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ナチス・ドイツ最初の強制収容所(ダッハウ)跡 訪問42周年 〜 ドイツは今も 「ナチス・ドイツ」


文句あったら..

イスラエルへの「盲目」支援を止めろ(本当の盲目の人に失礼だ, 目は見えずとも心で見る人は幾らでもいる, そうだよね アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリさん!), 自国相似の入植者植民地主義イスラエルを徹頭徹尾支持するアメリカ合州国に次ぐイスラエルへの武器提供国ドイツ, 莫迦丸出しドイツ, 人類の恥ドイツ, 欺瞞と偽善の国 ドイツ, Never Again は「イスラエル批判をしないユダヤ人だけは守ります」という意味だったドイツ!

ダッハウ強制収容所(ナチス・ドイツによる最初の強制収容所)跡を訪ねた, 1983年6月21日

1983年初夏, もちろんベルリンに壁があった時代, 3週間ほど ドイツを旅した

以下の 1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集 の目次 10(ハンブルク), 11(ボン), 12(トリーア), 13(西ベルリン), 14(「東ドイツ」東ベルリン), 15(ケルン), 26(ハイデルベルク), 27(フランクフルト・マインツ・コブレンツ 〜 ライン下り), 28(ミュンヘン, フュッセン), 29(ダッハウ, 「ダッハウ強制収容所」跡)が, 当時の ドイツ(東ベルリン以外は全て「西ドイツ」だったけどね)「旅の記録」ノート。

ダッハウ強制収容所(ナチス・ドイツによる最初の強制収容所)跡を訪ねた, 1983年6月21日

  1. ダッハウ強制収容所 跡, 訪問 〜 1983年6月21日(写真7枚)

  2. 「最初, 彼らは共産主義者たちのところにやって来た, しかし私は声を上げなかった, 何故なら, 私は共産主義者じゃなかったから 〜 その後, 彼らは社会主義者たちのところに 〜 そして, 彼らは労働組合員たちのところに 〜 次に彼らは, ユダヤ人たちのところにやって来た, しかし私は声を上げなかった, 何故なら, 私はユダヤ人じゃなかったから。そして彼らは, 私のところにやって来た, しかしそのとき, 私の為に声を上げてくれる人は, 一人も残っていなかった」

  3. 「彼らはパレスチナ人たちのところに向かって来た, しかし私は声を上げなかった, 何故なら, 私はパレスチナ人じゃなかったから」

  4. 1983年4月26日に日本を発って, ドイツ(当時は西ドイツ)のダッハウに至るまで

決して忘れはしない

決して忘れはしない 〜 ナチス虐殺の記録

「昭和三十六年二月十二日 発行」, 1960.9.11 生まれの俺がまだ生後5ヶ月の時に発行されたもの。当時32歳だった親父殿が大枚はたいて購入(定価三八〇円!), お陰で俺は小学生の頃からこの本を読んでいた。

ポーランドで出版され, ロシア語版, 英語版, フランス語版, ドイツ語版, スペイン語版, ポルトガル語版に次いで発行された日本語版なのだが, 静岡県の片田舎(風光明媚な田舎町!)で育った俺が大学進学のために北海道は札幌市に向かう際(*2), 親父殿が俺に持たせてくれた本で, もちろん今も大事に, この歴史的な書籍を今住む北関東の地方都市の家で保管している。

悲惨な写真の数々や解説の他, 開高健(1930年12月30日 - 1989年12月9日)による寄稿も。

細かいことは今日 書かない。こういう本を読んで育った俺が, 反ユダヤ主義者(*1)などではないことは言うまでもない。

生まれ故郷の田舎町で, 現在96歳, 幸い(93歳のお袋さんと共に)健在の親父殿に, あらためて感謝する。

*1 イスラエル批判、反シオニズム、BDS を 「反ユダヤ主義」 と見做す思考の、度し難い愚かさ

*2 今日の「お題」とは無関係ながら「大学進学のために北海道は札幌市に」で想起の「札幌青春街図」。

「大学進学のために北海道は札幌市に向か」ったのは高校出た直後の 1979年3月末ながら, これは 1981-82年の「札幌青春」記録。

ではでは。

「荒れ野の40年」 ヴァイツゼッカー大統領演説 全文

「全文」を此処に載せないよ。読みたければ簡単に手に入ります。1985年5月8日の演説「全文」, 当時 雑誌「世界」で読んで感動したものだが, 以下は 1986年2月20日 第1刷発行のブックレット, その 1998年7月6日 第31刷。つまり後年あらためて読もうと買ったもの。

この頃も, ドイツは戦前への反省において日本より格段に「立派な」国だと思っていた。誤解してたよ, くそ「ドイツ」!

ではでは。

ワルシャワ・ゲットー蜂起, アウシュヴィッツ から、 パレスチナ へ

  1. ワルシャワ・ゲットー蜂起: 1943年4月19日 - 5月16日

  2. 1948年に「建国」されたイスラエル, そして イスラエル と パレスチナの今

  3. ワルシャワ・ゲットー蜂起, そしてアウシュビッツ強制収容所・マイダネク強制収容所の生存者である両親のもとに生まれた, ユダヤ系アメリカ人政治学者の, イスラエルによるパレスチナ人弾圧に対する激しい怒り

  4. 付録:関連 note 投稿リンク

では, 次へ。

🇺🇸 🇮🇱 地上最大の「悪魔」同盟 〜 🇩🇪 ドイツも加えりゃ, 21世紀の真の「悪の枢軸」

ウンザリだね, 欺瞞と偽善の国 ドイツ!

文句あったら.. イスラエルへの「盲目」支援を止めろ(本当の盲目の人に失礼だ, 目は見えずとも心で見る人は幾らでもいる, そうだよね アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリさん!), 自国相似の入植者植民地主義イスラエルを徹頭徹尾支持するアメリカ合州国に次ぐイスラエルへの武器提供国ドイツ, 莫迦丸出しドイツ, 人類の恥ドイツ, 欺瞞と偽善の国 ドイツ, Never Again は「イスラエル批判をしないユダヤ人だけは守ります」という意味だったドイツ!

イスラエル, アメリカ, ドイツ, イギリス, そのほか諸々の有象無象に捧ぐ。

清志郎が いま生きていたら, こう言うだろう。「アメリカとイスラエルの関係についてどう思うかって? ドイツとイスラエルの関係についてどう思うかって?… あきれて物も言えないぜ」

あきれて物も言えない(RCサクセション; 忌野 清志郎, 1951年4月2日 - 2009年5月2日)

ではでは。

パレスチナ/イスラエル問題 〜 それは 勿論, 2023年10月7日に始まったのではない

1983年秋, 3週間ほど, パレスチナ/イスラエル を旅した

以下の 1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集 の目次 66 ~ 80 が, 当時の パレスチナ/イスラエル「旅の記録」(イスラエルによる1967年6月以来の・同年11月の国連安保理決議に違反し続ける軍事占領下ヨルダン川西岸地区, エルサレム, ガザ地区, 「48イスラエル」の街など)ノート。

パレスチナ/イスラエル問題 〜 それは 勿論, 2023年10月7日に始まったのではない

過去の note においても書いてきたけれど, パレスチナ/イスラエル の「問題」は, 2023年10月7日に始まったのではない。いわゆる「パレスチナ問題」(「問題」という言葉の解釈次第で「イスラエル問題」と言った方がよいのではとも思うが)の歴史的背景を知る人間には, それはあまりに常識的なことではあるが。

「パレスチナ/イスラエル問題」の概観については, 以下の 2021年10月8日付 note の 第1章から 第2章 にかけて, まとめています。

ハイファ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)に戻って 〜 1983年10月5日

以下は, パレスチナ及び中東に関わる note マガジンへのリンク。

パレスチナ 🇵🇸

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