文化遺産シリーズ第56回〜後編〜[岩屋古墳のその先へ]
旧学習院初等科正堂、F101号古墳、そして龍角寺へ
前回は、龍角寺へ向かう途中で出会った龍角寺古墳群を歩き、最後に岩屋古墳までたどり着いたところまでを書いた。
岩屋古墳は想像以上に大きくて、正直、そこまで歩いただけでもかなり満足やった。
でも、地図を見ると、まだまだ見られていない場所がたくさんある。
古墳。
資料館。
文化財建造物。
そして、本来の目的地である龍角寺。
一度歩いただけでは、とても全部は回りきれへん。
ということで今回は、その続きや。
岩屋古墳を見たあと、旧学習院初等科正堂、F101号古墳、そして龍角寺へ向かった話やで。

岩屋古墳を見たあと、次に行ったんは旧学習院初等科正堂。
ここは岩屋古墳へ向かう場所の反対側にあって、思ったよりも近くに建っとった。
さっきまで古墳時代の巨大な方墳を見とったのに、今度は明治の洋風建築が目の前に現れる。
この切り替わりが、房総のむらのおもしろいところやと思う。
古墳時代から、明治へ。
土の文化遺産から、木造の近代建築へ。
時間がまっすぐ進むというより、ぐるっと横道にそれながら、いろんな時代を歩いているような感覚やった。



中に入ると、広い講堂のような空間が広がっとった。
白い柱が並び、奥には演壇。
床には落ち着いた木の模様があり、天井も組み木細工のようで、とても綺麗やった。
派手さはない。
でも、品がある。
どこか昔の学校の空気が残っていて、
ここで子どもたちが集まり、
先生の話を聞いたり、
式典が行われたりしていたのかなと想像してしまう。


特に印象に残ったのは、床と天井。
木の色が深くて、模様のように組まれとるのが美しかった。
古墳は土の記憶やけど、この建物は木の記憶やと思う。
人が集まった場所。
声が響いた場所。
何度も使われて、
何度も移され、
それでも残された場所。
そう考えると、この正堂もまた、旅をしてきた文化遺産なんやなと思った。





建物の中には、旧学習院初等科正堂の移り変わりを紹介する資料も展示されとった。
東京にあった頃。
成田の学校で使われていた頃。
そして、
房総風土記の丘へ移され、復原された現在。
写真で見ると、この建物がいくつもの場所と時代を渡ってきたことがよくわかる。
古墳は、その場所に動かず残る文化遺産。
正堂は、場所を移しながら残された文化遺産。
同じ「残る」でも、残り方が違う。
それがおもしろかった。

正堂の中を出て、外を眺める。
広い芝生の向こうに、静かな森。
さっきまで歩いていた古墳群の森とは、また違う穏やかさがあった。
でも、この近くにもまだ古墳があるんよ。
次に向かったのは、龍角寺古墳群第101号墳。

正堂のすぐ側に、101号墳への案内があった。
木々の中に入っていくような道で、少し先に古墳があるのがわかった。
ここは復元された古墳で、埴輪も並べられとるんよ。


101号墳は、今回見た古墳の中でも、とてもわかりやすい場所やったわ。
墳丘のまわりには埴輪が並び、手前には人物や動物の埴輪も復元されとるんよ。
岩屋古墳は、とにかく大きさに圧倒される古墳やった。
それに対して101号墳は、古墳時代の儀礼の雰囲気を想像しやすい古墳やと思う。
埴輪が並ぶだけで、ただの土の丘ではなくなるんや。
そこに人がいた。
祈りがあった。
誰かを送るための場やった。
そんなことが、目で見て感じられる。

案内板を読むと、発掘調査によって埴輪や副葬品、人骨などが見つかっとることがわかるな。
展示として復元されているから見やすいけれど、その奥にはちゃんと本物の発掘成果があるんやね。
こういう場所を見ると、古墳は「昔のもの」ではなく、今も調査や保存によって読み解かれているものなんやなと思う。
過去は、ただ眠っているだけやない。
今を生きる人が、少しずつ読み直している。
そんな感じがした場所や。

101号墳を見たあと、いよいよ本来の目的地である龍角寺へ向かうことにした。
房総のむらから龍角寺までは少し離れとる。
駐車場へ戻り、そこから車で移動することにしたんよ。
最初は龍角寺に参拝するつもりで来たはずやったのに、ここまででかなり寄り道をしたな。
でも、その寄り道があったからこそ、龍角寺へ向かう気持ちも少し変わっとったんよ。
ただのお寺参拝やなく、古墳群とつながる場所へ向かう。
そんな気分やった。

龍角寺の敷地に着くと、目の前に小さな案内があった。
右へ行くと二荒神社。
左へ行くと龍角寺。
本来なら、まっすぐ龍角寺へ向かうところやけど、こういう時に神社の方が気になってしまうのがウチやねん。
せっかくやから、まずは二荒神社へ参拝することにしたんよ。



二荒神社は、龍角寺の敷地の奥にある場所にあった。
木々に囲まれた静かな神社で、観光地というより、この土地にひっそり残っとる神社という印象。
案内板を見ると、江戸時代には三社権現、明治時代には日光三社宮とも呼ばれとったらしいな。
お寺の奥にある神社。
今の感覚では、寺と神社は別々に考えがちやけど、昔はもっと近い存在やったんやろうなと思う。
古墳があり、寺があり、神社がある。
このあたりは、祈りの形が何層にも重なっている場所なのかもしれへんね。



二荒神社の近くには、「不増・不滅の石」と書かれた案内もあった。
説明によると、三重塔の中心礎石にたまった水は、大雨でも日照りでも増えたり減ったりしなかったと伝えられているらしい。
こういう話、ウチはどうしても気になってしまう。
ただの石やと言われれば、ただの石。
でも、そこに伝説が重なると、急に土地の記憶を持った石に見えてくるんよ。
案内にあった「奥石」がこれなのか、はっきりとはわからへん。
でも、この場所に残る不思議な石として、とても印象に残った。
水が増えも減りもしない石。
それだけで、龍角寺という場所が少しだけ物語の中に入っていく。

二荒神社に参拝したあと、いよいよ龍角寺へ。
二荒神社の方から行くと、お寺の裏手から回り込むような形になる。

なんや、反対側から入っていくようで、お寺さんにはちょっと失礼かもしれへんと思った。
でも、この場合はしゃあない。
昔の伽藍配置を考えると、今見えている建物だけが龍角寺ではなく、もっと広い範囲にお寺の跡が広がっていたようや。
案内板には、金堂跡や塔跡、仁王門跡などが示されていた。
たび重なる火災により、今はもうない。
しかし、今は建物が残っていない場所にも、石があり、跡があり、そこに昔の大きなお寺の気配が残っとった。



境内を歩いていると、あちこちに礎石のような石が残っていた。
これを見ると、昔はほんまに大きなお寺やったんやなと思う。
今は静かな境内やけど、かつては塔があり、金堂があり、多くの人が行き来していたのかもしれない。
建物がなくなっても、石が残る。
石が残ることで、そこに確かに建物があったことを想像できる。
古墳の石室もそうやけど、石というものは、時間に対して強い。
木は朽ちる。
土は崩れる。
でも石は、形を変えながらも残る。
だからこそ、石の前に立つと、昔の気配が少し近くなる気がする。

龍角寺の建物は、ぱっと見た時、少し神社のようにも感じた。
でも、お参りして中をのぞくと、金色の厨子のようなものが見えて、
「ああ、やっぱりここはお寺さんなんやなぁ」
と感じた。
※堂内は撮影禁止です。
龍角寺は、寺伝では和銅2年、709年に龍女が現れて、一夜のうちに諸堂を建てたと伝えられている古いお寺。
龍の伝説が残るお寺。
古墳群と関わりの深い土地に建つお寺。
そして、今も静かに参拝を受け入れているお寺。
そう思うと、今回の旅の最初と最後が、ようやくつながった気がした。
最初は龍角寺に参拝するつもりで出かけた。
でも、調べているうちに古墳群の存在を知り、房総のむらを歩き、岩屋古墳を見て、旧学習院初等科正堂を見て、101号墳を見て、二荒神社へ寄って、最後に龍角寺へたどり着いた。
ずいぶん遠回りしたように見える。
でも、その遠回りがあったからこそ、龍角寺がただのお寺やなく、古墳、神社、伝説、文化財が重なる場所として見えてきた。
参拝のつもりが、古墳探しに。
そして最後は、古墳探しが参拝につながった…
そう考えると、今回の寄り道は、ちゃんと必要な道やったんかもしれへんね。
房総風土記の丘も、龍角寺周辺も、まだまだ見とらへん場所が多い。
だからここは、また改めて歩きに来たい、そうおもた。
次に来る時は、今回見落とした古墳や資料館、そして龍角寺の伝説も、もう少しゆっくり追いかけてみようと思う。
古墳の土。
正堂の木。
神社の森。
龍角寺の石。
それぞれ違う時代のものやのに、同じ土地の上で静かにつながっとった。
こういう場所を歩くと、歴史って年表の中にあるもんやなくて、足元の土や石の中に残っているものなんやなと感じる。
今回も、ええ寄り道やったなぁ……
旅って、急ぐもんや無いんやなぁ。

ほな、またね。
