Interview 台北Logy田原諒悟シェフ 1/3
シェフになって一年。田原さんにイタリア時代からこれまでのお話を伺いました。
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今の自分を作るもの
編集部――田原シェフ、本日はインタビューよろしくお願い致します。田原さんはもともと、イタリア料理をされていて、それからフロリレージュさんのスーシェフを務められて、こちら(Logy)のシェフになられていますね。それぞれの場所でどのように働かれていたか、伺わせていただけますか?
田原――はい、僕は北海道のイタリア料理屋さんで働いて、その後、イタリアに行きました。そこではコミ(見習いのひとつ上のポジション)などいろいろ経験しましたけど、すごくいいイタリア人のシェフやスーシェフに恵まれて、あるスーシェフに、「日本に帰ってスーシェフやシェフになるんだろうから、今お前がやるべきは、次になるであろうスーシェフの仕事を見ることだ」と言われたんです。それで、彼の仕事を見るようになって、スーシェフってこういう仕事なんだなっていう具体的な像ができました。もちろんヨーロッパでの働き方ですけど、日本でも置き換えられることが多々ありました。
その後、フロリレージュには、スーシェフとして入ったわけじゃなかったんですよ。当時のスーシェフが半年くらいでやめてしまって、「じゃあ、やろうか」という感じになって。でも、イタリアでの経験で心の準備はできていたから、なりました。それから3年間働くんですけど、その間は川手シェフがどういうふうに働くのか、お客さんや料理や料理業界へどんな目線をもっているのかを見ていました。そういうステップを踏んで、ここ(Logy)のシェフになった……そんな感じですね。
編集部――田原さんにとってのスーシェフの具体像を伺えますか?
田原――僕があるべきと考えていたのは、シェフと思いを共有していくこと。どんなことがあっても、それがブレない。シェフと同じ目的に向かっている人が、一人いたらいいし、二人いたらもっといいし、全員だったら最高ですよね。でも、それはけっこう難しくて。たとえば若い子は、どうしても一つ星とか、二つ星が欲しいんだとかいう気持ちって、生まれづらいじゃないですか? 経験も関わってきますし。働いた場所や、その価値を知っているか、とかも。でも僕は、まったく同じ目的に向かっていて、彼(川手シェフ)が考えた料理や思っていることを、再現プラスもう少しよくなるくらいにしたかった。それで、スタッフや料理のチェックをすることに重心を置いていました。
シェフが作るものはやっぱり料理が一番に来ると思うので、彼のイメージしていることをまったく同じようにイメージ、再現できることに重きをおいて、それをスタッフにシェアする作業。「シェフはこういうものが作りたいから、こう作ろう」「こういうことを大事にしているから、ここを一番大事にしようよ」とか。
たとえば、川手シェフは温かいものは温かく提供したいというのが本当に重要で、それは僕もイタリアンをやっていた時、パスタとかすぐに冷めてしまうから一番大事だったんです。温度感。お皿を出すって、ちょっと忙しいと1分、2分前に出してしまったり簡単なほうに流れやすいけど、そういうところを徹底するように、説明しながらシェアしていました。
編集部――川手シェフと、田原さん含め当時のスタッフさん、お店の向かっていたところついて教えていただけますか?
田原――僕、フロリレージュが新店をオープンする(移転する)前に面接したんですけど……僕は日本に帰ってから、イタリアで一緒に働いた仲間たちに、「あいつどこにいるかわからない」じゃなくて、「ああ、この店でこんなことやってるの」って言われるような働き方をちゃんとしたいし、「あいつうちで働いてたんだよ」って言ってもらえるような人間にこの先なりたいと思っていました。これは、北海道で働いていたお店でも、フロリレージュでも同じですけど。
それには、料理人だったら誰もが、海外の人たちも注目するような、アジア(のベストレストラン)50とかミシュランの二つ星とかが欲しいと思っていて、それで面接に行ったんです。そしたら、川手シェフの口から、「次にやるレストランは一つ星を取るためにやるわけじゃない。アジア50に絶対入る。あと、二つ星を必ずとるんだ」と言われて、ああ、この人しかないなと思ったんです。

絶対とれると思ったし、その思いが彼と共通していたので、スタッフにもそれを毎日言っていました。これ、たぶんフロリレージュで僕と働いていたことのあるスタッフに聞いたらすぐわかると思うんですけど、何十回何百回言われたかわからないと思いますよ。それで、もし媒体に認められたとしても、世間は認めていないかもしれない。だから、周りの人たちからも、「東京のフレンチでフロリレージュだったら、日本代表としてアジアのベストレストランに入っても恥ずかしくないよね」と言われるようなあり方や働き方をするように徹底していました。目に見えているので。
編集部――見えているというのは、いわゆる、コの字型カウンターのお店のつくりでしょうか?
田原――はい。あえて伝えるようにしているのは、やっぱり料理だけじゃないと思うので。仕事ぶりとか立ち居振る舞いとか。スプーンの持ち方もそうだし、髪型も、服装も、何でもそう。全て一流の人として働こうよっていうのを、毎日言ってました。ちょっと汚い言葉で。
編集部――よかったです、その現場に行かないで。
田原――(苦笑)あとは、調子にのるな、天狗になるなっていうことも。お店は川手シェフとフロリレージュの名前で上がっていってるから、別に僕らがどうこうという話じゃない。「別の人間でもいい」じゃなくて、「お前じゃなきゃダメ」になれっていうのを、本当にこれも毎日のように。
編集部――徹底していますね。言われるのも辛いし、言うのもしんどいと思います。
田原――そう言って、自分に言い聞かせているんですけどね。……僕は、人の神輿にのって浮かれているような奴にだけはなりたくないと思っていました。50のセレモニーに行って悔しいと思っていましたし。
編集部――そうなんですか。
田原――その時はチームで行ってるから嬉しいんですよ。でも、自分の実力じゃないところで連れて来てもらっている感覚が僕は悔しかったし、その反動で今、燃えているという感じです。嬉しかったけど、じゃあ、自分でこういうレストランを作れるのかって、自問自答していました。そうするとやっぱり川手さんってすごいなと思ったし、何をしてこの人はここまで行っているのかって、ずっと考えていました。それで、何となくわかってきたかな、くらいの時にこの(Logyの)話が決まったので、台湾に来たら一つ星は取れるだろうなと思っていたんです。
編集部――正直ですね。
田原――でも二つ星はとれないかなと思っていたし、自分ではこの感じは無理かなとか、こういう感じだったらどうだろうなあって、その時からずっと、今でも考えてるという感じで。
川手シェフの下で働いていた時は、自分に置き換えて考えていました。たとえばあるお店からイベントの誘いが来て、やろうか、やらないかって考えているシェフがいたら、自分だったらどうするかを考える。それで、彼が決断をしたら理由を聞きに行くんです。理由がわかったら自分にとってプラスになるので。取材でも、シェフが話している内容とか、どんな話し方をしているかを聞きながら、この人は何を考えて話しているのかなとか考えて、できるだけ自分の考え方と照らし合わせて。合っている部分があったらラッキーというか、この部分共通しているんだなとか思うし、全然自分のアイデアになかったことを話していたら、納得して、もう一回考え直してみるとか。
編集部――川手シェフは先輩でありシェフですし、尊敬が根本にあるのであろうし、考え方が合っていたらいいなと思う気持ちもあると思うのですが、次は自分がシェフになる時が来ましたよね? フロリレージュでされてきたことが、どのように今やこの先、田原シェフの自分らしさにつながっていくのかが気になります。
田原――うーん、ここのお店がオープンする時に、川手シェフは……たぶん僕がいろいろな制約に縛られるとやりづらくなるから、あんまりものを言わなかったんです。どういうふうにお店を作っていけよ、とか。でも、自分のやり方でやったほうがいいんじゃない、とは言われました。「俺が付き合いをできない人とも付き合えるだろうし、逆に、俺が付き合いのある人たちと付き合わなくてもいい。自分に合う形で人脈を形成していったり、プロモーションをしたり、自分のやり方でやっていったら」とだけ言われました。
だから、川手シェフの知り合いの方に連絡をとったりするのも、僕から直接してしまっていいか一応聞くんですけど、「もう全部、やっちゃいな」って。僕がどうしても連絡すらとれない人には声をかけてあげるから、とにかく自分からやってみなって。
その時とは関係ない話ですけど、ミシュランにも自分でメールを送ったりするんですよ、川手シェフ。来てくださいって。
編集部――そうなんですか?
田原――旧店の時に、ミシュランの本に書いてあるメールアドレスに「フロリレージュです。今度食べに来てください」ってメール送ったらしいんですよ。「送っちゃえよ、俺送ってたよ」みたいなこと言われて。僕は送ってないですけど……すっげえなこの人、そんなの初めて聞いたと思って(笑)。
編集部――(笑)すごいですね。でも、待っていることの美徳って、もしかしたらないかもしれないですね。
田原――はい、自分からいかないと。だから、料理だけじゃなくて、全部、いろいろなものを学んでいるというか。
編集部――そうやってLogyさんが始まったんですね。
田原――そうです。だから、自分らしくやらせてもらっていると思いますけど、うーん、今自分らしい感じはけっこうフロリレージュで作られているし、もちろんその前の経験もあるけど、考え方が固まってきたのは、フロリレージュで働いてきた経験がけっこう大きい。いろんなシェフたちとも会わせてもらったし、海外のシェフとも、会うことがないような人たちとも会ったりしたし。経験という意味では、フロリレージュで考えさせられて今の自分になっていることがたくさんあります。


コラボレーションイベントより/上からヘルトン・ヤン、ジャニス・ウォン
そもそもイタリア料理をずっとやっていて、フレンチに変わった、というかフロリレージュに入ったのは、いつも自問自答していたことなんですけど……クセなんですけどね。「本当にこのままこれでいいの?」「この状態で次何やるの?」ってつねに考えていて。
イタリアに行った時は、イタリアに行くことしか考えていなくて、その先のことを全く考えてなかったんですよ。周りの人たちは日本に帰ったらシェフになるみたいな流れがあって、でも、それで芽が出るようには僕は思えなくて。イタリアに行って、なんとなくできるようになって、イタリア人にもほめられて。それで勘違いして、たとえば3年分のレシピだけ抱えて日本に帰っても、3年分しか出てこないんで。お店(料理人)は20年とかそれ以上とかやっていくわけじゃないですか。何にもならないですよ。そう考えていたから、「技術や知識では俺は戦えない、やれない、やられる」っていう思いで転向したので。
編集部――以前、日本のレストランでイタリア料理を作り続けることは考えなかったと伺いました。現地での、日常の料理としての美味しさが好きだったからとお話しされていましたね。
田原――そうですね。あとはフランスに行ってレストランで食べた時に、「やっぱ違うなー」って。アストランスに行った時も思いました。
編集部――アストランスでは何が印象的でしたか?
田原――フロリレージュで働いていたときと同じ感じです。働く前だったからそれとは関係なく感じたんですけど、全部、いろいろなフレーバーとかがあるんです。和っぽいとか、ちょっと東南アジアっぽい香りとか。もちろんフレンチのテイストもあるし、きれいな感じもあるし。パスカル・バルボ自身が世界中に行っているので、いろいろなところの料理を知っているんですよね。それが料理に反映されているんですけど、落としどころが全部フランス料理なんですよ。びっくりするぐらい。食べながらそれを感じて、この人すごいなっていうか、こういう料理があるんだって。トマトとか、ボンゴレのアサリとか、イタリア料理でイメージがつくものだけ使ってイタリア料理として表現するのって当然で、それが普通だと思っていたけど、フランス料理って形があるはずなのに、全く違うものを使ってもフランス料理に落とし込めるんだと思って。
僕、イタリアンでそれできるかな? って思ったんですよ。でも、できないなって。だから、「ダメだ…フランス料理だ…やっぱりそうなんだ…ダメだ俺は…」と(笑)。
編集部――(笑)そこに魅力を感じたんですね。
田原――はい。避けてきてたけど。
編集部――どうしてですか?
田原――イタリア料理が好きな人って、イタリア最高だと思っている人も多いと思うんですけど、そういう意味で避けていたかもしれないです。イタリア料理の、素材にフォーカスした重ねない美味しさみたいなものが、そのほうが好きだと思っていたから。
編集部――他のものを、味だけでなく情報でも何でも、入れないほうがいいと思っていたということですか?
田原――イタリア料理では、料理としての捉え方でそのほうがいいと思っていたから、重ねる料理はなんとなく否定しがちだったんです。「いや、入れすぎだろ」とか、「こんなに(味の)厚みいらないだろう。このカブの味しなくなっちゃうよ」とか。
編集部――フランス料理を否定する感じですね。
田原――(苦笑)はい。というふうになりがちだと思うんです。イタリアンをやっていると。僕、自分がそうなっていくのが嫌だったんですよ、実は。
編集部――そうなってしまうかもしれないのがですか?
田原――うーん、そうなっていました。でも、それだと全然幅が広がっていかないなって。料理人として。自由度も低いし。だから……その自由度を感じたというか。アストランスに行ったときに。空間は、三つ星にしてはカジュアルな感じなんです。もちろんソムリエとかはスーツを着てビシッとしているけど、でも居心地がよくて、お店全体の作り方として自由度が高いけど洗練されていて、フランス料理に落とし込まれて。総合的に全部、インパクト、ショックを受けました。そこで日本に帰ろうって決心して。イタリアにずっと住んでようって思っていたんですけど、その3泊4日の旅で、「ああ、帰ろう」と思いました。それから日本に帰るまで、先輩との約束で働きに行ったりして1年くらいかかりましたけど、でも、その後はすぐに帰ってきました。
編集部――すごいですね、アストランス。
田原――すごいですよ、フランス。一人の料理人の人生を簡単に変えてしまう。ワンディナーで。それがレストラン。
編集部――それで、フロリレージュさんに決められたんですね。
田原――そうです。さっき言ったように、東京でこれから世界にいくようなレストランがいいと思って……ある人、東京の料理人の人たちと知り合いだっていう人がいて、たまたまイタリアに来ていたんです。僕が「東京で一番いけているレストランってどこですか」って聞いたら、「このお店が勢いがあるよ」っていろいろピックアップしてくれて。フレンチのお店って全然知らなかったんですけど、ネットとかで全部チェックして、「もう、フロリレージュしかないな。ここ以外、やだ」と思って。
編集部――ちなみに、フランス料理をやろうとして、なぜ日本に帰ろうと思ったのですか?
田原――海外でやるのは嫌でしたね。というか、東京でもゼロから始めるのは嫌だったんです。自分も料理を作る経験はあるわけじゃないですか。12、13年でしたけど。でもクラシックなフレンチに入ると本当にゼロからになってしまうから、イノベーティブにしようと思っていたんですよ。自分が今まで培ってきた経験も、もしかしたら使ってもらえるかもしれないところ。だから、タイミングが合ったんですよね。川手シェフも、イタリアンをやってると言ったら「おっ、いいね」って感じでしたし。
フランス(アストランス)に行って、ゼロからまるまるフレンチを勉強したいと思ったわけじゃなくて、「あ、こういう料理もあるんだ、フランス料理の中に」って感動したということなので。だから、自由度が高そうで、勢いがあって、加えて、やりたいことが明確なレストラン。
編集部――それでお店に入られて、3年あまりを過ごされたということでしたが、その間に、フランス料理というものを、イノベーティブかもしれないけれど、得ることはできましたか?
田原――フランス料理としての考え方ですかね。僕、それまでフレンチのシェフと働いたことがなかったので、全部が新しいわけですよ。イノベーティブとは言っても、フレンチのシェフの考え方のレストランだから。その……最っ高に楽しかったです。
編集部――知らないことばかりだからですか?
田原――はい。それに、全然考え方が違うから。
編集部――たとえばどんなことでしょうか?
田原――やっぱり、複雑みとか、重ね方とか。「えっ、こんなことやっていいの!?」みたいな。
編集部――(笑)あ、イタリアンだと逆にやっちゃダメみたいなことが、できるのですね。
田原――「こんなことやっていいの? 俺もやりたい!」みたいな(笑)。フランス料理を勉強するというよりも、フランス料理的な考え方で料理を作っていくということが僕のアイデアにまったくなかったので。……形じゃないんです。レシピでもないんだけれども、考え方を勉強した。

だから、もちろん、ソースを作ったり、フォンをとったり、ジュをとったりするのは、ずーっとフレンチをやっている人たちのほうが経験があるから最高に美味しいと思います。でも、お店それぞれレシピが違って作り方も違いますよね? それぞれ好きな方法でソースを作っている。野菜を入れないでフォンをとっても、みんなが認めるフレンチと言われるレストランもあるじゃないですか。だから、フォンだ、ジュだとかのとり方とか、そういうことよりも、フランス料理としての考え方とか、それまでの僕と全く違うことを体感できたのが大きい。僕はその料理は作れないけど、今までやってきていた料理にもう少し厚みを加えることができたり、「これやっていいんだ」っていうことに挑戦したりする、一歩踏み出せるきっかけになりました。
編集部――「僕はその料理は作れない」というのは?
田原――やっぱり経験がないので。フレンチだけやってきた人と比べられないし、逆にイタリアンでやってきた経験があるから、そっちを使ったほうがいいものが出る。背伸びしてアップデートしようとしても、ずっと積み重ねてきた人に失礼だし、そういうことはしたくない。できる限り勉強して、できる範囲でやる。能力とか経験以上のもの、勉強した以外のものはやっぱり出ないですからね。よくわからないものを作る人になってしまう。
編集部――自分に必要なものを吸収していく、という感じだったんですね。

