見出し画像

朋誠堂喜三二とは? 『どうだろうまあ』の鷹揚な世界

大河ドラマ「べらぼう」では、尾美としのりさんが演じている道蛇楼麻阿(どうだろうまあ)、こと朋誠喜三二

どうだろうまあ、なんて、なんだかのんきで鷹揚なペンネームですが、実は秋田藩の留守居役として、江戸で藩を代表して各藩との外交を担った武士でした。

一体、どんな人物だったのか。ドラマでのエピソードも交えながら、彼の生涯や交友関係、代表作などを中心に見ていきましょう。


🎭朋誠堂喜三二とはどんな人物?

📚秋田藩留守居役ながら吉原通の人気戯作者

朋誠堂喜三二(パブリック・ドメイン)

享保20年(1730)~文化10年(1813)。本名は平沢常富(ひらさわつねまさ)、通称を平沢平角(へいかく)。

もともとは江戸の武士の子として生まれ、14歳で親戚筋にあたる久保田藩(秋田藩)江戸邸平沢氏の養子に。俳諧や漢学を学び教養を身につけ、久保田藩の定府藩士として江戸留守居役を務めました。

定府藩士とは常に江戸屋敷に常駐している武士のこと。そして留守居役とは、江戸藩邸を取り仕切り、幕府や各藩との交渉役を行う重要な役職のこと。

つまり、彼は秋田藩士とはいえ、江戸で生まれて江戸育ち、基本は江戸で働いている江戸人なんですね(東京生まれで東京育ち、地方企業の東京支社で働いているイメージ)。

そのためか、若いころから江戸の吉原遊郭に通い、通人(吉原の事情をよく知る人)として仲間内で名を馳せていました。「宝暦の色男」と自ら自称していたそうですから、相当遊んでますね笑。

ちょうどBangshingさんが自称部分をアップしていたので引用を。「宝暦の色男」と自称している文は、喜三二の狂歌・狂文を集めた『岡持歌集 我おもしろ』(岡持の狂歌・狂詩・狂文を、没後に子息太寄が編したもの)に掲載されているとのこと。

この画像の文の真ん中、「宝暦年中のいろをとこ手がらのをか持志るす(宝暦年中の色男 手柄岡持しるす)とありますね。ポストでも説明されているように、手柄岡持とは喜三二の狂名(狂歌を詠むときのペンネーム)です。

自分で自分のことを「宝暦という時代を代表する色男だぜ」と言ってしまうのは、吉原に通う仲間内でもとびきり遊びなれた通人であるという自信がないと言えませんし、そんなことをぺろっと自分で書いてしまうなんて、お茶目というかなんというか。遊び心があって、人を惹きつけ楽しませる、愛される人柄だったんでしょう。

当時の吉原には文化人がたくさん集まっていてサロンの役割も果たしており、喜三二はそこで出会った蔦重や恋川春町、大田南畝といった仲間たちとの付き合いの中で、洒落本に黄表紙に狂歌にと、実に鷹揚なユーモアあふれる才能を発揮していきました。

しかし、天明八年(1788)に刊行した黄表紙『文武二道万石通』が、<当時の政治問題へと発展する恐れあり>として久保田藩主から叱りを受けてしまいます。それ以降、黄表紙からは手を引き、狂歌に専念するようになったとのこと。

これは寛政の改革による出版統制に関わるものですが、この時期、恋川春町や山東京伝など人気戯作者、そして蔦重も大きな打撃を受けることになります。ドラマでこのあたりがどう描かれるか、楽しみなような恐ろしいような気持ちですね…。


📜めでたさがテーマ? おもしろペンネームの数々

特に朋誠堂喜三二の名で知られる平沢常富には、ほかにも狂名戯作者名など合わせて、たくさんのペンネームが存在します。これには自ら多彩な才があることを示すほか、武士であることも含めて韜晦(とうかい/地位や才能を隠すこと)の意味があったとされます。

下記に推測されているものも含め、書き出してみましょう。

朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)、道蛇楼麻阿(どうだろうまあ)、手柄岡持(てがらのおかもち)、浅黄裏成(あさぎのうらなり)、金錦左恵流(きんきんさえる)、福寿堂鶴亀(ふくじゅどうつるかめ)、戯蝶、胃滄浪(いそうろう)、柳塘の朋誠、柳北隠子朋誠、鴎其仁雄世話(おおきにおせわ)、物からのふあんど、栄良軒朶老(えいりょうけんだろう)、亀山人(きさんじん)などなど…

ちなみに、恋川春町『金々先生栄華夢』の金々先生のモデルは、このころ仲間内で金々先生の名で通っていた(であろう)喜三二の可能性が高い、という見方もあるようです。

また、ペンネームはめでたい意味を持つ言葉や漢字を使ったものが多く、喜三二という名前も「喜」というおめでたい文字を使っているうえに、亀山人(きさんじん)から来ているのだろうとされます。

道蛇楼麻阿(どうだろうまあ)もそうですが、鴎其仁雄世話(おおきにおせわ)、栄良軒朶老(えいりょうけんだろう=ええ料簡だろう)なんていう名前は、思わず笑ってしまいますね。いかにも喜三二の鷹揚な人柄が表れているように感じるのですが、皆さんはどう思いますか?


🏮平賀源内や蔦重、春町などとの交友関係

長年、留守居役として江戸藩邸を取り仕切り、他藩との交渉を行っていたという喜三二のキャリアからは、優れたコミュニケーション力や、柔軟な対応力があったのだろうと想像できます。

だからこそ吉原でも、通人として洒脱な遊びができたのでしょうし、交友関係も広かったのではないでしょうか。

特に小島藩の武士であった恋川春町(ドラマでは岡山天音さん)とは非常に仲が良かったよう。吉原へ通う若者たちの間で流行したファッションやヘアスタイルを紹介する洒落本『当世風俗通』はじめ、その後の黄表紙『親敵討腹鞁(おやのかたきうてやはらつづみ)』、『桃太郎後日噺(ももたろうごじつばなし)』など、喜三二が文を書く際には春町がよく絵を担当しています。この二人は、安永・天明期の黄表紙界を代表する作家なんですよね。

また喜三二は、平賀源内(ドラマでは安田顕さん)を師と仰ぎ、自らを門人と呼んで慕っていたようです。源内はこれまた風来山人などと多数のペンネームを使い、『放屁論』などふざけまくりのおもしろ本をだしていますから、戯作についても大きな影響を受けたことでしょう。

✅『放屁論』は江戸時代に屁で音曲を奏でたという屁っぴり男、花咲男をモデルに書いたバカバカしくも源内先生のセンスが光る一冊。こちらの記事にまとめてありますので、ご興味あればぜひ。↓

喜三二が仕える久保田藩(秋田藩)は、鉱山調査や秋田蘭画など源内とのつながりが深い藩でした。そういった関係から、喜三二と源内は江戸の藩邸や遊郭で知り合いになったかもしれません。あるいは蔦重を介して知り合った線もあるとのこと。

ドラマでは、平賀源内が「序文だったらあいつ(喜三二)に頼んだらいいよ」なんて蔦重に推薦してましたね。

蔦重とは、吉原の三大イベントの一つである俄祭りを活写した『明月余情』の序文を皮切りに、『吉原細見』の序文や黄表紙の執筆などで協力を重ねました。その勢いは、年に3~4冊も作品を生み出すほどのペースだったそう。蔦重の経営する『耕書堂』を支える大きな柱となったのです。

朋誠堂喜三二 作 ほか『亀山人家妖 3巻』,[蔦屋重三郎],天明7 [1787]. 国立国会図書館デジタルコレクション

上図は、蔦重から喜三二が原稿の依頼を受けているところ。手前が蔦重、奥が喜三二。

朋誠堂喜三二 作 ほか『亀山人家妖 3巻』,[蔦屋重三郎],天明7 [1787]. 国立国会図書館デジタルコレクション

上図は、いくら待っても原稿が出来上がらないので、蔦重(右ページの端)がしびれを切らして喜三二(左ページ下)に催促しているところ。

「他の先生の作品はもう出来上がってるんですよ、あとは喜三二先生のところだけタイトルスペース空けて待ってますからね!早く書いてくださいよ!」

今と変わらない締め切りとの戦い…笑。喜三二先生、がんばって!


さて、今回は一旦これまで。

大河ドラマ『べらぼう』で喜三二を演じる尾美としのりさんの飄々とした雰囲気、私のイメージする喜三二のどこかとぼけた鷹揚さにぴったりで、今後の展開が楽しみです。

おもしろペンネームや、春町・源内らとの関わり、気になったことなどあれば、ぜひコメントで教えてくださいね♪

それではまた~!

参考/『源内門人としての朋誠堂喜三二』石上敏
『江戸の戯作絵本①』小池正胤、宇田俊彦、中山右尚、棚橋正博 編 ほか

✅追記/朋誠堂喜三二のおもしろ黄表紙3選を紹介した記事をアップしました!下記をクリックしてあわせてご覧ください。



📚 関連記事


いいなと思ったら応援しよう!

大和愛 江戸の面白ネタを掘り起こして発信中。サポートしてもらえると、さらに楽しい記事をお届けできます!

この記事が参加している募集