【バンド組織論】早すぎた革命家「DELUHI」、不落の城「摩天楼オペラ」
前回の記事で、
L'Arc-en-Cielは「個の技術がぶつかり合うプロ集団(個人主義)」
GLAYは「運命共同体のチーム(チーム主義)」
という話をした。
この視点を、私の好きな「メタル」の世界にも当てはめてみる。
基本的にメタルバンドは、ラルクのような個人主義型がベースになる。
なぜなら、界隈での共通言語は「仲の良さ」よりも「演奏技術」が大前提。
「BPM200で合わせられないならクビ」という実力至上主義の世界だから。
その中で、2010年代前半に同じ時代のV系メタルシーンを走りながら、
対照的な結末を迎えた2つのバンドがいた。
DELUHIと摩天楼オペラ。
今日はDELUHIのライブ映像を見ながら、その違いを言葉にしてみる。
DELUHI:エンジンが強すぎて空中分解したF1マシン
2011年、人気絶頂の中での解散。
解散に関する細かい事情は知らないけど、これを言葉にするなら、
「Ledaというエンジンの出力が、バンドという車体の限界を超えてしまったから」
と言える気がしてる。
早すぎた革新性
ギタリストLedaは、あの日本屈指の超絶技巧メロディックメタルバンドGalneryus(ベースYU-TOとして在籍)の出身でもある。
そこで培われたSyu譲りの世界基準の技術と、いち早く取り入れた海外のモダン・メタルの要素。
『Vandalism』のリフなんかは、当時のV系の様式美を破壊するほど鋭利で未来的。
ロック(破壊)と様式美(メタル)の両立は、X JAPANにも似たインパクトを感じる。
個人主義の限界
Ledaが脳内で描く進化のスピード
「もっと速く、もっとテクニカルに」という要求に
バンドとして呼吸を合わせるのが難しかったのかもしれない。
結論
彼らは「継続」よりも「純度」を選んだ。
速度超過で空中分解したF1マシン。
その散り際が一瞬で鮮烈だったからこそ、DELUHIは今も「伝説」として語り継がれているのかもしれない。
NOCTURNAL BLOODLUST(Cazuqi&Daichi期)や、JILUKAなどを聴いていてもその遺伝子を感じる。
2. 摩天楼オペラ:理念で統治された「不落の城」
対して、今もなお上昇を続ける摩天楼オペラ。
彼らはメタルバンドでありながら、
GLAY的な「チーム主義」の側面を強く持っている。
「合唱」という共有体験
彼らの楽曲には、ファンと共に歌う「合唱」が欠かせない。
これは「個のテクニックの集合」した上で、「みんなで一つの世界を作る」というチーム思想が根底にあるからなのかもしれない。
建国者としての在り方
DELUHIが一点突破の「革命家」なら、
摩天楼オペラは国を築く「築城者」かな。
苑(Vo)と彩雨(Key)が築いたシンフォニックメタルという堅牢な城。
だからこそ、AnziやJaY、優介といった超絶技巧ギタリストが入れ替わったとしても、城そのものは揺るがず、新しい騎士を迎え入れて国を存続させることができる。
まとめ:閃光か、歴史か
DELUHIはシーンを閃光のように駆け抜けた。
一方で摩天楼オペラは城を増築し続け、今も多くのファンをその城壁の中に守り続けている。
突出した「個」が限界突破して散る美学(DELUHI)。
強固な「チーム」で歴史を紡ぐ美学(摩天楼オペラ)。
どちらが良い悪いではなく、これは生存戦略の違い。
私たちが彼らに惹かれるのは、楽曲の中にこうした
生き様を感じているからなのかもしれない。
