点から
本来の大きい視点でその動きを捉えられるようになるので、心という言葉自体が軽いものに感じられますよ。
包みを開いて、
自分で中身を確認していくと、ココロもハート❤️も喜びます。
本日もお読みいただきましてありがとうございました。
