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【畏怖】第二部/一話:「イザナギ、死す」

※6月にTalesで公開して削除されていた「畏怖」の移植版(第二部)です。


第一部、これまでのあらすじ

天界と地上、神話と文明が交差する世界。
太陽神アマテルは、厳格な業務管理と長時間労働が常態化した天界の労働環境に疲弊し、緊急脱出用のベッド「転移装置」を使い地上へ勝手に降臨をする。
太陽が昇らない未曽有の事態に天候庁は混乱。天界政府は臨時閣議を招集し、一時的なエネルギー供給策などを決定するが、転移によるアマテルの居場所特定は困難となる。
一方、地上に降臨したアマテルは、元相談役アヤカが住む「天神シェアハウス」へ身を寄せることとなる。
しかし、手に追えないアヤカは天界と連絡をとり、アマテルの滞在を伝えると、閣議ではその「転移能力」や「アマテルの出生」に関する秘密が議論されていた。
天界での事態を知った、アヤカは神話の真実を明かすことを決意する……


「イザナギ、死す」


<役割の終わり、そして旅立ち>

 天界の上空にたなびく雲。
 ゆっくりと形を変えながら、陽の光を受けて白銀に輝いている。

 太陽神の失踪騒動から数週間がたち、高天原たかまがはらの日常は秩序を取り戻していた。

 アヤカは、あかつきの神殿の外苑を歩きながら、かつて天界で過ごした懐かしい記憶を辿るかのように、景色を見渡した。

 地上暮らしとはいえ、ここ最近は天界との接点も増えていたのだ。

 ──今日は、久しぶりに顔を見に来た。
 もう随分と会っていなかった。

 アヤカは玉砂利を踏みながら、深く静かに息を吐いた。
 神々の中で、最も多くを背負った男──イザナギ。彼は今、神殿の離宮りきゅう、特別な療養殿に身を横たえている。

 彼は「みそぎの儀」で、神の力を使い果たしたのか、徐々に衰弱していき千年ぐらい前を境に起き上がることができなくなった。魂を削り「封印」をした代償だった。

 長い回廊を抜け、重たい扉を開くと、柔らかな光が差し込む室内に、彼の姿があった。寝台の上で静かに目を閉じていたが、アヤカの気配に気づいたのか、微かに唇が動いた。

「……吾屋アヤ殿か、久しいな」

「ええ、こちらから来るのも本当に久しぶりね」

 イザナギは首だけを少し持ち上げ、再び天井を見つめた。
 その顔に、かつての剛毅ごうきな面影はあったが、ずいぶんと柔らかくなっていた。

「天界の風も、少しずつ変わってきたようだな」

「地上のほうも、いろいろとね。アマテルの件も含めて、まあ、大騒ぎだったわよ」
 アヤカが言うと、イザナギは小さく笑った。それはまるで、何かを懐かしむような微笑だった。

 アヤカは言葉を濁した。
「時代が変わっても、神々は役割から逃れられない。私も、そう思っていました。けれど……」
 その先にあるものが、明るいものばかりではないことを、彼女は知っていた。

 天界の風は静かに吹き抜け、白いカーテンを揺らしていた。

 イザナギがぽつりと呟いた。

 ──世の中は、変わる。

「昔は"つくる"ことがすべてだった。国を、秩序を、神々を。だが今は、"維持する"ことに疲れている者が増えてきた」

 アヤカは少し笑った。
「それが、時代というものなのでしょう」

 どれだけ変わっても、変わらないものもある。
 そして、変わらなければならないものもある。

「イザナミのこと、思い出すことはありますか?」
 アヤカの問いに、イザナギはほんの少し、まぶたを伏せた。

「……思い出さん日はない。だが、もう随分、夢にも出てこん。あの人が、怒っておらねばよいが」
 その声には、かつての苛烈さはなく、ただ、穏やかな響きがあった。

 室内に、静かな風が流れ二人を頬を撫でた。

 この場所で語れる話は、もうきっと、限られている。だからこそ、真実を伝えなければならない。

 そして、アヤカはそっと視線を床に落とした。
 これから話すべきことが、どれだけの意味を持つのか──その重さを測りながら。

「あなたが禊を行った、あのとき──確かに、アマテルと、もう一人の太陽神が生まれました、でも……」

 彼女の声は穏やかで、しかしどこか祈るような響きを持っていた。
 イザナギは静かに目を閉じたまま、顔をゆがめた。

「──封印は、ワシの判断だった。いや、もしかすると、オモダル殿に甘えて、ワシが"逃げ"たのかもしれんな……」
 それは痛みか、それとも別の感情か、アヤカにはわからなかった。

「違いますよ」アヤカはきっぱりと言った。

「オモダルは、器としての"役割"を果たしたに過ぎないわ」
「あの子を封じたのは、あなたの優しさです。それは、親としての判断だったのでしょう?」

 イザナギの喉がかすかに鳴った。
「ああ。ワシは、あのとき、父でいたかったのかもしれん。神であるよりも、な」

 アヤカは、ふと目を細める。
 長い時の中で、これほど柔らかい彼の声を聞いたのは初めてだった。

「あなたとイザナミは、多くの神を産みました」

 その言葉に、イザナギはほんの少しだけ微笑んだ。
「数え切れんな。国を造り、神を産み、秩序をつくる。まるで、終わりのない作業のようだった」

 でも──そのすべてが、神話に残ったわけではありませんよね?

 その問いに、イザナギはゆっくりと目を開けた。
「そうだ……消えていった子も多くいた。産まれたのに、な」

 アヤカの胸に、かすかな痛みが走った。
 答えは知っていたはずだ。それでも、言葉にすると、胸の奥がうずく。
「神話にない神々。でも確かに、あなたたちの"子"だった。その存在が、あなたを"親"にしたのです」

「ワシは……ちゃんと親になれていたのだろうか」
 その自問は、誰に向けたものでもなかった。ただ、これまで背負ってきたものの重みが、静かに言葉になっただけだった。

 アヤカは立ち上がり、窓のそばへと歩を進めた。そして、外の空を見上げながら、ぽつりと呟いた。

「今、地上では"子ども"が減っているみたいですよ。新しい命が生まれにくい、そんな時代だそうです」

 イザナギは鼻を鳴らすように、ふっと笑った。

「イザナミのほうが強くなったか。かつての"千人殺して、千五百の産屋を作る"あの口喧嘩を思い出すな……」
「では、ワシがここいらで、黄泉に止めに行く番かのぅ」

 二人は静かに笑った。
 その笑いには、皮肉もあったが、どこかあたたかさがあった。

「それでも、命はめぐります。たとえ遅くても、細くても、止まらない限り、意味がある。あの子もそうでした……」

 ふたりの間に、しばしの沈黙が流れた。

   * * *

 ──アマテルに全てを話しました。

 アヤカの言葉にイザナギの目が細くなる。
「アマテルの兄──あの子は、綺麗な魂で戻ってきましたよ。穢れも、何も、背負っていません」

 イザナギは遠い記憶の彼方にある、名も知られなかった神の顔を、思い出そうとしているようだった。
「そうか、そうか……」

「あの子の復活は、あなたがこの世に神を産んだ"役割"の完遂です。命を封じ託し、そして、繋がった」

 アヤカは、イザナギのこれまでを労うように言葉を伝えた。

「それを聞けただけで、もう十分だな……」
 イザナギの瞳は、どこか遠くを見ていた。

「待たせてしまった。イザナミに、叱られるかもしれんな」
 ふと、そんなことを呟いた。それは冗談のようでいて、心の底から出た言葉でもあった。

「きっと『遅かったわね』と、怒られますよ」
 アヤカも笑った。ほんの少し、声が震えていた。

 長い時の果てに、こうして「終わり」を選べる神が、どれだけいただろうか。消されることもなく、祀られることもなく。ただ、静かに終えるという選択。

「……吾屋殿。そなたに頼みがある」

「どうぞ」

「時間があるときでいい、これからの天界を、神々を、見守ってやってくれ」

 その言葉に、アヤカは肩を震わせた。
「……承知したわ」

 アヤカの胸の奥に、ひとつの灯がともった気がした。それは、これまでの役割を受け継ぐ、という証だった。

「ありがとう。もう、思い残すことはない」
 イザナギは、天井を見つめたまま、小さく頷いた。

 それは、まるで重たい役を演じ終えた役者が、舞台裏で吐く安堵あんどの呼吸のようだった。

 窓の外では、風が一層優しく吹き抜けていた。
 天界の空はどこまでも澄んでいて、どこか懐かしい光が差している。

 アヤカはそのまま、そっと彼の手に触れた。それは冷たくも熱くもなく、ちょうどよい体温だった。

 やがて──

 イザナギの呼吸が、静かに止まった。
 その顔には、神でありながら"親"としての安らぎが浮かんでいた。

 穢れを背負い、妻を失い、それでも創造を続け、すべての"役目"を果たしたいま、ようやくその重荷を手放したのだ。

 アヤカは、そっと目を閉じた。沈黙のなかに、長い長い時の流れが滲み出していた。

 そして──

 彼は、黄泉へと旅立った。
 かつて隔たれた、その場所へ。たったひとりの愛する妻のもとへ。

 もう、背負うものはない。
 もう、穢れに阻まれることもない。

 ようやく、ふたりはまた隣り合えるのだ。
 永く塞がれた"千引ちびきの岩"の向こうで、あの人が、待っているのだから。


── つづく ──



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