【主夫】5歳児🐵と一緒に、『死』を考える
はいどうも。
息子🐵大好きムギュムギュ主夫です。
何とも重いお題になりましたが、タイミングです。
タイミングが3つ重なりました。
1つ目は、嫁さん🐹の出産が近づくにつれ、『生』の瞬間にどう立ち会わせるか、考えていること。
2つ目に、みつばさんの記事を見て、息子🐵との経験を思い出したこと。
そして3つ目、先週、息子🐵が(意図せずして)自分から『死』に向かい合う機会があったこと。
色んなものが重なったので、今の時点で私が持てる『死』に対する考えを、あれこれと書いとこうと思います。
🐧そもそも『死』って?
🐤大人もよく分かっていない
【死】とは
私が思いつく範囲だと
心臓が停止して、生命活動が停止する事
魂がなくなり、肉体だけになって動かなくなる事。
肉体が空になること。
どちらも単純にいうともう動かなくなることを指す。
だけど永遠に動かなくなる概念がない幼児にとっては、寝ているに近い感覚なのかもしれない。”
みつばさんの記事より。
3歳のお子さんに『死』を説明する一幕を引用させてもらいました。
正直、私は大人ですが、『死』というものが、いまいちピンときていません。
去年、愛するばば様を亡くしましたが
小さい頃はあんなにいっぱい遊んでもらったのに、もう20年近く、ホームに入ってあまり会わなくなった後に亡くなると
「何年かに1回しか会わなかった今までと、何が違うというの?」
という感情は、少なからずありました。
葬儀の最中だって、慣れない環境に身を置く息子🐵と嫁さん🐹のフォローに精一杯。
薄情なことに、静かに死者を弔いたいの気持ちも、どっかに吹っ飛んでいました。
でも、確かにあったのは
お通夜前の控え室、ばば様の御遺体としばらく過ごしたときに
理屈ではなく、しばらくばば様の顔を見られない自分がいました。
死を認めなくない、とか
顔を見たら悲しくなる、とか
亡くなった姿を見てられない、とか
頭で理由をつけようと思えば、いくらでもつけられる
でも、あの時私は、理屈抜きで、自分でもよく分からないけど、亡くなった顔を見られず部屋の隅にから動けずにいました。
これこそが、漠然とした『死への畏れ』だったのかな、とは思っています。
🐤【推し活】から死を学ぶ
とはいえ、絶対の文脈として、自分の中で軸として持っている『死』への考え方があります。
それは
『死なないでいてくれるなら、いつかまた会える』
ということ。
教えてくれたのは
1人のアイドルの死でした。
概要はこちらの記事を参照していただくと、分かりやすいです。
K-POPグループ、SHINeeのキム・ジョンヒョン氏
SHINeeは、嫁さん🐹が東方神起の次に大好きなグループであり、ジョンヒョンはその1人。
人気絶頂だった時に起きたあのニュース、世間の衝撃、何より嫁さん🐹の受けた衝撃。
今でも忘れません。
それ以降も、韓国は元より、日本の様々な音楽グループで、脱退や引退、チーム消滅は起きています
その度に、嫁さん🐹に話すのは
「でもさ、どんなに不仲で脱退しようと、分裂しようと、生きてるんでしょ?」
「ジョンヒョンのように、もう絶対会えないわけじゃないんでしょ?」
「死んでないのなら、いつかまた会える日の可能性は、残されてるんだよ」
実際に会えるかどうか、機会があるかどうかは別として、可能性が用意されているかどうか。
0と0.1では、超えられない大きな壁があるんです。
以来、私たち夫婦にとって、『死』はこの考えがベースになっています。
🐧『死』と対面させた話
🐤『死』に触れた話
1年半前、息子🐵4歳の出来事です。
私の実家には、地域猫が常時1~2匹居着いているのですが
(注:近隣にご迷惑をかけないよう配慮した上で面倒を見ています)
たまたま私と息子🐵で遊びに行った日。
その日の朝方に、2ヶ月ほど前から来るようになった1匹(ミケちゃん)が亡くなっていたのです。
亡骸は後日然るべき処置をするために、保管してありました。
息子🐵も知っているミケちゃんでしたので、静かにですが確実に、動揺していました。
もう会えない場所に行く前に、お別れの為に撫でてあげよう、と提案しました。
勇気を出して、私と一緒にミケちゃんを撫でました。
終わった後、泣いたりはしませんでしたが
「ちょっとだけ、こわかった」と、ポツリと呟いていました。
命が『あった』ものに触れることで、言葉では説明できない、『死とは何か』に触れることが出来たようでした。
🐤忘れずにいてくれた話
一方で、本人の望まぬ形で死に触れさせた事に
『ただの親の自己満なんじゃないか?』
と悩んだのも事実です。
そんな前提があり
それから1年後です。
寝つかせの時、いきなり息子🐵が話し出しました。
「ぼく、ミケちゃんのこと覚えてるよ」
「ミケちゃんのこと思い出してた、ちょっとさみしくなっちゃった」
それほど多く会ったわけでもない、ミケちゃんの事を、忘れずにいてくれたのです。
死によって関係が途切れたわけではなく、ちゃんとお別れを経験させたからこそ、覚えていてくれた。
ミケちゃんを大切にしていた私や実家の両親にとって、これほど嬉しいことはありませんでした。
🐧不意に『死』に触れてしまった話
上記は、親がある程度コントロールした上で『死』に触れた話でしたが
先週息子🐵がぶち当たったのは
【誰も意図しない場面で1人で『死』に触れる】
というもの。
何があったかざっくり言うと
登園準備中に見てたニュース番組で、
戦時中の動物殺処分に関する特集を見て
(飼い犬が、毛皮提供のため殺されていた話)
その内容にショックを受けた
朝の時間は当然準備の時間なので、みんなバタバタ
嫁さん🐹と私は準備に追われているので、テレビはついてるものの、時計代わりでしかないので、大して見もせず
結果的に、息子🐵は1人でその特集を見ていました
特集が終わったあたりから、いきなり元気がなくなった息子🙊
理由が分からず、嫁さん🐹も私も、何なら本人🐵も「?」状態のまま、とりあえず保育園へ。
その後嫁さん🐹が確認したところ、その特集がきっかけだったと判明しました。
動物という、息子🐵にとって『可愛がる』対象のもの、生の象徴とも言える存在のものが
『殺される』『死』への対象となった現実
瞬間的に、キャパオーバーになったようです
『死』が何なのかをよく分かっていない状態のまま触れたなら、ここまでのショックは受けなかったかもしれない
ミケちゃんとのお別れを経験していたからこそ、リンクしてしまったのかもしれない
ただ、確実なのは、意図しない『死』の理不尽さ、やるせなさを感じる力を身につけてくれていたこと
彼には今後、大切な人との死別というものがきっと訪れる
急に、大きな壁に直面する前に、今回小さい壁を超えられた
この経験は、きっと彼を助けてくれるハズ
🐧『死』との触れさせ方
いろんな意味で『死』が日常生活から切り離されている現代
どう伝えるのが良いのだろうと、自分でも考えます
みつばさんの記事をきっかけに書き始めたあと、
はなさんも『死』について書かれていました。
みつばさんは、【お子さんと同じ目線】で死を考える記事。
はなさんは、【子ども扱いせず過不足なく】死を伝えた記事。
『死』と言うものの伝え方、切り取り方1つ見ても、そのご家庭それぞれで、いろんな形があるのだなあと思いましたし。
近いタイミングで2人の方が発信なさってたところをみるに
子育ての中で『死を如何に伝えるか』は大きな議題の1つなのかなと感じました。
私は幼少期の振り返ると
・父と魚釣りに行った時に魚を捌く係だったこと
・ばば様がお寺とお付き合いの深い関係で、仏様の教えとして『死』について教えられる場面が多くあったこと
などから、ごく自然と『死』とは何か、どういうものか、考える機会が多くありました。
なので私は、息子🐵に対して
・ミケちゃんの死を直接触れさせること
・仏様の教えとして『命』を伝えること
を、方法としてチョイスしました。
一歩間違えば虐待とも言われかねないやり方なので、正解かどうかは分かりません。
ただ、あまり配慮しすぎても、『死』の持つ悲しみの性質を伝えきれないのではないか。
親だからこそ、知った先に悲しみがあると分かっているものを、フォローしながら伝えられるんじゃないか。
だから、敢えて悲しみや辛さをダイレクトに伝えていいんではないか。
私は、そう判断しています。
触れさせ方に正解があるものではないですし、日常的に話すにも憚られる、ある種のタブーともいえるものが『死』です。
しかし、『死』に関わらずですが
憚られるものほど、日頃からカジュアルに話しておいた方がよい
その方が、『いざ』という場面が来たときの助けになる
私は、そう信じています。
