合格点なのに不合格…?社労士試験「足切り」の悪夢【前編】
令和七年度8月24日(日曜日)
妻は試験会場に向けて、まさに猛暑の中、電車で1時間以上の道のりを進んでいました。
蒸し暑さと直射日光が彼女を容赦なく襲いますが、10カ月間の努力を胸に、意気揚々と会場に到着しました。
通された受験室には約100人の受験生たちが集まっていて、競争は激化しています。
この中で合格するのは、わずか5人から7人だけです。
心の中で妻はこう叫んでいました。
「私がそのうちの一人になってやるんだ!」
(実際にはそんな余裕、全然なかったそうです)
目次
午前の部 選択式問題
妻の頑張りを最果ての過疎地から応援していた私も、さすがにじっとはしていられませんでした。
普段やらない筋トレを始めてはすぐに飽きて、野球ゲームのホームラン競争では中田翔を使ってもホームランが打てない!
あまりに中田の打球の飛距離が短すぎて「元気があってもホームランが打てない!バカヤロー!」とアントニオ猪木のモノマネをしながら気を紛らわしていました。
そして12時過ぎ、妻からLINEスタンプが届きました。
「涙を流してるスタンプやんけ!!」
妻は悲しいことがあると、必ずこのスタンプを送ってくるのです。
つまり、これって…もしかして…
(あかんかったってことか!?)
不安を感じつつも、私は彼女に聞いてみました。
「試験の出来悪かったの?」
すると、妻はこう返事をくれました。
「うん・・・でも救済制度があって、1点しか取れない科目があっても受かった人がいるから、午後も頑張る!」
そのメッセージを見た私は頭を抱えました。
「1点しか取れなくて合格ってどういうこと?」
妻からは足切り制度について少し聞いていましたが、まさかそんなことがあるなんて…。
そして救済制度を調べるという使命が自分の中で発動されました。
妻より自分のほうが不安になる
ネットやYouTubeで救済制度を調べてみると、足切りのせいで社労士試験に受からなかった人たちが大量にいることがわかりました。
そして近年で1点救済があったのは令和3年の労一のみ…。
「そんな奇跡みたいなこと起こるわけないやろがい!」
私はその瞬間、ビールを10缶飲み干し、ちゃぶ台返しを決めて現実逃避に走りました。
(実際には心の中で泣いてました。)
午後の部 択一式問題
彼女が試験会場で孤軍奮闘している間、私はPCにかじりついて足切りの救済制度の情報を必死で調べました。
午前の選択式問題は8科目40点満点で1科目5点満点。
そしてどれだけ総合得点が高くても全科目3点以上取らなければそこで試合終了…安西先生もビックリですわ…。
更に年度によって合格点の総得点が変動する。
そして今現在妻が受けている択一式は7科目70点満点で1科目10点満点。
全科目4点以上必要な上に合格点は選択式と同様に毎年変わる。
「足切り制度って嫌がらせか?どうりで合格率が低いわけだ」
そう思いました。
でも、妻のことを考えると、きっと大丈夫だろう…という希望的観測もありました。
試験が終わる頃、午後4時50分。
著名な社労士の山川靖樹先生のライブ動画が無料で見れるタイミングになり、必死に眺めていました。
予備校の先生で顔と名前を覚えたのは、山川先生が初めてでした。
おぼろげな記憶ですが「例年通りの難易度」という所感だとおっしゃっていたと思います。
激闘の末、地元に帰ってきた妻
帰りの地下鉄は大混雑、切符を買うだけで1時間以上かかったそうです。
妻からは試験のことよりも、もう何より、
「疲れた」「お腹空いた」とLINEが来ました。
私は予定よりもかなり前から地元の駅に到着し車で待機していました。
そして時間通り地元に帰ってきた妻は予想以上に晴れやかな顔で車に乗り込みました。
そして、彼女が言った言葉は…
「まあでも、やりきったよ!悔いはない!」
私は心の中で思いました。
「いやいや、絶対悔いがあるでしょ!」
でも、妻は爽やかな笑顔で、
「大丈夫、やりきった!」
と力強く言い切りました。
自宅に帰り、夕飯を食べてから、自己採点を二人で始めました。
大手予備校の解答速報が21時頃には出揃っていたのです。妻は自己採点を行うのを嫌がったのですが。
今思えば、この自己採点こそが後の「メンタルクラッシュ」への序章だったと強く感じています…。
どんなホラー映画より怖い恐怖の実話は、後半へ続きます…。
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