見出し画像

べらぼう18話:歌麿の過酷な過去と一炊の夢を考察!

大河ドラマ「べらぼう」18話、「歌麿よ、見徳は一炊夢(みるがとくはいっすいのゆめ)」を、史実の歌麿の絵や黄表紙の紹介と共に感想・考察します。

◎前回の17話「乱れ咲き往来の桜」の感想はこちら。蔦重のずばぬけたビジネスセンスについて考察してますよ~。

今回は、とうとう歌麿(染谷将太さん)登場!
あの唐丸が歌麿だったんですね~。ドラマの中の唐丸の過酷すぎる幼少期が胸に迫り、史実の歌麿の浮世絵の見方もより深くなっていくような不思議な感覚を覚えました。

また、朋誠堂喜三二の大蛇が妓楼を破壊しそうなほど暴れるシーンも「昔のB級映画か」と笑ってしまって、ますます日曜の家族団らんの8時台の大河ドラマとは思えない様相を呈してきました(誉め言葉)。

江戸好きとしてはここまでやってくれる大河ドラマを見ることができて本望です。

また今回も「歌麿よ、見徳は一炊夢」というサブタイトルが泣かせる…。そこも詳しく解説しますね。

では、さっそく感想・考察いってみましょう~♪



唐丸の幼少期のトラウマ

ドラマの第一話。明和の大火とよばれる大火事で、炎に包まれる吉原から蔦重に手を引かれ逃げ延びた唐丸。

なぜ少年がぼんやりと火事の中で佇んでいたのか?
なぜ「人殺しをばらすぞ」と脅され、その男を突き落とすために共に川に身を投げなければならなかったのか?

今回その謎が解けましたが、あまりにも過酷でしたね。
唐丸の母は夜鷹で、息子を金のために売色の道具にしていました。少年・唐丸はそれでも金が入れば、「いい子だねぇ、お乳でも吸うかい?」と優しくなって笑う母のために、ずっと我慢をしていた。

当たり前ですが、小さな子供にとって親は世界のすべて。親を頼り、親に愛されることしか生き延びるすべはないのです。どんな理不尽なことをされても、親に喜んでもらえれば自分という存在が認められたとうれしくなる。

けれど、その理不尽さにも気づいていて心は悲鳴をあげている。そこへあの大火が起こった。倒れた家屋の下敷きとなった母の手に、唐丸は足をつかまれる。

「てめえだけ助かろうって肚(はら)だろ。あんたは人の命を吸い取る鬼の子だからね!」

こんな状況でも、我が子に「鬼の子」と呪いをかける母親。唐丸は恐ろしさと共に「おっかさん、ごめん」と逃げ出すーーー。

遊女の中でも最下層といわれる夜鷹をしていた母親もまた過酷な人生に心を削られ、ままならない苦しみを子供にぶつけていたのでしょう。もちろんそんなことは許されないことですが、その不幸の連鎖を断ち切るように逃げ出した唐丸はある意味偉かった。そもそもあの状況で、小さな子供に家屋の下敷きになった母親を救うことなどできるはずもない。

しかし、「毒親」などという言葉はなく、親には孝行すべきという教えが何よりも美徳とされていた時代、唐丸が親を見殺しにしたことに、より傷ついて自分を責めていただろうことは想像できます。

男に脅されて盗んだ金を渡したのも、そんな罪悪感と、何よりも相棒のように接してくれる蔦重の側にいられた吉原から追い出されたくない一心だった。そう思えば切なくて涙がでてしまいました。

そして男を突き落とすために共に川へ飛び込んだ後、生き延びた唐丸は、北川豊章という絵師のゴースト絵師として仕事をする一方で、非道な男でも年増の尼でも客を選ばず身を売っていたのです。

蔦重が、自分から好んで身を売ることはあるのかと松葉屋の女将・いねに尋ねたとき、いねが「いないとは言い切れないけれど…、たまにいるのは罰を受けたい子だね」と答えたのは、本当に深い脚本だなと思いました。

よく、自由な現代で身を売るのは自己責任だ、という論調がありますが、本当にそうだろうかと私は常々思っていました。きっと唐丸のように、一人ひとり、金銭面だけでなく心理面でも様々な状況や理由があるんだろうと思います。そしてそれは個人の問題だけでなく、社会の問題ともつながっている。

そんなことを考えさせてくれる今回の大河、いや、家族で見たっていいんじゃないでしょうかねえ? だめ?

閑話休題(それはさておき)。

すべてを蔦重に話した唐丸、それを受け止め「俺はお前を助けられねぇが、お前が生きてぇならいくらでも力を貸すこたできんぞ」と言う蔦重。

そしてあの火事のときのように、蔦重に手を取られて吉原へ駆けていく唐丸。その嬉しさと戸惑いがないまぜになった表情や仕草も子供のころの唐丸に戻っていて、すごいな染谷将太さんと思いましたね。

おかえり唐丸。

いつも「ん…」としかいわない駿河屋のおふじさん(飯島直子さん)が、すぐに四郎兵衛会所で人別(今でいう戸籍のようなもの)をとって、反対する市兵衛(高橋克実さん)をどやしつけたのもよかったし、人のよい次郎兵衛義兄さん(中村蒼さん)がなんとなく口裏を合わせてくれたシーンもよかった。

こうして蔦重によって「歌麿」と名付けられた元・唐丸。これからどのように蔦重のもとで才能を開花させていくのでしょうか。とてもとても楽しみですね。

史実の歌麿と鳥山石燕

今まで唐丸は謎の少年として描かれていて、正体は不明でした。しかし絵が抜群に上手いことから、将来の歌麿か北斎か写楽ではないかと、予想も盛り上がっていましたね。

歌麿が優勢のようでしたが、しかし、歌麿だとすると年齢が合わない…という問題が出てきます。歌麿が生まれたのは1753年(宝暦3年)とされており、蔦屋重三郎が生まれたのが1750年(寛延3年)で、3歳ほどしか違わない。

ドラマの中の唐丸と蔦重は、どう見ても10歳以上の差がありそうで、私は歌麿には無理があるかなと思っていたのですが、その年齢問題は別人の人別をこしらえた、ということで、なるほどクリアになりました。

この辺、視聴者からの細かいつっこみにも対応しながらも不自然ではない、むしろより話が深まるストーリーづくりで、またまた感心しきりです。

歌麿の少年時代の絵

さて、史実の歌麿について。

喜多川歌麿の幼名は市太郎、後に勇助と改名。最初の号は石要、さらに豊章、天明初年頃から歌麻呂、哥麿と名乗ります。絵は鳥山石燕に学び、初作は明和7年(1770)の石要の名が入った、絵入歳旦帳『ちよのはる』挿絵「茄子」とのこと。

上記の静岡大学教授・小二田先生のXのポストより、石要と名乗っていた少年時代の歌麿の茄子のイラストがこちら。↓

『ちよのはる』(東京大学総合図書館所蔵) 出典: 国書データベース

茄子の部分を拡大してみると……

なんかかわいくないですか?笑

そしてこちらが「歌麿豊章」と名乗っている例。

『松の旦』(東京大学総合図書館所蔵) 出典: 国書データベース

拡大してみましょう。


少年時代の絵を見てみると、江戸時代を代表する美人画の天才絵師・歌麿が、なんだか身近に感じられてきませんか?


また、私がドラマの唐丸と母親とのシーンで思い出したのが下記の浮世絵。

喜多川歌麿「山姥と金太郎・乳吸い」/国立文化財機構所蔵品統合検索システム

御存知の方も多いでしょうが、歌麿は「山姥と金太郎」をモチーフにしたこのような作品をたくさん描いています。

これは幕府の禁令により絵の画題が規制された時期、その目をかいくぐって女性を描くためではないか、と言われますが、史実の歌麿もまたその出自が謎に包まれた人物。

規制を逃れるためだったとしても、その根底には、母恋しの想いがあったのかもしれないなあ、と改めて見返しています。

妖怪画だけでない石燕

河童  『画図百鬼夜行』より

江戸時代の怪談や妖怪も好きな私にとって、鳥山石燕が出てくるのも待ち遠しいところでした。

ドラマではいかにも怪しげな風貌で、地面に枝であやかしを描くじいさん、という登場の仕方でしたね笑

史実の鳥山石燕は正徳二年(1712)~天明八年(1788)。意外かもしれませんが、絵の流派は幕府御用達絵師を輩出している狩野派。つまり正統派です。

代々幕府の御坊主(江戸城で将軍や重役、登城した大名たちを世話し、調度を整えたりする役)の家系に生まれ、経済的には恵まれていたようで、狩野派に学んだのも職業というよりも嗜(たしな)みであった可能性が強いとか。

晩年の画業だった『画図百鬼夜行』シリーズが有名になったことと、ほかの作品があまり残っていないことから、妖怪絵師としてのイメージが強いのですが、「聞人(ぶんじん/学識に優れた人)」と評されるほど、漢籍、仏典、本草学、国学、古典文学などから艶書などまであらゆる知識を持つ博学の人だったようです。

さらに、版画の摺りの技術「フキボカシ」(グラデーション)を発明したりしているスゴイ人。門下には、喜多川歌麿、恋川春町ほか、歌川派の祖・歌川豊春など。

これから春町と石燕のシーンもあるのでしょうか。あったらいいなあ~、と思っています。

参考/「百鬼解読」多田克己著 京極夏彦絵(講談社)


喜三二の「見徳一炊夢」からサブタイトルの意味を想像

歌麿のシリアスでハードな幼少期が描かれる一方、喜三二のもう一つの筆が盛り上がっていましたね笑

喜三二は夢の中で自分の下半身が大蛇になって荒れ狂うところを、松葉屋のいねに「これは殿方にはきつい仕事さ…」と刀でぶった切られる…という所で目が覚めます(いね、かっけー!)。

ほっとしたところで思いついたのが「見徳一炊夢(みるがとくいっすいのゆめ)」という黄表紙作品でした。

「見徳一炊夢」とは?

喜三二 戯作『見徳一炊夢 : 3巻』,[蔦屋重三郎],[安永10 (1781) ]. 国立国会図書館デジタルコレクション

史実の喜三二は、親友であった恋川春町の「金々先生栄華夢」から着想を得てこの「見徳一炊夢」を書いたといいます。

春町の「金々先生栄華夢」もドラマに出て来ていましたが、田舎から江戸に出てきた男が途中で立ち寄った粟餅屋でうたた寝をして、その夢の中で大金持ちの跡取りになって吉原・深川・品川で遊びまわるというお話。

喜三二の「見徳一炊夢」は、さらに夢の中で夢を見る、二重の夢のお話。
夢の中でこの世の栄華を極めることができるという枕を買った男が、夢の中で諸国を巡り遊んで暮らすが、晩年に生家に戻ると破産するところで、一文なしになって追い出されてしまった。そこで目が覚めて、ああよかったと思ったら枕を買ったところから夢だっだ、というオチです。

詳しくは下記のページに書いておりますので、ご興味ある方はどうぞ。


サブタイトルに込められた意味を考察

今回のサブタイトルは「歌麿よ、見徳は一炊夢」。

これは喜三二の「見徳一炊夢」(夢であっても見るだけ得)にかけて、歌麿にこう呼びかけているのでしょう。 
「歌麿よ、人生はどうせ飯が炊き上がる間のような短い時間。それなら自分を責めて辛い日々を過ごすより、蔦重のそばで楽しい夢を見たほうが得だよ」と。

朝顔姉さんの「想像するなら楽しい方がいい」という言葉にもつながります。
実際に蔦重は「歌麿」という名に、みんながお公家さんの血を引く絵師かもしれねぇと勘違いしてくれるかも、なんて冗談まじりの明るい夢をのせましたね。

人別をもらい、新しい名をもらった歌麿の喜びはどれほどだったでしょう。

森下脚本は鬼脚本とみんな身構えてますが、このお江戸らしい「楽しい夢に変換させる」という鉄則があれば、最後には必ず救いがあるのではないかなぁと今のところ考えてます。

皆さんはどう思いますか?

おわりに

以上、今回はドラマの唐丸あらため歌麿の過酷な幼少期、そして史実の歌麿の子供時代の絵や鳥山石燕、喜三二の黄表紙からサブタイトルの考察など、盛りだくさんになりました。

皆さんは気になったシーンありましたか?
歌麿の幼少期エピ、石燕の登場、喜三二の大蛇の件など、コメントでぜひ!

ちなみに私は、大人になった唐丸の家を訪ねてきた馴染みの尼さんが、作家の岩井志麻子さんだったことにびっくり。
さすがの存在感、含みのあるオーラでございました。


ではまた次回の記事でー!

※追記 コメント欄に記事内で引用させていただいた小二田先生よりコメントいただきました。合わせてお読みください。
有名絵師とはいえまだまだ不明な点が多い歌麿。今後の研究に期待ですね!


大河べらぼう鑑賞のお供にピッタリのマガジンを作っています。ぜひフォローしていただいて、一緒にべらぼうを楽しんでいきませんか? ポチっとな~。

いいなと思ったら応援しよう!

大和愛 江戸の面白ネタを掘り起こして発信中。サポートしてもらえると、さらに楽しい記事をお届けできます!

この記事が参加している募集