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信仰の場を正す力:宗教団体上層部の政治的決議と門徒の果たすべき役割

信仰の場を正す力:宗教法人上層部の政治的決議と門徒の果たすべき役割

はじめに

2005年6月14日、真宗大谷派(東本願寺)の最高議決機関である宗会において、一つの重要な決議が可決されました。それは「日本国憲法『改正』反対決議」です。

決議文では、戦後60年の節目において「国民主権」「基本的人権の尊重」「戦争放棄」の三原則を守るべきだと主張し、憲法9条を中心とした改正の動きに対して、真宗門徒として強く反対の意を表明しました。

宗教教団がこのような公式な政治的決議を行うことは、一見すると「非戦・平和」の教えに基づいた崇高な行為に見えるかもしれません。

しかし、この決議から約20年が経過した現在、日本の安全保障環境や国際情勢は当時と全く異なる次元に突入しています。それにもかかわらず、上層部が決定した政治方針が硬直化したまま一人歩きし、一部の過激な政治運動や思想に教団全体が引きずられる事態が生じています。

このような宗教法人上層部の独走に対し、一般の信者や門徒は「おかしいことはおかしい」と声を上げ、その政治的偏向に歯止めをかける責任を負っています。

宗門決議の背景と、現代における政治偏向のリスク

浄土真宗をはじめとする日本の伝統仏教やキリスト教団の多くが、なぜこれほどまでに政治的・憲法的な問題に深く関与するようになったのでしょうか。

その根底には、昭和の戦前・戦中において、国家権力に沿い、門徒を戦地に送り出すための戦争協力を組織的に行ってしまったという、痛烈な歴史的トラウマと反省があります。戦後の教団は、この過ちを二度と繰り返さないために「不戦の誓い」を立て、それを仏教の慈悲の精神と結びつけてきました(
もし、先の大戦の結果が敗戦とは違う形だったら違う結論を用意した可能性はあります。その場合も果たして自己否定したでしょうか?)。

しかし、現代において懸念されているのは、その「不戦の誓い」が手段と目的をすり替えられ、特定の左派政党や過激な基地反対運動(辺野古基地反対協議会など)への肩入れや、特定の政治闘争の「道具」として利用されている現実です。

2005年当時とは比べものにならないほど緊迫する現在の東アジア情勢において、ただ過去の教条的な方針のままに一方的な護憲や運動への出資を続けることは、以下のリスクを孕んでいます。

  • 現実の安全保障を無視した空論になる

  • 地域社会との深刻な分断を招く原因になる

  • 過激な政治行動への没頭が、現場での重大な混乱や安全上のトラブルを引き起こす(実害的リスク)

門徒の「知る権利」と、宗教団体上層部への是正の必要性

宗教教団、協会や個々のお寺は、上層部や特定の過激な宗教者?住職?たちだけのものではありません。組織を物心両面で支えているのは、仏教においては、日々の暮らしの中で先祖を敬い、純粋な信仰を守り続けている数多くの一般門徒や地域住民です。

日本キリスト教団や伝統仏教のいくつかの宗派において、今、大きな問題となっている実態があります。

【現在問題視されているケース】 上層部が一般の信者に内密で、あるいは一方的に特定の政治的声明を出し、お寺や教会の名義・資産を政治活動に利用している。

門徒には、教団の上層部がどのような政治的決議を行い、どこに対して資金や名前を貸し出しているのかを「広く知る権利」があります。

そして、もしその決定が伝統的な信仰のあり方から逸脱し、お寺などを政治的に私物化・侵食するようなものであれば、門徒はそれを黙認すべきではありません。「おかしいことはおかしい」と指摘し、行き過ぎた政治傾倒を改めさせることは、お寺の公共性と純粋な信仰を汚さないための、信者としての立派な務めであり、権利なのです。

開かれた信仰の場を取り戻すために

幸いなことに、現代の浄土真宗(本願寺派・大谷派)においては、こうした上層部の独走に対する地方の寺院や門徒からの批判の声を受け、少しずつ変化も現れています。

かつてのような特定の政治的決議や運動への露骨な肩入れは批判の的となり、近年では環境問題や孤立対策、災害支援といった、政治的な左右の対立が起きにくい「社会貢献・人道支援」へと公式方針の軸足を移しつつあります。

真宗の組織には、門徒の代表が意見を反映させる「宗会」という合議制の仕組みが備わっています。一般の門徒が主体的にお寺の運営に関心を持ち、意見を届けることで、伝統的な信仰の場を政治闘争の場に変質させようとする動きに対してストッパーをかけることができます。

宗教者が一人の市民として個人の政治的信条を持つことは自由ですが、それを教団や寺院という公の組織に持ち込み、門徒の総意であるかのように偽って社会へ発信することは許されません。

おわりに

私たちが愛し、守るべきお寺、宗教施設は、どのような政治的思想を持つ人であっても等しく受け入れられる、安心で静かな心の拠り所でなければなりません。

そもそも、宗教法人法によって宗教施設が固定資産税非課税措置、宗教活動非課税などの税制上の優遇を受けているのは、決して宗教法人の上層部や一部の僧侶たちを優遇するためではありません。国民の「信仰の自由」を物心両面から広く支え、そこに集う国民(信者・門徒)一人ひとりを主役とするために、国や法律がその公益性を認めているからに他なりません。

つまり、宗教法人の資産や名義を特定の政治運動に私物化することは、法律の本来の趣旨や、公共の場としてのあり方に真っ向から反する行為なのです。

宗教法人上層部の暴走に対して、一般の信者、門徒が健全な批判の目を持ち、是すべきは是し、非すべきは非とする姿勢こそが、組織の健全性を保ち、その公益性を守る唯一のブレーキとなります。

歴史的な過ちを繰り返さないという言葉を隠れ蓑にした政治的独走を許さず、次世代に歪みのない真の信仰の場を伝えていくために。いま一度、主役である信者、門徒一人ひとりが声を上げ、対話を通じて本来の姿へ正していくことが強く求められています。


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