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【実録】モラハラという言葉を知った日から、私が選び続けてきたこと―DVは変わらなかった


離婚調停や慰謝料請求において、日記や録音といった経過を示す資料がどれほど重要かを知りました。
これも一つの実録として、ここに書き残します。
これは、私が奪われた尊厳を取り戻し、再び歩み出すための「壮絶な再生の物語」です。


第1章 モラハラと出会う


モラハラの言葉を知る

今から17年くらい前の事です。
引っ越しをして、2008年子どもが小学校に入学したのをきっかけに、私は仕事を辞めました。
その頃だったと思います。
「モラハラ」という言葉を知り、本を買ったのは。
まだ本屋で仕入れるのが難しい時代でした。外国の和訳書などはあるけれど、文庫本が本屋で並ぶのも少なかったです。
そして、事例が私のようなものが無く、参考にするには難しかった記憶があります。
当時は、精神的DVという言葉も、まだ一般的に認識されていない時代でした。
「モラルハラスメント」という言葉があるのか、と知ったのを覚えています。
そしてそれが、当時の自分の心身をこれほどまでに侵食してくる、
脅威的な存在だとは、まったく気づいていませんでした。

私は当時、
パワハラとセクハラという言葉しか認識していなかったのです。

本には、はっきりと書いてありました。
相手に言われたことを、すべて受け止めるな。
一番いいのは、離れること。
それができないなら、次に良い方法は、言い返すことだと。

(後に購入する本やDV講座でのモラハラ対策は、相手に材料を与えないこと。と記されている。
反論は材料を与えてしまい逆効果。
話のすり替えなど行われる。
そのため被害が続いたと考えられます。)


自己防衛


当時の私は、
離れるという選択が、現実的ではありませんでした。
子どもはまだ小さく、経済的にも身動きが取れなかった。
だから私は、「次に良い方法」を選びました。

流産したあと、
罪悪感と、夫や姑の厳しい態度でさらに落ち込んでいた頃、
友人に連れられて占いに行きました。
そこで言われた言葉が、今も心に残っています。

「あなたは、自分の思っていることの1/10も口にしていない」
「もっと、思ったことを話したほうがいい」

それもあって、私は言い返すようになりました。
モラハラでも、離婚しなくても、
うまくやっていけるのではないか。
そんなふうに考えていました。

けれど、それは誤りでした。
どんなに自分なりに対策をしても、
一度ターゲットになってしまえば、
そこから抜け出すことはできないのだと、
当時の私は気づいていなかったのです。


精神科通院

その頃、精神科では、
私たちの関係は「夫婦喧嘩」として扱われていました。
けれど、実際の私はかなり落ち込みがひどく、
何より怖かったのは、その影響が子どもに出てきたことでした。

「僕のバカバカ」と言いながら、
自分の頭を叩くようになったのです。
病院では深刻に取り合ってもらえませんでしたが、
私ははっきりと、危機感を感じていました。

だから決めました。
自分を否定しないと。

それ以来、私は自分の感覚を疑わないようにしてきました。
言われたことを、そのまま飲み込まない。
おかしいと思ったら、心の中で整理する。
忘れないように、記憶として言葉に残す。


第2章 記録と気づき

記録癖

今思えば、それが記憶としての「記録癖」になったのだと思います。

私自身、老後も一緒にいられるようにと、準備を重ねてきました。
けれど、その話し合いに、夫が参加することはありませんでした。


離婚を考える

その後、
定年退職のタイミングで離婚しようと考えるようになり、
息子が高校に進学し、私がフルタイムで働いていた頃の
いくつもの出来事を経て、
心の中では、すでに決めていたのだと思います。

2018年に、再版された文庫本を2冊買っていました。
一冊は別れ方について、もう一冊は事例集でした。
けれど、正直なところ、ほとんど内容は覚えていません。

たぶん私は、その時、
「やり直そう」と思って本を閉じたのだと思います。
読むことで現実を動かす覚悟までは、
まだ持てなかったのだと思います。

そして2020年に、
一度だけ、会話を録音して保存していました。

今振り返ると、
その頃、私は一度「別れる準備」をしていたのだと思います。
けれど、その時も、
現実を動かすところまでは踏み切れませんでした。


第3章 決断と背景

決定打

そして今回、
私の命が軽視されたと感じる出来事があり、
その決断を、10年以上前倒しすることになりました。

本にも、
「不貞をされて、ようやくモラハラ加害者から離れる決断をする人が多い」
と書いてありました。
今振り返ると、本当にその通りだと思います。

そしてその本は、
「夫からの支配から逃れるための実践力」という内容で、
離婚協議から調停、裁判に至るまで、
一連の流れがすべて網羅されていました。
だからこそ、最初からきちんと読まなければならない本だったのだと思います。

実際、私は女性相談の窓口で、
DV相談と弁護士相談、
離婚協議・調停・裁判までの流れについて
一通りレクチャーを受けました。

その男女共同参画の機関ではDV講座も開講されており、
私も受講しました。
けれど、内容としては、
すでに自分が持っていた本のほうが、
より詳しく書かれていたことを後から知りました。


夫から離婚したいと突きつけられる


2017年当時、
私はフルタイム勤務に変わり、
片頭痛が悪化し、
「仕事を辞めたほうがいいのでは」と言われていた頃でした。

働くことで精一杯。
それでも、
「大学進学させることが自分の責務だ」
そう思っていました。

真面目、我慢強い、責任感が強い、正義感が強い、これらの私の性格が悪い方向に進めていたことを当時の私は知りません。

子供は特殊な家庭環境で育ってしまい、穏やかな家庭を知ることもなく、夫婦喧嘩の絶えない帰りたくない家で暮らすことになりました。

選択を誤ってしまいました。
相手が変わってくれるかも…私が変われば…そう思って期待することは間違いなのです。

支配から抜け出すことが大事でした。


離婚のタイミング パチンコと貧困家庭


交際中から、このまま続けていいいのか、違和感が何度もあった。
相手を間違えて結婚してしまった。

そして、私が離婚のタイミングを逃したのは数えきれません。


2002年 出産後、最初の大きな違和感


1度目は結婚3年目。2002年 出産後、近距離の里帰り1ヶ月間。
夫はほとんど会いに来ない。
1ヶ月後戻ると、クレカ引き落としが残高不足で引き落とし不能の督促状が届く。
夫が口座から生活費を15万以上引き出し使い込む。言い訳がおかしい。自炊しないから食費でお金がかかった。
今思うと、パチンコしていたのだと思う。

残業代ゼロなのに毎日22時以降の帰宅。
休日出勤も多い。
出産後、ITバブル崩壊
夫の会社は資金繰りを失敗して、税込年収300万ギリギリまで落ち込む。
転職を勧めても、断られる。
ここで将来が見えてたのに、夫の生活に引っ張られずに自分は自分で生きられると思っていた。
ここでも離婚のタイミング。

乳児の夜泣きで睡眠を邪魔されて怒鳴られる。
夫が残業から帰ってきたら、お風呂を入れるのを手伝ってもらえると喜ぶと、まだ入れてないのかと怒鳴られる。
泣きそうな日々。


2003年 家庭より他人を優先された出来事


2度目は2003年。
息子は一才児で保育園へ。私はパートで働く。
当時毎月赤字になるため働き始めた。
夫は手取り月収約20万のため、月収1割の2万円を小遣いとして渡していた。雑誌に記載されていた家計簿の割合。
ファイナンシャルプランナーが、小遣いは月収の10%と提案していた。
夫に渡したばかりの小遣い全額を同僚に貸したことを帰宅した際、事後報告してきた。
同僚の遠方の母親が入院したから、手持ちのお金が無いから貸してあげたとの事。


我が家が借金しろという事?
貯金が無かったらサラ金使えと?
誰のために生きてるの?
家庭が第一優先では?

私は離婚届を書き置き、乳児とともに実家に戻った。
その後、復縁してから、パチンコはやめると約束してくれました。

私の父はパチンコでサラ金を周りが完済しても、何度も繰り返し、返済できなくなってこの世を去りました。
だから、私はパチンコをする人と一緒に家庭生活はできないと言いました。
自分は大丈夫だと思っていても、勝ち負けで家庭の雰囲気も悪くなる。
お金の貸し借りもしかり、
家族のことを第一に考えられないのでは、一緒にいる意味がない。
どんな時でも、家族を優先してもらえないなら、離婚したいと。

夫は、私の気持ちを理解してくれたと思っていました。

それをつい最近まで信じていました。


(20年以上経ち、あれはパチンコで負けた同僚に貸したと白状しました。
自分も同僚に借りていたから、大しておかしいと思わなかったとのこと。
やはり、1ミリも家族の顔を思い出さなかったようです。)

結婚26年間のうち、パチンコをやめたのは10年間と言うのだから、16年間は欺いていたことになる。
今まで嘘を平気でついていたのでこの発言も信用はしていない。


2005年 流産時に妻子の命が軽視された経験


2005年流産したときが3度目の離婚タイミングだった。
妊娠初期に風邪をひいて熱を出し点滴をしても、夫は姑から誘われた温泉旅行をキャンセルして欲しいと頼んで、
話をしに行ってもキャンセルにせず、
車で3、4時間揺られて温泉旅行に連れて行く。

旅館で破水ではないかと相談しても、私に口止めをして、病院に連れて行かない。

誰にも言えず自宅で出血、実家で安静にしてても流産。
流産後の私が微熱で落ち込み具合で、厳しい事を言って更に追い詰めた。
姑と夫は無理させてしまったなど温かい言葉はかけるのではなく、
私に怒ってきた。
姑は兄嫁の親の前で出血しているのを知らずに恥をかいた!と。
電話口でも分かるくらい。
私の体調を話す隙も与えない。

気持ちが弱すぎる。
それではお前の父親みたいに自殺する。
俺に頼るなと。

窮地を2人で乗り越えることはなかった。
そして夫は今月供養に行くまで、自宅で手を合わせる事も一度も無かった。

私は夫婦で乗り越えたかった。
夫は自分の子どものことなのに一度も向き合わなかった。

2006年に引越ししてからの約20年間体調が悪化したのは、モラハラ被害からだったと思う。

ここからは典型的なDVサイクルに入ってしまった。

相変わらず、私の意見が通らない。
話が通じない。

助け合いが出来る家庭を築こうと努力を重ねた。

相手は私を操縦する事しか考えていないことも知らず、無意味なのに…

ただ節約し、外出もせず、
年2回程度の友人との外食にも罪悪感を感じながら、
ただ働き子育てを全うしました。


第4章 影響と結論

体調悪化


最初は生理前や排卵期のイライラから始まり、夫の要望で漢方薬を飲み初める。
片頭痛は20年間続き、次第に悪化していき、別居前の片頭痛は悲惨なものでした。
ストレスで歯を食いしばりすぎて、歯が折れたり歯の神経が壊死したり、
大腸ポリープ手術が3回、
卵巣境界悪性腫瘍のため子宮全摘出。
術後膵臓には嚢胞も見つかりました。


大腸ポリープ


ポリープは精神的ストレスの後に手術したのは偶然では無い気がします。

2005年流産前後に精神的に追い詰められる→2007年ポリープ手術入院 
(サイズが大きく、茎があるタイプで出血していた。癌化になるリスクが高い。)

2017年フルタイム転職後、7年前から宣言していたとおり家事分担を行った。
すると『離婚したい』と言われる。
2018年『仕事と家事と子供の事と車の管理を両立できないのがおかしいから精神科行け』と言われて受診。
ADHDと診断。
しかし、診断されても薬を飲めと言うだけで、特性を理解してくれない。
仕事と家事と通院の両立が難しいと訴えても協力してもらえない。
2018年フルタイム転職して数カ月で、切除手術しても良いサイズのポリープが見つかる。
仕事を覚えていない状況のため、見送った。
2022年ポリープ切除手術。

2023年怪我、骨折、片頭痛悪化で仕事のミスが致命的で退職を決断。
引き止められても、体調改善は出来ないため短期間で離職をする。
2023年アルバイトで転職直後、
健康診断の結果が届き、精密検査が必要になった。
片頭痛悪化のせいだと思い、子宮全摘出を希望して、手術することを決めた。


2024年婦人科手術2回、
病理検査で卵巣疾患は良性ではなく境界悪性と判明する。


1度目の退院後2週間で『痛いなら病院行け』と怒鳴られ始める。

術前の約束である庭木の剪定を一年間担当してもらうはずが、
途中で終了と言われ喧嘩になる。

夫は今までできていた風呂の開け閉めや換気ができなくなる。
全ての家事が初期化してしまい、異常を感じる。


2回目の術後に膵臓に嚢胞が見つかる。 夫からコロナ感染。

2回目の術後の半年後、夫が実は1度目の手術前からマスクをしていなかったことをコロナ罹患後に知る。
夫がコロナ罹患する前に社内でコロナ罹患者と1日中マスク無しで仕事をしていたことを報告してくれなかった。
夫が罹患し、私へ移したあとに、同僚がコロナ罹患していたと言う。
遅すぎる報告。
私の原因追及と改善策のLINEで返信できなくなると、電話や言葉で反論してきた。
夫は、待機期間にコロナ罹患者だと伏せて取引先の敷地内で作業をすると言う。
なんと責任感のない仕事のやり方なのだろう。

全社で、コロナ罹患時は客先には言わないようにと業務命令があるから社外には公表できないと言う。
そんな信用できない会社があるのだろうか。

周りに迷惑をかけるのは人としてどうなのか?
私は、知らない人たちに感染させて迷惑かけるからと、説教LINEをする。
すると、
私の寝室に乗り込み、
『同僚がマスクもしないで出勤したから、
俺はコロナを移された被害者だ!
コロナになってもすぐ治るの。
お前は大袈裟だ!』と怒鳴りに部屋の中で怒鳴る。

菓子パンやおにぎりの買い物すらも満足に出来ず、私の指示が続く。

38度以上で声も出ず、日中冷蔵庫から食事を取りに行くのも階段が危険。

『布団を一階に敷いて』と頼むと
『病み上がり』だからと拒否される。

5日目やっと37度後半に落ちたところ
『離婚したい』と言ってくる。

色々調べても、微熱の原因が分からない。
医師は後遺症だろうということで、微熱が別居するまで続く。
コロナから回復しても体重が3キロ減ったままになった。

2025年4月
37度5分でも病気ではなく後遺症だと思い、
職場は民間ではない。
ワンマン経営の上司自宅での歓迎会に参加しなくてはいけないため、夫に送迎を依頼。
行かなければいいと夫には軽く言われるが、
私の仕事を円滑に進めるために仕事としていかなければいけなかった。
休日に仕事がないのに、夫は自分の会社では断っている言う。
でもそれは、出張中だから言える事。
私の立場を理解してくれない。
結局、断られる。

そのあと、私が車で出発する前に、フラフラするため、
体調が運転するのには危険と感じて、
急遽外出中の夫に連絡し送迎を頼もうとする。

私用の携帯電話は電源が入っていない。
会社の携帯電話も繋がらない。
事故かと心配して位置情報を何度もトライしてやっと繋がったら、
パチンコ屋に居ることを知る。
免疫が落ちてる時にバスやタクシーも危険と感じ、車で行く。

やっと連絡が取れて迎えに来てもらい、事情を聞く。
パチンコは手術前から再開していたと打ち明けられる。
私の命は軽視されたことを再確認して、別居を決意。


2025年

大腸ポリープが手術しても良いサイズのものが見つかる。
大腸癒着は年々悪化するため、手術することに決める。
別居後も体重が2、3キロ減る。
9月夫とやりとりがなくなった頃、片頭痛がほとんどなくなる。
夫の言動を見聞きすると片頭痛再発、微熱も発生する。


大腸ポリープの切除手術入院。


家庭内の事件が起こったあとに、
ポリープが大きくなる偶然が3回も起きるのは考えにくく、
大きなストレスを受けると、
大腸ポリープが大きくなるのではないかと感じています。


モラハラの本でも、DV講座でも、被害にあうと最初はイライラなど出現するが頭痛や病気を引き起こすと知りました。

入院したタイミングも離婚のタイミングだと分かります。


夫は感情優先


子どもと出かけることは少なく、夫は子どもが小学生になった頃、
共通のカードゲームの遊びができることではじめて子どもと遊ぶようになりました。
4〜5年はゲーム会場まで一緒に行っていたので、それは良かったのかもしれません。
オムツもミルクもほとんど手伝わず、
話しかけても無視して遊んであげず、
体遊びもしない、
公園にも連れて行かず、
ただ仕事が忙しいからオフになると言われ続けた。

これは自分が好きなことかどうかで動いていただけだと気付かなかった。

2010年 扶養枠で働き始めた先は2017年まで続くがこの先また離婚の危機が次々にやってきた。
2011年 夫婦喧嘩が急激に増える
ここからは、絶え間なく。
2019年 受験生メインに暮らせないため、いつも夫の機嫌でピリついた環境。
夫の父から仕事を辞めないなら、離婚するように電話がくる。

親としての責任から、逃げ出すことは悪と考えて、離婚を考えなかった。
きっと離婚しては親として失格だと思い、どんなに辛くても歯を食いしばり就職まで育てなければと、
私はそのモラハラから逃げるための本を閉じたのだと思います。


夫婦であっても、一生一緒にいるためには、
相互理解がなければ成り立ちません。

モラハラ加害者は、自らが変えたいと思い、自分で調べて自分で更生プログラムを受けるくらいの行動力が無ければ脱出できません。
ギャンブル依存症も同じです。
妻から言われて行くのでは、何も変わりません。


だから、離婚なのです。


離婚は、確かに面倒です。
手続きも、気力も要ります。
それでも、心や体が病んでしまうよりは、
ずっと良い選択だと思っています。

人生、もう遅いなんてことはありません。
いつからでも、やり直せます。

今、苦しい状況にいる方も、
目標を立て、
離脱する方法を練り、
小さな幸せを見つけながら、
自分が壊れないように過ごしてほしいと思います。

一生、耐え続ける必要はありません。
人生の中で、今は期間限定なのだと。

そして、
自分の次のフェーズは、必ずあると信じて、
日々を重ねていってほしい。

もし原因の分からない不調が続いているなら、
体だけでなく、置かれている環境にも
一度目を向けてみてほしい。

どうか、
限界を超えてしまう前に、立ち止まってください。



もし、どこかで立ち止まるきっかけになったなら、
そっとスキを押していただけたら嬉しいです。
これからも、記録を続けていきます。

このnoteについて
私が自然に別居という選択をするようになった
きっかけは、最初は上沼恵美子さんを真似たことからでした。

けれど、実際に別居してみると、
夫の支配から抜けたことで思考が驚くほどクリアになり、
長年悩まされていた片頭痛も、ほとんど起きなくなりました。

noteにまとめるために書き続ける中で、
夫がどんな人だったのかを、
感情ではなく、冷静に理解できるようになった過程をこのnoteに綴っています。




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