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FOLLOW先検証:「しちゃうおじさん🐤」分からないことが耐えられないのはイマドキっぽいよね

こんばんは。少しづつ少しづつ風邪が快癒に向かっているような実感が湧いてきて、少し大袈裟だけど生きる力って凄いなあなんて素朴なことを感じているだっくです。

今回は少し趣を変えて、「昨今目覚ましいネガティブ・ケイパビリティの低下」についてお話ししようと思います。

あ、また知らぬ横文字を使って煙に巻く気だな、と思った方、大丈夫です。ちゃんと分かるよう丁寧に書きますからね。

ネガティブ・ケイパビリティって何?

ネガティブ・ケイパビリティという概念は、19世紀初頭にイギリスのロマン派詩人ジョン・キーツ(1795-1821)によって初めて提唱されました。

キーツは1817年12月21日に弟宛てに書いた手紙の中で、この概念について言及しています。

キーツは、ネガティブ・ケイパビリティを「事実や理由を早急に求めず、不確実さ、不思議さ、懐疑の中にいられる能力」と説明しました。彼は、特にシェイクスピアがこの能力を桁外れに有していたと考えていました。

しかし、キーツによって提唱されたこの概念は、当時は広く知られることはありませんでした。まあ、今でもWebの端っこで無名の人がごにょごにょ言っても広く伝わらないように、斬新な切り口ほど理解は広がらないものです。

そんなわけで20世紀に入って、イギリスの精神分析家ウィルフレッド・R・ビオンによって再発見されるまで、あまり注目されていませんでした。世の中に出たのはキーツの死後、実に約160年後のことです。

日本では、2017年に精神科医の帚木蓬生が著書「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」を出版したことで、この概念が広く知られるようになりました。

まあ、どんだけ遅れているのと言う話ですが、正直この手の概念は日本は後進国もいいところなので仕方ないと諦めてください。まさか先進的だなんて勘違いしていませんよね。

まあ、タイミング的にはVUCA(ブーカ)の時代という概念が、2016年:世界経済フォーラム(ダボス会議)で思い出されたのとほぼ同時期です。V:Volatile(変動的)、U:Uncertain(不確実)、C:Complex(複雑)、A:Ambiguous(曖昧)の頭文字を取ってVUCAです。

難しそうな感じに見えますが要は「訳分からんちんで予測できない時代」もっと言っちゃうと「トランプちゃんみたいな奴を日常的に相手をしなければならない時代」ということです。

なんでネガティブ・ケイパビリティの低下とか言っちゃってるの?

そうですね。今日ちょうど、しちゃうおじさんの面白い記事を拝見したのです。

内容としては、生成AIに「noteの運用のように確定回答がないようなものを質問する」と「ある程度確立されていても正しい専門家の知識が広く公開されておらず、情報商材屋のテケトーな知識ばかり拾ってくる」か「ハルシネーションを起こして嘘だか支離滅裂な薄ぼんやりした回答を返す」かだというお話しでした。

まあ、僕は仕事柄生成AIの中の調整でリランキングやナレッジグラフをゴリゴリに弄っているので「そうよねえ」くらいなのでその趣旨に異存はありません。

まあ、そこら辺の泥臭い仕事もある程度2025年は企業内であればAIエージェントを個別最適化していきそうな流れなのでそう目くじら立てることでもないなあ、なんて気楽に構えています。

で、本題としてあげた「ネガティブ・ケイパビリティの低下」です。どうも最近特に「事実や理由を早急に求めず、不確実さ、不思議さ、懐疑の中にいられる能力」が低下している人ばかり見かけます。

つまり、「分からない状態に耐えられない人」があまりに多いのです。

知識の価値の低下は確かにあるけれど、それとこれは別

SNSで顕著ですが、Google検索や生成AIが行き渡ったことで、知識自体の価値が下がったと言われています。

昔であれば、その道の権威の人が「これはこうだ」と言ったら、大抵話は終了しました。

しかし、情報というものがWebから簡単に仕入れられてしまうと、一般の人が一瞬でその積み上げられた知識や権威に対してもの申すというフラットさが実現しました。

それはそれで素晴らしいことではあるのですが、権威自体を貶め、数の差や拡散能力の高い人がデタラメを流しても、それを「推す」人達が沢山出てくると、正しいことを伝えていた権威が石持て追われるようにすらなりました。

で、この「推す」ような人達はまず間違いなくネガティブ・ケイパビリティが低いのです。とにかく何らかの回答でそれっぽく聞こえるものを「推し」て自分が分からない結論づけられないことをとにかく嫌がります。

とにかく誰かが「こうだ!」って断言して欲しい人、そしてそれを「推し」ているうちにその考えや解釈は自分が生み出したもののようになっちゃう。

近年だと、ひろゆきだとかN党・立花孝志とかが、テケトーなことを口にしても「そうだ。それが真実だ!」になってしまうのです。或いは、Google検索するにもAIを頼るにもせいぜい2,3回似たようなクエリーを投げかけるだけだったりします。

レプリコンワクチンを打った人(どうやって見分けるのかね)とすれ違ってシェディング(ワクチン接種者の呼気や汗腺から毒素(スパイクタンパク質、酸化グラフェンなど)が放出されるという仮説)が起きたとか、事実無根なのに在日クルド人の4歳の女の子が日常的に万引きしている盗撮動画とか、「やっぱりそうだ!」とか言いたい人はすぐに乗ってしまいます。

未だシェディングが怖いのでワクチン打った人店に出入り禁止とかありがち。

僕個人としては、検索やAIがその程度のものだと思われることに非常に心外なところがあるのですけれど、それを伝える手段もなければ、時間もあまりないので「なるようになるわねえ」と眺めている次第です。

知識というものを捉え直すことを勧めたい

過剰な情報収集により、脳が「オーバーフロー状態」に陥る情報過多シンドロームになると、記憶力や判断力、理解力が低下し、新しい情報を処理することが困難になります。

実際、現代においては知識のインプットは多過ぎます。それもどうでも良いような情報と役に立つ情報が同じくらいの重さを持って取り込んでしまいます。

そして、それを解釈するだけの蓄積した判断材料が無いのでどうでも良いものや見かけ刺激的で心地よいテケトーな内容、或いは特定の型に従ったものを残し、難しいものは捨てるか忘れてしまうのです。

それもこれも「分からない状態に耐えられない」からそうなっています。僕がここでお伝えしたいのは、知識というものを捉え直すことです。

何かしらの知識というのは即座に何か別の回答になることはまずありません。また、知識というのは常に別の知識や経験つぶつけて検証し、その結果を残すようにしないと何の意味もありません。これを歴史学的には修正主義と言います。

そういった修正主義的な姿勢を持って、得たばかりの得体の知れない未検証の存在や解決できない目下の課題があるという分からない状態を耐えないと永久に同じです。

しちゃうおじさんの記事の話に戻すと、とにかく安易に答えを求めないことが大事というところで繋がります。(まさか誤解されるとは思いませんが、僕はしちゃうおじさんはネガティブケイパビリティ強いなあ、と思っています。今回は文脈的に繋げた方が面白そうと思って触れただけ)

沢山の方に見て頂くとか、エンゲージを高めるとか、収益をいくらあげたとか言うのは簡単です。

そしてある程度はそのための戦術や道筋は確立されているとは思います。ただ、今得ていないそれらに耐えることなく、その数値でのみ量るような価値観に依存するのはネガティブ・ケイパビリティの低下そのものだと僕は思います。

まあ、こう書いても多勢に無勢で理解はしてもらえないんだろうなと思いつつもつい書いちゃいました。個人的には生きる時間は短いのでそんな暇つぶししてる暇無いと思っています。

もう少し関連で面白い切り口があるんだけど、それはまたの機会にしましょうか。

ではまた


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