ヘミシンクと太極拳の融合とは何か、それは意識と身体がひとつになるとき
ヘミシンクで瞑想を続けていると気持ちが良い。
広がる感じ、沈む感じ。
イメージを使えば意識の中で飛ぶこと、宇宙へ行くこともできる。
ヘミシンクや瞑想では、意識の世界を探求することができる。
そして、ヘミシンクのフォーカス12の変性意識状態で
身体の動きが軽くなることを感じた。
意識から身体へアクセスできるのではないかと感じた瞬間だ。
太極拳を行うと、気持ちが良い。
背中が涼しい、手がヒリヒリとくすぐったい。
気の流れだ。
感覚は研ぎ澄まされ、身体を味わうことができる。
そして、太極拳が終わって
最後の収手の形で余韻に浸っていると
身体の感覚が曖昧になってくる。
身体は眠り、意識が覚醒した状態、
つまり瞑想の状態、
言い換えるとフォーカス10~15の状態に入る。
身体から意識にアクセスできるのではないかと感じた瞬間だ。
ヘミシンクで探っていた「意識の変化」と、
太極拳で感じる「身体の内側の変化」は、
深いところでつながっているのだろう、
そう感じるようになった。
■ 太極拳で、身体の中に道が見えてきた
太極拳を練習していると、ただ形を覚えるだけでは足りないことに気づく。
手を動かしているつもりでも、
本当は腰が動いている。
腕を伸ばしているつもりでも、
本当は背中が働いている。
剣を振っているつもりでも、
本当は丹田から剣先まで、何かが通っていく感覚がある。
もちろん、最初からそんなことが分かっていたわけではない。
むしろ最初は、形を追うだけで精一杯だった。
けれど、続けているうちに、少しずつ身体の中に「流れ」のようなものを感じるようになった。
それは筋肉の力とは違う。
単なる柔軟性とも違う。
気のせいと言えば、気のせいかもしれない。
しかし、確かに稽古の質を変える感覚だった。
■そこで思い出したのが、気功だった
考えてみれば、私はヘミシンクや太極拳に出会う前、気功に強く興味を持っていた時期がある。
練功。
站椿。
小周天。
当時は、分かったようで分からなかった。
何かを感じたことはあった。
けれど、それをどう育てればよいのか分からなかった。
小周天も、知識としては面白かった。
しかし、実感としてはつかめなかった。
滑稽なくらい掴めなかった。
本を読んでも、肝心なところが抜けているように感じた。
こりゃダメだ。
挑戦自体は楽しかったのだけど、
一度、気功から離れた。
■ それから25年。
今、太極拳を通して身体を見直していると、あの頃に分からなかったことが、少しずつ別の形で戻ってきている。
気功で探していたもの。
ヘミシンクで探していたもの。
太極拳で感じ始めたもの。
それらが、一本の線でつながり始めている。
■ 三関突破という言葉に、今なら反応できる
三関突破。
この言葉だけを見ると、かなり古典的で、少し大げさに聞こえるかもしれない。
尾閭関。
夾脊関。
玉枕関。
背骨を通る三つの関門を突破する、という考え方。
以前の私なら、これは難解な気功用語として読んで終わっていたと思う。
しかし今は、少し違う。
太極拳を続ける中で、腰、背中、首、頭部のつながりを感じ始めた。
ヘミシンクを通して、意識状態が変わる感覚も知っている。
さらに、昔の気功への関心もある。
だからこそ、三関突破という言葉が、単なる知識ではなくなってきた。
身体の中を通る感覚。
意識が上へ抜けるような感覚。
力みがほどけ、内側に一本の道ができるような感覚。
それを、私は今の自分の言葉で考えてみたいと思った。
これから書く三関突破の記事は、古典的な正統解説ではない。
私は道教の専門家ではない。
気功の老師でもない。
太極拳の達人でもない。
むしろ、独学で失敗し、遠回りしながら、少しずつ感覚を拾ってきた人間である。
だから、これから書くのは、
「三関突破とは本来こうである」
という話ではない。
そうではなく、
ヘミシンクを経験した私が、
太極拳を通して身体感覚を深め、
昔つかめなかった気功の感覚を、
今あらためてどう理解しようとしているのか。
その記録である。
■ 意識の道と、身体の道が重なる場所へ
ヘミシンクは、意識を広げる道だった。
太極拳は、身体を整える道だった。
気功は、その二つのあいだにある道だったのかもしれない。
そして三関突破は、
その三つが重なる場所にある言葉なのかもしれない。
もちろん、まだ分からないことは多い。
むしろ、分からないことの方が多い。
けれど、今なら書ける気がしている。
25年前には分からなかったこと。
ヘミシンクだけでは身体に落とし込めなかったこと。
太極拳だけでは言葉にしにくかったこと。
それらを、三関突破という古い言葉を借りて、もう一度たどってみたい。
これは、意識の話であり、身体の話でもある。
そしてたぶん、私にとっては、
ヘミシンクと太極拳がようやく一本につながり始めた話でもある。
次回から、三関突破について書いていこうと思う。
(続く)
このnoteは、
「意識」と「身体」、そして「その先」を探る記録です。
まだ結論は出ていません。
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