初めての パリ 〜 1983年6月の10日間
写真は 1983年6月9日, 日本を出てから45日目, パリ滞在 7日目, Pont Notre-Dame, ノートルダム橋, 筆者撮影。
当時22歳(から23歳)バックパッカー一人旅の筆者(2026年6月現在, 既に65歳!), 西ドイツの(今は無き「西ドイツ」の, そして国の正式名称としては当時も今もある「ドイツ連邦共和国」の)ケルンからの夜行列車で, 1983年6月3日朝 6:30頃, フランス(括弧多くなるが成り行き上こっちも書くか, 正式名称「フランス共和国」)の首都, パリに着。
パリ北駅だったのか, パリ東駅だったのか, 当時の日記にも到着した駅の駅名までは書いてなくて, そのどちらだったのかは 調べないと分からない(調べない, 笑)。ともあれ, その 6月3日朝 6:30頃から 6月12日夜11時59分(そこまで細かく日記に書いてあった, 「54分」にも見える筆跡だけどそれはやっぱ細かい話だな, 笑)発の夜行列車で パリの(これは日記によれば)リヨン駅を発って スイス(これも成り行きだ, 正式名称は「スイス連邦」, まずはジュネーヴ, ついで, ついジュネーヴがスイスの首都のような気がしてしまうが, スイスの首都はベルン, これじゃほとんど「ひとりごと」, 「ひとりごと」はあのアルバムの正式な邦題!)に向かうまで, 10日間 パリに滞在した。
括弧多いな, これも成り行きなのだ。で, あの旅も成り行きだった(笑)。
「貧乏旅行」バックパッカーが パリで泊まった 〜 「ホテル・ヘンリー4世」という名の「危ない」安宿
パリから日帰りでヴェルサイユにも行ったけど, フランスで泊まったのはパリだけ。もちろん安宿, ホテルの名前は今でも忘れられない, 荘厳な響きすら感じられる "Hotel Henry IV", 要するに「ホテル・ヘンリー4世」, しかしその実, 狭い玄関入って直ぐのフロントデスクの文字通りデスクとして置かれた机一つのその引き出しには剥き出しのピストルが入ってるわ, 寝泊まりした部屋ではネズミに遭遇するわの安宿で, 部屋はこんな部屋。

"Hotel Henry IV", ところで『北回帰線』『南回帰線』の Henry Miller (Dec 26, 1891 – Jun 7, 1980), ここ泊まったかな(笑)。
もう少し詳しく, 次章にリンクを貼る note の第2章から, その中の 2段落分を以下に転載しておくと,
1) 1983年6月3日付の旅日記・写真を掲載した, その下。
ホテル・ヘンリーIV ってすっげ高そうな名前のホテルだけど, しっかしバックパッカーとカタカナ英語で呼ばれる日本の貧乏旅行者がそんな高いホテル泊まるはずがない。40フランス・フランというのは, 当時の為替でおおよそ 1,000円程度だったものと記憶している。中東やアジアでは 1泊日本円にして 200円とかそれ以下とかも泊まったりしたけれど, ここは一応「花の都」パリ, あの宿はおそらく当時のパリで最も安い部類ではあったと思う。
当時の日記によれば 一泊「40F」, 40フランス・フラン(「ユーロ」なんて無い時代だね)。「当時の為替でおおよそ 1,000円程度」と書いてたけど, あらためて調べると「1,200円」ぐらいかもしれない。それでも パリの宿では破格の安さだった。少なくともユースホステル類より安かったのではないかな。しかし上掲の写真の上に書いた, そして以下に詳しく記す通りなんだから, 逆に高いくらいだ(笑)。そもそも, パリの前まではけっこうユース利用していて, パリでは「普通の」街の宿の方がいい, 「普通のホテルに泊まるのが旅の経験だ」なんて思ってもいた。しかしだねぇ, 「危険な匂いすらする安宿」Hotel Henry IV を「普通のホテル」と言っていいものか, と思い出し笑い!
2)
「ホテル・ヘンリーIV」という大それた命名とは裏腹に, 何階建てだったかとりあえず忘れたけれどまぁ 3, 4階程度の建物だっただろうか, それはかな〜り古びた, 鄙びた(大都会パリに在りながら「鄙びた」風情の)建物で, ホテルらしくない玄関を入っていきなり狭いスペースの左側に木机のフロントがあってそこにいるスタッフ二人はアルジェリアからの移民(移民だったか二世とかだったか区別は記憶にないが), うち一人はおっさん, もう一人は普段は気がよさそうだが短気でケンカ好きで手に包帯を巻いていてピストルも持っていて, 掃除のおばさんはモロッコ人(移民だったか二世とかだったか区別は記憶にないが)の二人で(この辺りのことはほとんど頭で記憶しているけれど後日 [6月10日] の日記にも詳しく書いてある), そして泊まった部屋では一度, ネズミが出た(笑)。
上記「もう一人は普段は気がよさそうだが短気でケンカ好きで手に包帯を巻いていてピストルも持っていて」のピストル, 実際に見せてもらったくらいで(というか, 俺が日本から来た若者だからカラテの達人かと勝手に勘違いしたヤツが, それで脅威を感じて俺にピストル見せつけたのか? 笑), だからその事実はけっこう強く印象に残っている。
ではでは。ようやく「初めての パリ 〜 1983年6月の10日間」の中身へ。
1983年6月4日, フランス・パリの映画館で観た FURYO 〜 Merry Christmas, Mr. Lawrence 要するに 「戦メリ」
ではでは。
1983年6月6日, パリの「娼婦街」サン・ドニを歩いてみた 〜 BGM は Doobie Bros, Deep Purple, 憂歌団, S&G, and Tom Waits ♫
危険な匂いがするこの街を, シンプルに歩いてみた(だけ!)。
BGM は, The Police のこの歌でもいいね。
ではでは 🎶
「ベルサイユのばら」が懐かしい, ヴェルサイユ宮殿に行ってみた 〜 1983年6月7日
1983年6月7日, 筆者はパリのあの「汚ない」ホテルの「汚ない」部屋(今日の第1章)を発って, 日帰りで「美しき」ヴェルサイユへの旅。
下掲 note 掲載写真の中から 2枚ほど。


ではでは。
パリ, 1983年6月9日 〜 モロッコ人移民と会った記念, Hindi Zahra 聴こう ♫
下掲 note 掲載写真 8枚から, ここでは 5枚。


以下は 1983年6月9日の「ノートルダム大聖堂」(約36年後, 2019年4月15日夜に大規模火災が発生, 尖塔など焼失, 翌16日午前に消火活動により鎮火, 修復・再建工事の後, 2024年12月8日再公開)。

以下, 以前は誤って「アレクサンドル3世橋」と書いてしまっていた。この橋は正しくは「ノートルダム橋」。Pont Notre-Dame のこの写真のアングルとほぼ同じ。

さてさて, 筆者が泊まっていたパリの安宿について, 再び。
パリから日帰りでヴェルサイユにも行ったけど, フランスで泊まったのはパリだけ。もちろん安宿, ホテルの名前は今でも忘れられない, 荘厳な響きすら感じられる "Hotel Henry IV", 要するに「ホテル・ヘンリー4世」, しかしその実, 狭い玄関入って直ぐのフロントデスクの文字通りデスクとして置かれた机一つのその引き出しには剥き出しのピストルが入ってるわ, 寝泊まりした部屋ではネズミに遭遇するわの安宿で, 部屋はこんな部屋。
"Hotel Henry IV", ところで『北回帰線』『南回帰線』の Henry Miller (Dec 26, 1891 – Jun 7, 1980), ここ泊まったかな(笑)。
どんなホテルだったのか, より詳しくは今日の第1章の後半で。

旅人の短い滞在による印象だけで思い切りシンプルに書くと, パリには, 綺麗なところと文字通りシンプルに言って「汚ない」ところ(優しく言うと「綺麗ではない」ところ)とがあって, 筆者が泊まった宿は汚なく, 部屋も汚なく, その周辺も大雑把に言ってしまえば要するに「汚ない」ところで(宿の近くのバーに行ったら, そこでは客からだったけど, やっぱピストル見せられた, まぁそれは「汚ない」とは別の話だな, 笑), 「綺麗」と「汚ない」(「綺麗ではない」)ところの混在は大都会の常かもしれないが, しかしパリはほんと, 綺麗, 美しいところは, めっちゃ美しいからね。まぁ(再び)しかし, 綺麗なところ・綺麗に見えるものが, 「汚ない」ところ(優しく言うと「綺麗ではない」ところ・綺麗には見えないもの)よりも表裏全て, 見た目・外見からその中身まで核まで心まで核心に至るまで, 何もかも優れているとは限らない.. そら, そうよ(急に岡田彰布「阪神タイガース」元監督 口調, 笑)。
ではでは ♫
パリ, セーヌ河畔, 1983年6月10日 〜 BGM は The Dangling Conversation (S&G) ♫
下掲 note 掲載写真から。

ではでは ♫
パリにて, カンボジア人移民(難民)と話した, 1983年6月11日 〜 Teach Your Children (CSNY) ♫
下掲 note 掲載写真 8枚から, ここでは 4枚。

次の 3枚は, リュクサンブール公園近くの小さな公園で自転車の乗り方を教える「パリジャン」父と教わる「パリジェンヌ」娘, そして サッカーに興じる少年たち, 少女たち。



以下の note では, あの日 出会ったカンボジアからの移民(難民)との会話についても触れている(当時の旅日記)。
ではでは 🎶
パリ 〜 10日目, 1983年6月12日, BGM は Mussorgsky, ELP, 加藤和彦, Date Of Birth, Avalon Jazz Band & Ella Fitzgerald ♫
下掲 note 掲載写真の中から 2枚。


ではでは!
刺激的なフランス旅行 1983, 愉快なフランス旅行 1988 〜 「退屈なフランス旅行」1997 ♫
刺激的なフランス旅行 1983, 愉快なフランス旅行 1988 〜 「退屈なフランス旅行」1997 ♫
これ。
愛だろう
ヘイ、銃声よりもダイナマイトよりも
衝撃なのは愛だろう
ヘイ、水晶よりもダイアモンドよりも
透明なのは愛だろう
大切なのは愛だろう
大切なのは愛だろう
愛だろう
愛だろう
ではでは。
2度目のパリ, 初めてのパリ
2度目のパリ, 初めてのパリ 〜 グラン・ヴェフールでフレンチ、ラパン・アジルでシャンソン、パリを出たらエリック・サティ生誕の地オンフルールにてサン・シメオン泊
俺は 2度目, カミさんは 初めてのパリ。パリだけでなく, エリック・サティ生誕の地 オンフルールにも泊まった。
下掲 note に掲載した綺麗な写真たくさん(!)の中から, ここには 1枚, ルーヴルを楽しんだ後にその美術館近くで撮った, 1988年3月19日土曜のパリのひとコマ。

愛こそはすべて 〜 All You Need Is Love
前節で「新婚旅行」note リンクしたので, 旅行の前, 「音楽づくしの結婚」をした際のその音楽の中から All You Need is Love を。
下掲 note から転載。
"All You Need is Love" は鏡開きの直前にかけ始め、あのビートルズの歌のイントロで使われているフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」のチャッチャ, チャッチャ, チャッチャ, チャーチャチャッ ♫ に合わせて(要するにその直後ほぼ同時に樽が開くように)、二人で酒樽を開いた。
"All You Need is Love" が好きで使ったけれど、イントロの「ラ・マルセイエーズ」は翌日からの新婚旅行の行き先がフランス(パリとヴェルサイユとオンフルール)だったので、翌日以降のプランにもたまたま合致 ♫
All You Need is Love 🎶
ではでは, 今日のところは これにて 🎶
