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高知能ゆえの孤独・渇望・不器用さ〜ギフテッドの苦悩と解放(前編)

少し前から『ギフテッド』という言葉が持て囃されるようになり
「うちの子は特別だから」
「凡百の子供とは違う才能を持っているんだ!」
など、しばしばそれが『ステータス』であるかのように捉えられているのを目にすることがあった。

自分は子供の教育に関しては明るくないし、ギフテッドというのがどんな特性なのかもよく分かっていなかったのだが。。。

”頭が良い”とは何か?

自分にとって並外れて頭が良い人のイメージは
『ブルドーザー』
だった。
目の前に困難な課題・仕事・家庭事情etc.
があっても、それら全てをまとめて容易く無駄なく綺麗に片づけていくパワフルな人。
交友関係も広いし誰とでもすぐ仲良くなれる。
当然メンタルも強くて、少し追い込まれたくらいでは全く折れないし、
なんなら僅かな隙間時間に趣味を楽しむ余裕まで持ち合わせている。

自分はそんな人達とは対極に位置する人間で、環境の変化には弱いし、一つの事に集中している時期は他のことが手につかないし、嬉しいことも辛いことも生活に影響を及ぼす。
その時集中している事柄だけに全てのリソース(情報収集、分析、体力、時間、その他あらゆるもの)を全投下して最善を尽くそうとする傾向がある。
快、不快に関係なく感情が動くような出来事は異常なほど詳細に細部まで記憶しており、忘れることができないためしばらく生活に支障をきたす。
人と仲良くなるのが苦手で、一人でいるほうが気楽。
また、殆どの人が興味を持たない、誰にも評価されないようなニッチな趣味を極めることで極上の快感を得ることもある。
ブルドーザーが整地している横で、独自に改良した拘りのスコップを手に、たった一人で誰も必要としない深い穴を掘り続ける、そんな迷惑な作業員。
それが自分。

このように、自身の特徴は自分にとっての『頭が良い人』のイメージとは真逆であった。
とにかく不器用で、人生が下手なのだ。
無駄なことばかりをしている。
そして、常に本質的な孤独感に苛まれている。
多くの人に対して興味を持てない。
人に対して興味が持てないのに、孤独感と人に対する渇望がある。

俗な言葉で表現すると
コミュ障、陰キャ
まあ、そんなところでしょう。

人生の挫折

そんな自分でも、幼少期から勉強は出来たから学業での苦労は無かった。
特に数学や化学は得意で、計算力や抽象化能力に秀でていたし、文章力でも評価されていた。
倫理観が高くルールは守るし、最低限の協調性もあり、先生からは”優等生”として見られるような子供だった。

ただ、同年代との関わりではストレスを感じることが多かった。
小学校高学年になるとその苦しさは大きくなり、中学、高校と進学するにつれ、集団生活での居心地の悪さをますます強く感じるようになっていった。
周囲に馴染めない。
みんなが楽しそうにしていても「ガキっぽいな」としか思えず楽しめない。

そんな中でも10代後半には、ほんの数人だけ『不思議と居心地が良い友人』ができたのだが、その友人達もどこか『普通じゃない』オーラのある人たちだった。

そして、その頃初めて異性と恋仲になる。
それまで異性とは全く縁がなかったから有頂天になったのだが、それも長くは続かなかった。
相手とは物事の捉え方、大切にしているものがまるで違い、衝突することが多かった。

ある時、その恋人から
「絶対おかしいから心療内科で検査してもらったほうがいい」
と指摘された。
当時の自分は「心の病気や障害なんて恥ずかしいことだし、そんな病院に行ったなんて誰かにバレたら耐えられない!」
と思って行かなかったのだが。

そんな違和感もありつつ、お互いそれまで異性と縁がなかったというのもあって破局には至らず、就職後に結婚する。
しかし結婚後、問題は顕在化した。
共に生活するようになると耐えられないことが多すぎた。
日常生活での相手の能力の低さや思考方式の違いに耐えられなかったのだ。

結局この問題を解決することはできず、離婚に至る。
離婚後、精神状態はかなり不安定になった。
「何でも良いから支えが欲しい」
人間関係への渇望だった。
"普通"になりたかった。
このままだと自分が"異常"だということになってしまう。

そして、そのような焦りから相手を探し、2回目の結婚に至る。
再婚した妻に対しては異性としての魅力を一切感じなかったし、思考があまりに違いすぎて満足できる会話もなかった。
今思えば、精神面での繋がりや満足が得られなかったからこそ、異性としての魅力も感じなかったのだろうと思う。
その当時はそのことに気づいていなかったが。

それでも結婚したのは、何とかして"普通"にならなければ!という焦りがあったからだろう。
そして、一度失敗しているから
「今度こそ"普通の幸せ"を手に入れるんだ」
という決意があった。
ところが、"普通"に擬態するなんて到底無理だった。
自分に嘘をつくのが一番苦手なのに
「黙々と一般的な家庭で求められる役割を果たしているだけで幸せです」
という演技をし続けるのは耐え難い苦痛だった。

そんな中、最初は我慢した。
家に帰りたくない。
心の休まるところがない。
寝れない。

そして何よりも、妻に性行為を迫られることが最大の苦痛だった。
あまりのストレスで家に帰る時間を遅らせたり、無意味に夜更かしして深夜になってからベッドに入ったりしていた。

心理カウンセリング

結局、1年経たないうちに限界が訪れた。
そして人生で初めて、勇気を振り絞って心理カウンセラーのお世話になった。
明らかに自分に非があるし、男がこんなことを相談したらどうなるんだろう、と怖かった。

「どうされましたか?」

と聞かれ、最初に話した言葉は今でも鮮明に覚えている。

「セックスレスで悩んでて…」

「どちらが原因ですか?」

「自分です」

この言葉を聞いたカウンセラーは、性行為以外の夫婦関係について、そして自分の幼少期からのエピソードについて詳細に聞き出し、20〜30分間のやり取りを経て衝撃の見立てを告げた。

「私の見立てだと、あなたは頭が良すぎる。
検査するまでもなく、ほぼ間違いなく"ギフテッド"と言われるような人だと分かる。知能に差があり過ぎて奥さんと一緒にいることにストレスを感じているんだと思う。」

え?自分が?ギフテッド??
頭が真っ白になった。

でも、もしそれが事実なら
この苦しさを説明できるのかもしれない。
得体の知れない苦しさに名前がつく。
それは唐突に出現した救いだった。

「知能検査をすることもできるけどどうする?」

カウンセラーの提案に乗り、知能検査を予約した。
数値で証明されないと信じられないから。

WAIS(ウェクスラー成人知能検査)

そして後日、知能検査(WAIS)を受検した。
WAIS(ウェクスラー成人知能検査)
これは16歳以上の成人用に標準化された知能(IQ)を測るための検査である。
知能と言っても何を指すのかというところだが、計算能力、記憶力、推理力、視覚処理速度、語彙力など検査は10項目以上ある。
読み上げられた数字を暗記したり、計算問題を時間内に解いたり、沢山並んだ図形の中から特定の形だけをチェックしたり、並んでいる記号を見て規則性を見つけたり、言葉の意味を説明したりする。
これらの検査では、時間内の正答数や回答の正確性などが評価され、その結果に基づき
・言語理解
・知覚推理
・ワーキングメモリー
・処理速度
の4項目が平均からの差異によって指数化される。
この4項目の指数を「群指数」と言い、群指数間の差異が大きいと生活上の困難や生きづらさにつながるらしい。
そして、上記4項目を統合したものを「全検査IQ」と言い、これがよく"IQ"としてメディア等で持て囃されている数値のことだ。

受検当日、日常生活のストレスで慢性的に頭がぼーっとしていてワーキングメモリーの検査が全然できなかったり、いくつかの検査では問題が簡単すぎて手応えが無かったり、あまり自分の能力を発揮できた感覚はなかった。
それでも何とか2時間程度の検査を完了。

受検から結果が届くまでの間
「これで高知能だと証明されたら、苦しさの原因が分かる。少しは救われる。」
「でも、自分が高知能なんて信じられるか?そんなに頭良くないって自分で分かってるだろ?」
という自問自答を繰り返した。
だって、頭が良かったらこんな失敗だらけの人生を歩んでいないだろうし、もっと幸せに暮らせているはずだ。
苦しさの理由という救いを求める気持ちと、それを否定するもう一人の自分が戦い続けていた。

そして、ついに知能検査の結果を受け取る日

カウンセラーとは別の心理士から結果を手渡された。

「全検査IQはこちらです。高いですね。群指数のばらつきも小さいと言えます。これだけ高くてバランスも良ければ困ることはないでしょう。羨ましいです。」

本当に高知能だった。
あと、「困ってなければこの年齢になってわざわざ知能検査受けませんよ」と思ったけど言わなかった。

知能って高かったら良いってものではないんだな。
今まで IQが高い=優秀な人間、成功者
と思っていたが、高知能は『ステータス』ではなく、単なる特性でしかないのかもしれない。
これは人間としての優劣を決めるための検査ではないのだ。

自身の特性を受け入れる

知能検査の結果を受け取ってから、再びカウンセラーと話した。
そこで言われた言葉が忘れられない。

「普通の人になろうと思ってもなれないんだよ。だけど、あなたは普通の人が考えないようなことを考えられるし、それを実現できる能力もあるんだからね。普通の人にはない楽しさがあるんだよ。」

そうなんだ。
今まで自分が普通に思考し、行動し、実現してきたことは平均的な人間の"普通"ではなかったんだ。
自分が今まで感じてきた、心が踊るような高揚感、あの知的好奇心が満たされた時の何物にも代え難い充足感は"普通"ではなかったのかもしれない。

しかしその代償として、自身が大切にしている価値観は殆どの人に理解されない。
話していて満足感を得られる相手はとても少ない。
失礼な話だが、相手に対して物足りなさを感じて萎えてしまうことが多い。

"普通"になろうとして、なれなくて、もがき苦しんでいた自分。
慢性的に感じていた孤独、人に対する渇望、そして不器用さ。
これらの根源をようやく特定できた。

そして、人生において稀に出会う

"同類発見センサー"

が反応する人たち。
彼(彼女)らの正体が、少し見えた気がした。

(後編に続く)
後編では画像の青い本について
そして友人とのかけがえのないひととき、新たな旅立ちについて書きました。

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