見出し画像

【Review】植田正治写真集・イメージの軌跡|モノクロ表現に憧れた、あの日のこと

植田正治さんの写真が好きだ。
でも、なぜ好きなのかを、ちゃんと言葉にできていなかった。

砂丘で撮ることに憧れているのだと思っていた。
広い空。
乾いた地面。
ぽつぽつと立つ人物。

あの場所に立てば、自分も何か撮れる気がしていた。

でも、本質はそこじゃなかった。

植田正治写真集・イメージの軌跡より

♠️

2024年、僕は一年間モノクロだけを撮った。
それまで頑なにカラーしか撮らなかったのに。

自分の写真が信用できなくなっていた。
色に頼っていないか。
雰囲気で誤魔化していないか。
ちゃんと見て、構図を決めているか。

一度、全部削ぎ落としたかった。
だから、
あの一年は修行だったのだ。

 Leica M4-2/photo by Andy

モノクロ写真という練習

最近、こんなコメントをもらった。

「なぜモノクロで撮るのかを、自分にも他人にも説明できないと危険」

ああ、と思った。
まさにそこだった。

モノクロは、撮った瞬間から写真っぽく見えてしまう。
光と影、コントラスト、粒子。
それだけで成立しているような気がしてしまう。

でも、それは本当に“選んだ結果”だったのか。
自分の写真を見返していて、ふと止まったことがある。

これ、なぜモノクロなんだっけ。
答えを持っていなかった。

植田正治の砂丘

植田正治の砂丘シリーズを見返していて、ようやく言葉が見つかった。
あの写真は、奥行きがあるのに、どこか平面的だ。

人物は風景に溶けない。
埋もれない。
“配置”されている。

まるで舞台の上に立たされた役者のように。

広い空と砂丘という三次元の空間なのに、
画面はどこかグラフィカルで、二次元的だ。

そして、
少しだけシュールで、
少しだけユーモラスだ。

植田正治写真集・イメージの軌跡より

あれは偶然じゃない。
削ったのではなく、設計している。

モノクロだから成立しているのではない。
モノクロである必然がある。

▶︎ Andyのモノクロ写真集(Amazon unlimited 対応)

僕は削っていただけだった

あの一年の僕は、削っていた。
色を消せば、何かが見える気がしていたから。

実際、見えるようになったものはあった。
構図。光。余白。

 Leica M11 /photo by Andy

でも、どこかで「それっぽさ」に安心していた。

モノクロだから、写真に見える。
モノクロだから、深そうに見える。

そこに、明確な理由はなかった。

植田正治の砂丘と、
自分のモノクロを並べると、
その違いは明らかだった。

あちらは“選んでいる”。
こちらは“削っている”。

似ているようで、まったく違う。

いまの現在地

今は、モノクロかカラーかにあまり執着していない。
実際、どちらでもいい。

大事なのは、「なぜそれを選ぶのか」を言葉にできるかどうか。

モノクロの一年は無駄ではなかった。
あれがあったから、問いが残った。
だから、今は、好きに撮っている。

でも、問いだけは手放さない。

なぜそれを選んだのか。
それを自分に説明できるか。

削ることは、勇気がいる。
でも、選ぶことのほうが、もっと勇気がいる。

写真だけじゃない。
仕事も、都市も、生き方も同じだ。

私は削っていないか。
ちゃんと選んでいるか。

植田正治の砂丘を見ながら、そんなことを考えている。

※ 砂丘シリーズは、写真集でじっくり見るとまた印象が変わる。ページをめくるたびに、「配置」という言葉の意味が少しずつ腑に落ちていく。

植田正治写真集・イメージの軌跡より


▶︎ 関連リンク:植田正治 写真集

合わせて読みたい

Andyのデジタル写真集

定価350円〜660円(試し読み無料)
*Kindle Unlimitedなら無料読み放題
LUCENT BLUEーいつかの光、これからの風ー

NOSTALGIA: 心の旅

「雨光幻影」ー滲む世界と、溶ける色彩―


いいなと思ったら応援しよう!

Andy|Leicaに恋して。 いただいたチップで、コーヒー飲みながら次の記事を書かせていただいております✨